「揚げ足をとる人々」内田 樹×名越康文×橋口いくよ 電子ナビスペシャル鼎談

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更新日:2013/8/13

橋口 先日、国会中継を見ていたら、政治家たちが突然クイズみたいな質問をあれこれして、答えられない人の揚げ足をとっていました。あれって、今ネットの中で、人々が揚げ足のとりあいになっていることと、かわらないなと思ったんです。そもそも、揚げ足をとる人ってどういうタイプの人に多いんでしょうか。最近、すごく増えている気がするんです。

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名越 自分の論理だけを信じる、あるいは、他者の論理を入れることが怖くてしょうがない人。

内田 それは、怖い。

名越 そう。怖いことなんですよ。言葉って、ある種すごく攻撃的なもんじゃないですか。僕は言葉を使う職業だからということもあって、自戒の念も込めて言いますけど、言葉は本質的に絶対、攻撃性のあるものなんですよ。そしてその攻撃性に目覚めている人しか言葉の建設性に気づけないんだっていうのが僕の実感。例えば、カウンセリングの中なんかでは、クライアントが僕の揚げ足をとろうとしてくることがたまにあります。僕の言葉の文脈をかえて揚げ足をとってきたり、ある文脈を完全に切り取って、そこだけを誇張して「でも先生はこのこと、こう言いました!」って、揚げ足をとってきたり。いやいや、それは文脈を追ってくれたらそういう意味じゃないだろうと説明するのですが、それを揚げ足とるほうがさらに自己流に分析しだすと、言葉の攻撃性は増しますしね。

内田 ツイッターやってると、時々リプライでさ、僕のところにも見ず知らずの人から来ることがあるけれど、批判的なものの99%は揚げ足とりだね。僕の文章のある部分をとりあげて、「これは変だ」っていいがかりをつけてくる。あのね、オレはそんなこと言ってないんだよって説明するためには、もう一回初めから全部言わないといけない。でも、何度やっても結局同じように、自分の都合で部分的に切り刻んで「お前はこう言っている」と断定してくるんだから、やるだけ無駄なんだよ。自分に飲み込めないところは全部はじき飛ばして、わかるところだけ取り上げて、「ウチダはこういう考えだ」と決めつける。あの狭さとかたくなさって、何なんだろうね。

名越 お薬の飲み下しができないみたいなもので、言葉の飲み下し自体ができないんですよ。もうほとんどそれは親子関係の反映だというふうに、僕は思いますけどね。そう言うと、名越はその固定観念からすごい差別してるというふうに揚げ足をとられてしまうんだけど。でもそれは、臨床的実感上8割ぐらいはそうなんだと感じますよね。親の言葉には毒が含まれてるかもしれないっていう、確固としたリアリティや、妄想のリアリティが子供にある場合、飲み下すことができないでしょう。それをするには、すさまじい勇気と成熟が必要だと思うんですよ。

橋口 誰かの話を聞こうとするとき、そこに毒があるかもしれないと思いつつも、耳にしてしまったり、目にしてしまうっていう状況って、ネットなんかは本当にそうですよね。名越先生の言う、すさまじい勇気と成熟を持ってネット見てる人って、そこまでいないと思うから、揚げ足の巣窟になってしまう。ツイッターなんて、思わぬ形で言葉が流れてくるし。

内田 ツイッターでは、揚げ足をとるのをやめるっていうルールにしようか。

名越 ね。ツイッターの利用規約にそこだけ書いてほしいですよね。「揚げ足をとらない」って。さっきも言ったように、言葉そのものが基本的に攻撃性を持つものだから、相手に対する共感性がないといくらでも揚げ足をとれるシステムなんです。言語システム自体が。

内田 無限に揚げ足とれるんだから。

名越 なぜかっていうと「言葉」の存在自体が、相手に影響を与えるためのものでしょう。言葉を使うということは、その言葉というもの自体がもともと持っている攻撃性を使って、相手に精神力学的なものを与えようということですから。

橋口 攻撃性というのは、相手をやってやるぜっていう意味ではなくて、良い意味にも悪い意味にも力を発揮する「言葉」自体のもともとの資質みたいなものですよね。

名越 そう。だから、その力っていうものは、変な例えだけど「よう!」って肩に手を置いたって「あっチカン」ということも言えるわけでしょ。そこで相手との間の気分的信頼感とか共感がないようでは揚げ足とり放題で、勝とうと思えば揚げ足をとればいいわけですよ。でもそれは社会的ルールや、もっと大きな倫理的ルールからすると揚げ足をとる人は完全に破綻してるわけで。

内田 揚げ足をとっている人のほとんどがそう。「あなたのその言葉が私を傷つけた」っていう言い方をするでしょ。まず被害者の立場を先取しようとする。そのためには相手の言葉の中から自分に少しでも触るものを見つけ出して「あ痛っ!」って叫んで、「私を狙って攻撃したでしょ」って怒鳴り込んでくる。

橋口 私、それが怖いから、揚げ足をとられない文章や、誤解されない文章をいかに書くかってことに、実はかなりの力を使っているかもしれない。これって書き手として、この事実自体がある意味怖いことだ。