2009年06月号 『待ってる 橘屋草子』あさのあつこ

今月のプラチナ本

更新日:2013/9/6

待ってる 橘屋草子

ハード : 発売元 : 講談社
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:Amazon.co.jp/楽天ブックス
著者名:あさのあつこ 価格:1,680円

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今月のプラチナ本

あまたある新刊の中から、ダ・ヴィンチ編集部が厳選に厳選を重ねた一冊をご紹介!
誰が読んでも心にひびくであろう、高クオリティ作を見つけていくこのコーナー。
さあ、ONLY ONEの“輝き”を放つ、今月のプラチナ本は?

『待ってる 橘屋草子』

あさのあつこ

●あらすじ●

江戸の裏店に暮らすおふくは、12歳で深川の料理茶屋・橘屋へ奉公に出ることに。気働きには自信があるし、自らの身の上に納得してはいるが、やはり不安や幼馴染の正次との別れの寂しさを抱え家を出たおふく。彼女を迎えたのは、美しく気丈な仲居頭のお多代だった。「逃げ込む場所も、甘える胸も、頼る誰かも」ない中、おふくは成長していく。だがある日、橘屋前で一瞬見かけた母・お千佳の様子が変で……。ほか、亡くした我が子を隣の子に重ねるおみつ、主人の治療費のため元許婚になびきかけるお敬、足が不自由ながら料理人の姿に希望を見つける小僧・三太、そしてお多代と20歳を過ぎたおふくなど、橘屋界隈にてそれぞれの境遇で生きる人々を描いた連作短編集。「待っててくれ」、少女時代の約束におふくが出した答えとは?

あさの・あつこ●1954年、岡山県生まれ。97年『バッテリー』で第35回野間児童文芸賞を受賞。また2005年『バッテリー』(全6巻)で第54回小学館児童出版文化賞を受賞。ほか、「No.6」シリーズ、「The MANZAI」シリーズなど著作多数。

待ってる 橘屋草子
講談社 1680円
写真=冨永智子
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編集部寸評

待ち、やがて歩き出す力を得る

願うこと。祈ること。そして待つこと。それらはほとんど同義であり、乗り越えられない壁にぶつかったとき、僕たちができることのすべてだ。“待つこと”は誰もが持つ最後のカード。それは“希望”とも言い換えられる。12歳のおふくも貧しさゆえに両親から捨てられるが、いつか母親が迎えにきてくれると信じて待っている。そうしなければおっかさんを恨んでしまうから。恨んだら負の連鎖に取り込まれてしまう。その連鎖は待つことで断たれる。踏みとどまり、待って待って待ちつづけて、やがて待つことの執着から解脱する。少女は大人になり、待つだけでは訪れない“生きる力”を勝ち取るため、社会という名の闘いの場に歩み出す。読みながら同様の力を得た。不況と悲しみが渦巻く今の時代にこそ読むべき一冊だと断言したい。

横里 隆 本誌編集長。今号は創刊15周年記念第2弾! クリアファイル&ポスター付です。何冊も買ってほしかったりして……

おふくが仕切る続編も期待

「女ってのはね、おまえが思っているよりずっと、しぶといんだよ」。橘屋の仲居頭のお多代はおふくにこう言い放つ。本作はまさにそんな女の底力を見るような連作短編集だった。目の前の過酷な現実から決して目をそむけず、自分なりのプライドを持って生き抜いていく彼女たち。亭主たちがふさぎ込んだり酒に溺れたりと仕事をおっぽりだして現実逃避しているのと対照的だと思った。『待ってる』の魅力は、そうした女性たちが集う橘屋という場であり、その場を作り出しているお多代のキャラクターによるところが大きい。彼女の生い立ちは最後の『残り葉』で明かされるが、これまでの経緯など正直もう少し読みたかった。お多代からさまざまなものを受け継いだおふくが、このあと橘屋をどんな店にしていくのか。続編も期待したい。

稲子美砂 ダ・ヴィンチOGの市橋織江さんの1 st写真集『Gift』。とにかく色が綺麗。見ていると心も澄み切ってきます

尊いものに出会ったような感動

深川の料理茶屋に奉公する12歳の貧しい少女……設定からぐっと胸を締め付けられるので、用心しながら読み進めるのだが、母のお千佳が気丈な女性で、父の病気はひどそうで、だから何も文句を言わずに黙って奉公に励む、そんないじらしい娘・おふくに、冒頭から涙涙なのであった。最近、こういういじらしさ、ってそういえばないなぁと。不憫なのに卑屈じゃない。一生懸命で健気。ちょっと前の昭和の子どもたちには貧乏があったし、こういう子どもがそれなりにいたように思うけれど、今はファンタジーなのかもしれない。人を信じ、家族を信じ、貧しくても正しく生きる。そういう姿がなんとも輝いて、尊いものに思えるのだ。あさのあつこの時代物、号泣覚悟でお読みください。本当に大事にしなきゃいけないもの、思い出します。

岸本亜紀 6月4日『幽』怪談文学賞受賞作家・岡部えつさん美しくもエロ怖いデビュー作『枯こ骨こつの恋』刊行です

お多代の背中を見ていた

本書は、主人公・おふくが“待ってる”少女から“待たない”大人へと成長する物語だ。子どもならずとも、親しい人とのつながりに甘えたいときはある。誰かといっしょに、泣いたり笑ったりしたい。そんな泣き笑いの数々が本書に織り込まれているが、最後におふくは、そうした甘えをすらりと切り払う。覚悟を決める。それは孤独で厳しい道だが、われわれ読者はその道のりに絶望を見出すことにはならない。まっすぐな道を支えているのが“誇り”であると、はっきり読み取れるからだ。働くことは誇りである、自分の仕事を果たすことは誇りである。そのことを仲居頭・お多代の姿から学ぶのは、おふくだけではない。読後、折にふれて脳裏に浮かぶのはおふくよりもむしろお多代で、ああ自分もお多代の背中を見ていたんだなと思う。

関口靖彦 今年のお花見は、近所の団地の裏庭で。ひとり缶ビールを持ち、真っ白な花盛りを眺めてきました。職質されました

まだ「待ってる」未熟な人の感想

初恋の男の人が、80歳になったら結婚してあげてもいいと言うので、ときどきそれを心の支えに生きている。ほかにもいろいろ待ったり信じたりして、日々をやり過ごしてるので、ラストのおふくの覚悟(はぐちゃんみたい)に畏怖をおぼえた。好きだったのは、おふくがはじめて橘屋に足を踏み入れるくだり。宴席のざわめき、芸者の艶姿、名前も知らないお料理……。新しい世界へ入ってゆくときのキラキラとザワザワ。

飯田久美子 宮木あや子の葬儀屋ラブコメ『セレモニー黒真珠』、増刷決定。笑えて、泣けて、ほんのりハッピーになれるので、ぜひ!

強く生きる女の哀しさと潔さ

少女の頃は、誰もが一度は自分を新しい世界に誘ってくれる存在を夢見るものだ。おふくも、お多代も、その日を夢見て日々をひたむきに生きてきたはずだ。しかし、ようやく自分の手を引いてくれる人が現れたとき、あんなに待ちわびたその手をとることを、望んではいない自分に気づくのだ。誰かによって生きることを許される人生ではなく、自分で築いたその場所で生きていく。その静かな覚悟とたくましさに感服した。

服部美穂 『猫を抱いて象と泳ぐ』特集では酒井駒子さんが作品世界をイメージして絵を描き下ろしてくださいました。必見です!

「待ってて」とは言いづらい

待っていなくとも構わない。僕ならそんな強がりを言ってしまう。でも本当は待っていてもらえないと悲しい。やはり待ってて欲しい。だから待たせちゃいけないと思う。そんな反面、「橘屋」で働くおふくやお多代のように強く生きる人であって欲しい。おふくたちの強さは決して冷たいものではなく、優しく温かい力強さがある。その強さを得るために特別な事情など必要ない。だから僕も待たないし、待っていなくとも構わない。

似田貝大介 怪談専門誌『幽』11号の特集「怪談遠野物語」の取材で岩手県遠野市に行ってきました。お爺ちゃんの家の近くです

「待たない」という選択

江戸・深川の料理茶屋『橘屋』に奉公に出た少女・おふくと、気丈で美しい仲居頭・お多代との絆を描いた連作短編集。表題作『待ってる』では、自分で生きていくしかないことを漠然と知る12歳のおふくが、中盤、母の迎えも恋人の支えも選択しない「待たない」少女へと成長していく件では、少し胸が苦しくなった。そして、ふたりの強い絆を感じたのが『残り葉』。人生と厳しく向き合ってきたお多代の言葉が、優しく残る。

重信裕加 『逆転検事』の取材でお世話になった、関東&関西のミステリー研究会のみなさま、本当にありがとうございました!


働けることの幸せ

衣食足りて礼節を知る」と言うが、寒さや飢えをしのぐのに十分な賃金を得られる仕事があり、働ける自分であるのは、時代を問わず重要で難しいことだ。さまざまな不幸に見舞われ、たどり着いた先だとしても、「橘屋」で働く彼女たちは、そういう意味では恵まれているのだろう。厳しい状況の中で彼女たちが仕事に恋に悩みながらも自分の人生を歩んでいる姿は力強い。その強さをうらやましく思った。

鎌野静華 自宅の最寄り駅においしい和菓子屋さんがあります。この時期は桜饅頭や麩饅頭、柏餅など色とりどりでうれしいです

願わない人生なんてきっとない

“待つ”というのは期待するということで、あてどない期待は切ないだけ。翻弄され、傷つき、願いを諦めた人も作中に出てくる。おふくもそう。だけどやっぱり、変わらず“待ってる”のだとおもう。それは特定の誰かや夢ではなくて、しっかり地を踏みしめて歩いてゆく道の先に、きっとあるであろう自分自身で決めた明日と、そこで出会う“想い”という名の光りなのではないか。ラストのお多代の微笑みに、そんな気がした。

野口桃子 小栗旬さんも推薦の『きのうの世界を壊します』(三枝玄樹)発売中。家の〈葬儀屋〉を営む青年の見る風景にぐっときます


それぞれの生き場所を悟ること

主人公たちはみな、依りかからず生くことを知っていく。読んでしばらく後、彼女たちの「ありえたかもしれない人生」(ついでに自分のそれも)をふと考えた。生きていくというのは、きっと「ありえたかもしれない人生」を幾つも重ねながら、それぞれの生き場所を悟ることで、かつて「待って」た相手と添わない人生もある。選択を思い返すと苦味を覚えることもあるかもしれないけど、それが滋味ともなるのかもと思った。

岩橋真実 『ハガレン』好きのさまざまな方とお話しするたびに、その深さに気付かされます。いよいよ最終章、未読の方もぜひ!

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