恋に堕ちると人はそれまでの物語を脱ぎ捨て、はだかんぼうになる

新刊著者インタビュー

更新日:2013/12/4

 江國香織の新刊『はだかんぼうたち』が上梓された。

「今回は文体で冒険しようとか時系列をバラバラにして描いてみようとか、最初にそういうのを決めないで描いた小説なんです。そういうふうに描いたのは久しぶりでした。昔よくやっていたように登場人物をつくっておいて、何が起こるかをただ見ようと思った。同じような描き方をしても、昔より遠くまで行けるんじゃないかって。ものの見方も年々変わっていくので、今だったらどこまで行けるのかを知りたかったんだと思います」

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江國香織

えくに・かおり●1964年東京生まれ。児童文学から出発し、恋愛小説、エッセイ、翻訳と幅広く活躍。92年『きらきらひかる』で紫式部文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、04年『号泣する準備はできていた』で直木賞、12年『犬とハモニカ』で川端康成文学賞を受賞。
 

 夜空に輝く月は美しい。でもそれを望遠鏡で見たら、どうだろう。再び原点に立つような気持ちで描かれた本作は、そんなスリリングな発見に満ちた恋愛小説だ。それは“江國香織がここまで描くんだ”という驚きでもある。

「なるべく野ざらしに、普段おそらく見せたくないと本人が思っているであろうところまで見せたかったんです。それは“おんなじじゃん”って気持ちがあったからかもしれない。熱愛してる人も恋愛なんて興味ないと思ってる人も、誰かを欲しいとは思っている。あるいは仕事をバリバリやっている人も専業主婦の人も、みんな、一見違ってても、みんな、おんなじように孤独だったりする。おんなじに見えるくらい表面の差をとれるといいなと。人々を裸にしたかったんですね。いろんな年齢のいろんな人々を出来るだけ無加工な感じで出したいと思った」

これは、ふたりの女の子のその後の物語でもある

 小説は歯科医の桃が、親友のヒビキの母・和枝の葬儀から帰宅したところから始まる。桃は婚約者同然だった石羽と別れたばかり。9歳年下の恋人・鯖崎に「会いたい」と思っている。

「あの冒頭の桃が鯖崎を想う場面というのは私の中では定番で、恋に堕ちるとそうなりますよねということがいくつか出てきます。その夜はお葬式の後なので、何か食べなきゃと思ったり、セックスをするとか生きてることを確認したくなる。桃はそれまでおそらく石羽と結婚するであろうという物語の中に生きていたけれど、今はその物語の外に出たばかり。それは単なる恋人のいる・いないではなく、自分が持っていたはずの物語を失っている状態で、そういう時に人はまさに“裸になる”。小説の冒頭が体の感覚がすごく濃い感じになっているのはそのせいで、桃がまさに一匹の動物として野に還り咲いたところだからだと思います」

 この小説で剥ぎ取られるのは、単に私たちが〈恋〉と呼んでいるものに張りついた上辺の虚飾だけではない。人は恋に堕ちたその時、それまで自分が生きてきた物語を脱ぎ捨てて〈はだかんぼう〉になるというわけだ。
「でも一番最初に浮かんだのは実は桃じゃなくてヒビキなんですよ」と江國さんは言う。
 今や4人の子持ちの主婦で、家事と子育てに奔走するヒビキは桃とは対照的な女性である。

「世の中にはいっぱいいますよね、ヒビキのような女性って。焼肉屋さんで家族で食事をしてるのを見て、大変そうだなって。小さい子の面倒を見ながらだとお母さん、ゆっくり食べられないし。でもその時の彼女がすごく魅力的だったんです。私の小説にも桃みたいな女性ばかり出てくる。桃みたいに自分の仕事も持ってて、恋人もいて、若い女の人がそれに憧れる気持ちもわかるけど、でもヒビキのほうがカッコよくないかって。ヒビキみたいな女性の魅力に気づく男性を描いてみたいと思って」

 それって、でもこれまで描いてきた世界をひっくり返すみたいなことですよね。江國香織、ちゃぶ台返し!みたいな(笑)。

「そうなんです(笑)。実際鯖崎がどんなふうにヒビキに惹かれるのかを描くのは大変でした。でも結果として結婚もしてるし、本当にモテてるのはヒビキのような女性じゃないかって。ふたりの対比は最初からすごく意識してましたね。その意味ではこれは少しだけ私の初期の小説の『ホリー・ガーデン』ぽくもあって、親友同士のその後のそれぞれの恋模様、女の子ふたりの話としても読めると思います」

 ヒビキの夫・隼人はかつては桃を狙っていたけれど、ヒビキと結婚して今は妻を愛しているし、桃の恋人の鯖崎もヒビキに惹かれていく。女性にとってはなぜ桃がヒビキに負けるのかも興味深いのではないか。

「たぶん実際も負けるんですよ、桃のような女性は、ヒビキみたいな女性に。周りを見ててもそう思う。なぜでしょうね」

 たとえば桃の鯖崎に対するあのものわかりのよさ、あれ、いけないんじゃないかって。

「いけないんでしょうね、たぶんね。ヒビキだったら、もし夫が浮気したら泣くとか怒るとかして逆上すると思うんですよ。でも桃は怒れない。もともと結婚してない以上、自由であるという建前もあるけど、そんなふうに感情を剥き出しに出来ない。それは自己愛が強いからでもあって、そんなみっともないことはしたくない。ヒビキみたいに自分のことより相手が好きで、自分がみっともなかろうが相手に向かっていくのとはすごく差を生むでしょうね」

 そういう桃にしても、自分の気持ちに忠実であろうとしたら、鯖崎をとって石羽とは別れることになってしまった。

「そこが恋愛の危険なところですよね。別に誰も探してないという時に限って、そういうことが起きる。でもそうなって初めて自然に出会えるんじゃないかって気もするんです。探してる時はどこかでちょっと物色してるからどうしても不自然になるけど、探してない、要らないと思ってる時は人間同士で出会っちゃうから。それでまるで運命かのようによんどころなく流されて、そんなつもりはなかったのに一直線になるしかない」