人を下に見てしまうという不治の病はせめて表に出さないという自覚が大事

新刊著者インタビュー

更新日:2013/12/4

 どうして自分はいつまでたっても、“他人を下に見る”という欲求から逃れられないのか? 誰もがひそかに抱えている根深い心の病巣に、著者自身のこれまでの人生のさまざまな局面を例にあげつつ、すぱっとメスを入れまくる本書『下に見る人』。その小気味よいクールかつシャープな切れ味は、まさに酒井さんの真骨頂だと思う。

「常に“何を書くか”については困っているのですが、そんなときにあらためて自分を省みてみたところ、ふと、この“問題”が浮かんできたんです。ひとことで言えば、差別とか区別とか、自分はなぜか人と人との間に線を引いたり分類したりしてしまう──、私はそういうことをずっと書いてきていたなぁ、と。そこで今回は一度、それをきちんとテーマに据えてまとめて書いてみるのはどうかな、と思ったんですね」
 高校在学中に雑誌のコラムニストとしてデビューして以来、つねに酒井さんのなかにあった“核”=問題意識。とはいえ、書き方によっては非常に微妙なところに触れてしまうテーマなのだが、酒井さんは、たとえばいじめの問題にしても、終始一貫、一般論に逃げず、“私のこと”として分析していく。そして、だからこそ、本書のなかに提議されたさまざまな問題=病巣は、これまでにない斬新さ、鋭さを持って、読む者の心に痛快痛烈に刺さってくるのである。

advertisement

いじめた側を見なければいじめは絶対なくならない

酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年、東京都生まれ。高校在学中より雑誌にコラムを執筆。立教大学社会学部卒業後、広告代理店に就職。その後、執筆業に専念。『負け犬の遠吠え』で第4回婦人公論文芸賞、第20回講談社エッセイ賞をダブル受賞。『この年齢だった!』『徒然草REMIX』『金閣寺の燃やし方』ほか著書多数。
 
 
 

「このなかにもいろいろ書いていますが、学生時代の私はどちらかといえば、いじめられた側ではなく、いじめた側の人間なんです。でも、いま、いじめられた人の体験談というのはひんぱんに目にしますが、いじめた側の体験というのは、まだ全然、メディアでは語られない。やっぱりそこを見ていかないと、いじめの問題は絶対になくならないわけで──。だから今回は、自分の生い立ちを振り返りつつ、その時々で“自分はどんなひどいことを考えていたか?”ということをあぶり出していくしかないだろう、と。それは、私が何かを書くときに、常に意識していることでもあるんです。たとえば何かについて、ある人のことが嫌だと思う。でもそれは自分の中にも共通した何かがあるから目につくし、嫌だと感じるわけで──。ですから他人の悪口を書くときも、“人を書いているふりをして自分のことを書いている”という意識は、持っていたいなと思っていました。今回は、その「人のことを書いているふり」もやめて、本当に“自分だけのひどいことを書いた”という感じなんですが(笑)」
 他人に対して容赦しない代わりに、自分に対しても容赦しない。そんなストイックな視点から繰り出される辛口のもの言いだからこそ、どんなにシビアで辛辣でも、そこには思わずニヤリと頷かずにはおれない“真実”が詰まっているのである。さらに、「甘い誘惑」から「下種」までの23個のエピソード、そこからうかがえる酒井さんの目の付けどころ=視点の独特さ。たとえば、「エンガチョ」では、3歳の姪っ子とお絵描き遊びをしていて、姪っ子の描く無邪気な“線”や“丸”から、自分たちの区別や排除の芽生えを見出すところなども、まさに見事だと思うのである。
「このなかにも書いたように、3歳の子供にとって、丸や線を描くことって、すごく難しいことなんですよね。でも、その難しいことを、自分はいま、日常生活のなかでいつもやっているんだなと、ふっと気づいて。姪っ子の年頃には、そんなことを知らなかったし、してなかったのに、そこからどうやってこんなに汚れてしまったんだろう、と。そして、一本の線や一つの丸によってAとBを区別するという行為が、そのあとにつづく、さまざまなひどいエピソードへとつながっていくわけなんですね(笑)」
 小学校時代、同級生につけたひどいニックネームにまつわる「ニックネーム」。ドリフのお笑いを通して、自分の中にある、ひどい目にあった人を見る快感を分析してみせる「ドリフ」。高校時代、ファッションセンスの良し悪しを上下の物差しにしていた心理を解き明かした「センス」。そして、20代、30代、40代と歳を重ねていくなかで変化していく〝結婚〟という価値観への勝ち負け=上下感覚を赤裸々に綴った「結婚」──。それらは、酒井さん自身の個人的なエピソードであるにもかかわらず、つねに私たちが共通して抱えている普遍的な問題の真ん中を射抜いていて、読むたびに、やられたと思ってしまう。とくに酒井さんと同じバブル世代においては、ああ、あの問題の根はそこにあったのか、と思い当たるフシが連続のはず──。
「たしかに、バブル世代の方にとっては、思い当たりすぎになるかもしれないですね(笑)。たぶん、私はかなり一般的な人間なので、自分のことを書いても、それが特殊な事例にはならないんだと思います。とはいえ、いま振り返ると、我ながら、本当に何かにつけて上下をつけてきたなぁ、と思います。直せるものなら直したかったのですが、なにしろ四十数年、直せなかったものはもう無理かも──。そもそもデビューのきっかけも、田中康夫さんや泉麻人さんが、雑誌に、色んな大学はこう違うというようなコラムを書いていらしたのを見て、これなら私にも書けると、その女子高生バージョンを書いてみたのが始まりだったので──。というふうに、出自からして上下の区別ネタですし、私にはもしかしたら、そういうものしか見えないのかも、と思ったりもしています(笑)」