2007 年12月号 『千年の祈り』 イ-ユン・リ-/篠森ゆりこ

今月のプラチナ本

更新日:2013/9/13

千年の祈り (新潮クレスト・ブックス)

ハード : 発売元 : 新潮社
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:Amazon.co.jp/楽天ブックス
著者名:イーユン・リー 価格:2,052円

※最新の価格はストアでご確認ください。

今月のプラチナ本

あまたある新刊の中から、ダ・ヴィンチ編集部が厳選に厳選を重ねた一冊をご紹介!
誰が読んでも心にひびくであろう、高クオリティ作を見つけていくこのコーナー。
さあ、ONLY ONEの“輝き”を放つ、今月のプラチナ本は?

2007年11月6日

『千年の祈り』

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イーユン・リー/著
篠森ゆりこ/訳
新潮社新潮クレストブックス 1995円

 娘の離婚を案じてアメリカに来た、過去に秘密のある男が、言葉も通じないイラン人の老婦人と心を通わせるようになる「千年の祈り」、中年女性の報われぬ愛の遍歴を描いた「あまりもの」、代々宦官を宮廷に送り出してきた町を主語に、一人の男の数奇な人生と国の壮大な悲劇を描いた「不滅」、17人を殺した男について語る人々の会話から、境遇の残酷さを炙り出す「柿たち」など、10篇を収録。
 中国の表現を巧みに織り込みながら、母語ではない英語で書かれた本書。中国という国を舞台に、個人ではいかんともしがたい運命・人生を、静謐さをもった筆致で描く。

撮影/石井孝典
 
 

  

イーユン・リー( Yiyun Li 李翊雲) ●1972年、北京生まれ。北京大学卒業後渡米。アイオワ大学大学院で免疫学修士号取得ののち、同大学創作科修士号取得。2004年「不滅」でプリンプトン新人賞、プッシュカート賞受賞。05年、デビュー短篇集『千年の折り』を刊行、第1回フランク・オコナー国際短篇賞をはじめ、様々な賞を受賞する。


横里 隆
(本誌編集長。哀しみ溢れる世界の美しさを、初恋の切り口で描いた新海誠さんの『小説・秒速5センチメートル』が11月16日に発売。傑作です。こちらもぜひ!)

世界は哀しみに満ちている
ゆえに、こんなにも美しい

人々はそれを求めてやまないのに、持ちすぎると著しく機能が低下するものがある。豊かさを象徴する“言葉(知識)”や“お金”や“自由”もそうだ。例えば、饒舌すぎる告白よりも、たどたどしい愛のひと言に胸を打たれることがある。本書は、中国で生まれ育ったがゆえにそれらを持ち得なかった著者による、持たざる者たちの物語だ。母国語を用いず英語で書かれているせいか、文体もシンプルで贅肉が削ぎ落とされており、飾った文章よりも深く心に沁みてくる。そして、革命やイデオロギーの抑圧にさらされてきた中国の人々のことを単純に不幸だとは言えなくなる。豊かに見える僕たちが決して幸せではないのと同様に。哀しみに満ちた世界で必死に生きる彼らと、豊かさの中で生きづらくなっている僕たちとを、比べてみたら上下も左右もないことがよく分かった。表題作では、革命と宗教の束縛、異国での偏見を受けてきた(であろう)イラン出身のマダムと、中国の老人が、異国アメリカの公園で出会い、言葉が通じないまま友情を育んでいく。その様子は奇妙ですらあるのに、なぜか千年の祈りを経て出会った親友のように美しく映るのだ。


稲子美砂

(本誌副編集長。主にミステリー、エンターテインメント系を担当)

中国の残酷さと凄さと。
そして言語というものに興味が湧く

短編でありながら、いずれの作品にもスケール感がある。それは描かれている人々の日常生活に、国の歴史や体制、思想などが垣間見えるからだろう。個人の話、男女の話、親子の話ではあるけれど、それだけではない。歴史書を読むよりも、中国という国が自国民に何をしてきたのか——が心に深く刻み込まれ、小説の力を感じた。感情を極力描かず、出来事や会話を乾いた筆致で坦々と綴っているのに、作者の中に滾る熱情がしっかりと伝わってくる。登場人物たちがみな運命に屈しない強さを持っているのだ。「自分の気持ちを言葉にせずに育ったら、ちがう言語を習って新しい言葉で話すほうが楽なの。そうすれば、新しい人間になれるの」(表題作)。英語で恋人と楽しげに電話をしているところを父に問い詰められた娘はこう言い放つ。英語で小説を書く作者の意思が見えるシーンだが、本作では同時に、中国人の父とイラン人のマダムの言葉を超えた気持ちの交換が描かれていて、作品にいっそうの奥行きを出している。以前プラチナ本オブザイヤーに輝いた『リンさんの小さな子』にも通じるテーマである。


岸本亜紀
(大田垣晴子『わたしってどんなヒトですか?』、赤澤かおり『くらしのなかの日用品』ともに16日発売です!)

どんな状況下でも、
自分の人生を生きるしかないのだ

天安門事件のとき、私はバブル全盛期の大学生だった。女子で大学生、というだけでちやほやされた時代だ。そんなとき、ゼミで天安門事件を一時的に研究することになり、中国事情を調べた。蜂起した大学生たちは、私と年齢は同じでも、経済的な生活レベルや背負っている家々の歴史や思想背景が、自分とあまりに違い、重みがあった。中国はそれ以降、ものすごいスピードで経済成長していったが、あのスケールのでかい国だけあって、その格差はすさまじいものであったと思う。この小説では、著者が知的でアメリカ暮らしということもあり、俯瞰した眼差しではあるが、細部にわたって、名も無き人々の地に足のついたくらしが、丁寧にしっかりと描かれている。著者独特の一瞬見せる、残酷で、狂人的な面も、人間であれば誰もが持ちうる奥深く根付いたダークサイドの部分でリアルだ。どんな状況下でも、ひたすら続く日常の積み重ねの中で、何に楽しみをみつけ笑えるか。運命を呪うのでなく、ひたすら受け入れる。人生はそれを知るための祈りのような旅なのだろうと本書を読んで考えた。


関口靖彦
(今号特集のため車イスバスケの取材に。事前にVTRは観ていましたが、車輪が床にこすれて焦げる匂いは、現場だけのものでした)

リアルを超える小説、
実体験を超える読書

この小説はリアルだ、という言い方をよくする。本物だ、だからすばらしい、というわけだが、本書を読むと大きな疑問符が浮かぶ。ウソなのに、真実が伝わってくるからだ。たとえば冒頭に収録された「あまりもの」。学もない、恋もしたことがない、ただただ工場で働いてきた林ばあさん。その工場が倒産し、年金も出ない。切迫した状況で、ある学校の家政婦の職につく。そこで少年と出会う。学校を追放される。そして彼女が、その手に抱えていたものは。こんな物語で読者の心を震わせておいて、著者は研究者と教師を両親に、みずからは北京大学からアイオワ大学に渡り研究職を得、それから作家になっている。夫も子もある。まるでリアルじゃない。それなのに真実の手ごたえがあって背筋がびりびり震えるのだ。それは、実体験するよりも小説を読むほうが真実に近いことがある、という貴重な読書であって、小説の力を信じるかたには、ぜひ読み逃さないでいただきたい。


飯田久美子

(第5回を迎えた木村紅美さんの連作短編シリーズ、最終回の今月もすばらしいです!)

ただ、ひとり

子どものころ、人はみんな、誰かと2人セットになるようにできているんだと思っていた。いや、今でもけっこう思ってる。ただ、少し変わって、ほとんどみんな、誰かと2人セットになるようにできていて、ときどき“あまりもの”の人もいる、と思うようになった。だから、わたしは“ひとり”がすごく怖い。自分だけがあまりものなんじゃないかと思ってしまうから。本書に登場する人たちは、みんな、ひとりだ。誰も、誰かと2人セットになるように、生まれたりしていない。かといって、「ひとりってつらいね」というような感傷もなければ、「ひとりも楽しいね」なんていうお気楽さもない。ただ、ひとり、なのだ。ひとりで荒野を歩くしかない、というしなやかな諦念だけがあって、それは野生の人みたいに美しかった。


服部美穂
(来月号は「2007 BOOK OF THE YEAR」大特集!今年はひと味違います。お楽しみに!!)

10篇どれもハズレなし!
激しくオススメします! !

著者は、文化大革命の真っ只中に北京で生まれ、激動の時代に思春期を過ごし、後に母国を出て違う言語を得た経緯を持つ中国人女性である。その背景は作品からも感じられる。どの物語にも、個人の考えや人生など飲み込まれてしまう、壮大な中国の歴史と体制のなかで生きる人々の孤独が描かれているのだ。表題作の中で、主人公が『修百世可同舟(シウバイシークウトンジョウ)』という中国の諺について語るくだりがあるのだが、これを直訳すると「誰かと舟で川をわたるためには、三百年祈らなくてはならない」。つまり「どんな関係にも理由がある」ことを表す諺である。互いに会って話すために必要な、長い年月の深い祈り。祈りを捧げるようにただ生きることの尊さを思わせる短篇集だ。


似田貝大介
(山白朝子さんと黒史郎さんの単行本が刊行されます。こども版「しんみみぶくろ」3、4巻も出ます!)

人々が集って歴史を重ね、
生きる息吹を感じる短篇集

中国で育ちながら多くの文化と知識に囲まれてきた著者の視野は、純粋な民衆とは一線を画する立場だったと思う、その位置だから見ることのできたものが、きっと大きい。本書が欧米で賞賛されたのは、あまり見ることのできない世界を見せてくれたことで、読者の足元にある世界を照らし、改めて見つめる機会を与えてくれたことなのかもしれない。私は自分の住む国の、つい百年前の何を知っているだろう。「不滅」で描かれた、村から生まれた英雄と、彼を輩出した村は、長い歴史で培われた人々の誇りを最後まで失わなかった。人々が集まり歴史を重ねて文化が産まれてゆく。どの物語も深く広大な歴史を感じさせ、人々の息吹を間近で感じる優しい短編集だ。

イラスト/古屋あきさ

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