2007年07月号 『悪人』吉田修一

今月のプラチナ本

更新日:2013/9/13

悪人

ハード : 発売元 : 朝日新聞社
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:Amazon.co.jp/楽天ブックス
著者名:吉田修一 価格:1,944円

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今月のプラチナ本

あまたある新刊の中から、ダ・ヴィンチ編集部が厳選に厳選を重ねた一冊をご紹介!
誰が読んでも心にひびくであろう、高クオリティ作を見つけていくこのコーナー。
さあ、ONLY ONEの“輝き”を放つ、今月のプラチナ本は?

2007年6月6日

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『悪人』
吉田修一
朝日新聞社 1890円

 福岡市と佐賀市を結ぶ国道の三瀬峠で、保険外交員・佳乃の絞殺死体が発見された。容疑者として浮かび上がった男・祐一は、佳乃と同じく出会い系サイトで知り合った別の女性とともに逃亡する。
なぜ、事件はおきたのか? なぜ、二人は逃亡するのか? 悪人とはいったい誰なのか?
九州の地方都市に暮らす人々を緻密に描写し、一つの事件の被害者や加害者の過去と現在、それぞれの家族や友人など関係者の視点や回想を描きあげる。
『朝日新聞』で連載され話題を呼んだ、著者渾身の長編小説。

撮影/石井孝典

イラスト/古屋あきさ

 
 
  

よしだ・しゅういち●1968年、長崎県生まれ。法政大学経営学部卒業。97年『最後の息子』で文學界新人賞受賞。同作は第117回芥川賞候補となる。2002年『パレード』で第15回山本周五郎賞、『パーク・ライフ』で第127回芥川賞を受賞。


横里 隆
(本誌編集長。本誌連載の『テレプシコーラ』が第11回手塚治虫文化賞マンガ大賞に選ばれました! うれしくて気分はグラン・ジュテ!!)

善と悪を相対化した果ての
もう一歩先を描いた傑作

気が付けば、自分を含む誰も彼もが“被害者でいたい”時代になっている。誰かを傷つけることなく(自分も傷つかず)、波風を立てず、そのくせ上手くいかないのは誰かのせいにして安全な場所から苦言を呈すばかり。被害者のふりをしていることが、いちばんラクだからだ。でも、世の中のすべての人が被害者になることはできない。加害者がいなければ被害者は存在し得ない。そしてときに、その加害者を“悪人”と呼ぶ。僕たちは普段、まず悪人がいて、善良な人に危害を加えて(加害者となり)、不幸な被害者を生むと考える。それもあるだろうが、その逆もある。あなたが被害者のままでいられるように、僕はあえて加害者になろうと。それは果てしなく切ない覚悟であると同時に、今の時代の新たな一歩だ。誰の中にも善と悪、加害者と被害者の双方が混在しているが、それを相対化し「人とはそういうものだ」と無効化して諦観するのではなく、本書は、あえて自分の中の加害者と向き合い、それを引き受けるという選択肢をも突きつけた。……すごい小説だ。


稲子美砂

(本誌副編集長。主にミステリー、エンターテインメント系を担当)

「寂しさを伝える誰かに
出会いたかった」人たち

「幸せになりたかった。ただそれだけを願っていた」——真っ赤なオビにあるこの言葉に呼応するように、殺された佳乃も犯人の祐一も彼と逃亡する光代も、そして彼らを取り巻く人々の多くも鬱屈した空虚な日常をやり過ごしていた。『悪人』が心に響くのは、事件を機に噴出した善悪で語れない感情の叫びが随所に盛り込まれているからだろう。「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、何でもできると思い込む。自分には失うもんがなかっち、それで自分が強うなった気になっとる。失うものもなければ、欲しいものもない」。みんな「大切な人」がほしいのだ。それを見つけるための術として出会い系サイトに集い、風俗を利用する。そう生きることしかできない閉塞感からの脱却を目指した作品としてもとても心に残る傑作だ。

岸本亜紀
(本誌副編集長。怪談、夏の新作、たくさん作っています。子ども向けの『しんみみぶくろ』2冊、お楽しみに〜)

吉田修一の底力ついに発揮
骨太の人間群像劇に感動!!

吉田修一がデビューしたとき、すぐに会いに行った。おしゃれな恋愛小説というイメージは一瞬で払拭させられた。シャイな笑顔はあるものの、内実はじっとり重く、居心地悪そうに鋭い眼力で周りを伺っていた。数え切れないほどの労働系のバイトをしてきたと言っていた。今回の本は、その最初の印象が、ようやく形になったという感だ。前半は犯人探しの楽しみが、中盤は今の若者の姿や家族のありようががさまざまな角度から描かれ、登場人物たちのほぼすべてに感情移入させられてしまう。終盤は、本のテーマである「善悪の因果」が描かれるのだが、ここまで一気読みだ。人間はだらしなく、鈍感で、軽薄で考えなしが多い。そんな雑多にもまれながら、不器用なりにも自分だけに見える愛の光を見つけ、そろそろと歩き出した敏感な主人公は、運命という大波に押しやられてしまう……。吉田の見つめる世界の肯定感に、やさしさ、悲しみに涙が止まらなかった。


関口靖彦
(宇佐美まことさんの、『幽』怪談文学賞短編部門大賞受賞作を含む短
編集『るんびにの子供』発売中! 本当におもしろいです)

見ないようにしていた、
本当のことが見えてしまう

世の中は、悪人と善人に分かれるのではない。ひとりの人間の中に、悪人の面もあれば善人の面もある。優しさと狡猾さ、実直さと愚かさ、隣人愛と近親憎悪が同居している。そのことを丁寧に見せてくれる小説だが、実はわれわれ読者は、この本を読んで初めてそれを知るわけではない。知ってるんだけど、忘れるようにしてきたのだ。だって、自分に優しい恋人が、職場では後輩をいじめてるかもしれないとか、昔はイヤな遊び方をしていたかもとか、考えたくないから。でも、聖人でもない普通の人は、みんな恋愛や金で汚いことをしたことがある。ほぼ100パーセント。それなのに、誰かを好きになったり信じたりしなくては、われわれは生きていけないのだ。この小説を読むと、そのことを思い出してしまう。そしてその上で読者は、どう生きるか考えねばならない。真剣勝負の一冊である。


波多野公美

(はじめて関東インカレを観戦。箱根駅伝まで、今年は陸上に注目しています)

「悪人」という名の
「人間」を描いた傑作

この小説が完成するまでのあいだ、著者は、恐ろしいほど丁寧に、「悪人」を見つめたのだと思う。人は誰でもさまざまな面を持っていて、どこにどんな光が当たったかで、他人から見えるその人の姿は変わる。そして、一人ひとりの人間の中にある感情は、善悪という言葉では表現しきれないほど、複雑で多様だ。この小説のすごいところは、そんな人間の複雑さのありようを見極め、さらに言葉に落とし込んで、小説というかたちに昇華しているところだ。なにを考えているのかわからない人、が、そうでなくなる瞬間が、この小説にはあった。著者は、人の心の複雑なありようを——「悪人」という名の「人間」を——描ききったのだ。傑作だと思う。


飯田久美子
(ダ・ヴィンチ文学賞大賞『うさぎパン』68ページから一挙掲載、読んでください。裁判特集も)

言葉の問題

祐一は本を読むのだろうか?ということを考えている。この小説は、持つ者と持たない者の小説だ。収入の格差、男女、学歴、地域、モテの格差、そして言葉をもつ者ともたない者の。この前井上光晴の雑誌『辺境』を読んでショックだったことがある。2回に1回くらいは特集テーマは天皇制批判なのだけどそこでは同時に大衆に届く言葉ということについて何度も考えられていて、その本気さにショックを受けた。「言葉」が知とか芸術の最前線に向かってゆくことと、その「言葉」が広く誰かに届くことは必ずしも一致しない、とタカをくくっていたから。だけど。この小説は「祐一」を描いてると同時に、もしかしたら、「祐一」に届き得る物語でもあるんじゃないか。祐一がヘルスの個室で女の子を腕枕しながらちっぽけな天井を眺め何かを想ってたみたいに、そんなことを考えました。

服部美穂
(第1特集「Shall we 裁判?」内で、誌上裁判員の皆さんによる『悪人』裁判も行っております!)

三面記事の先にある真実

何かが起こる一歩手前の空気感を描くことに定評のある著者が、地方都市を舞台に、殺人という形で、その一歩を大きく踏み越えてしまった人間の物語を書いた。しかも、出会い系サイトに端を発した殺人事件という、新聞の三面記事に載っていそうな話である。九州ではないが、私も地方出身者だ。地方独特のあの閉塞感と彼らの日常には既視感も覚えた。自分の足元を見ようとしない被害者の女も、足元しか見ずに生きてきた容疑者の男も、彼らを取り巻く人々も、きっと会ったことがある。彼らをバカな男、愚かな女と思い切ることなどできない。そこにいるのは、私だったかもしれないのだ。読後、様々な思いが去来し、複雑な余韻を残す小説だ。




似田貝大介

(幽ブックス『夜は一緒に散歩しよ』『七面坂心中』が発売中。木原浩勝氏と中山市朗氏の新刊も!)

いい奴ばかりじゃないけど
悪い奴ばかりでもない

人はみんな生きているだけで被害者になり、ときに加害者になる。たまたま周りに決められてしまうだけで、みんな加害者にも被害者にもなりたくないはずだ。悪人なんてどこにもいないし、善人なんてのもいない。ただ、人間なんだと思う。本書で登場する人物は、その人間という部分が剥きだしにされている。だからこそ、読み手の数だけ印象が変わる作品だと思う。殺人事件の容疑者とされた祐一には、手を差し伸べる女性がいた。結果はどうあれ羨ましかった。その刹那に生きてしまうのが人間なんだと思う。ひと皮剥けばみんな同じじゃないかしら。


イラスト/古屋あきさ

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