隔壁を乗り越えた先にある違う世界 それを見てみたいと思うんです

新刊著者インタビュー

公開日:2014/3/6

 海に囲まれた国、日本。
 私たちは水平線広がる大海原の懐に抱かれて生きてきた。
 服部真澄さんの新作『深海のアトム』は、そんな日本の中でもとりわけ海と深く結びついてきた東北の架空のエリア「陸滸国(リアス・エリア)」が舞台になっている。
 海の恵みに頼って暮らしてきた陸滸国では、今も漁業は地域の一大産業だ。
 だが、それだけで経済を支えることはもはや難しい時代。土地の政治家や有力者は考える。もっと手っ取り早く大金を掴む方法はないか、と。そんな彼らの目に「原発建設」の甘い誘惑が飛び込んでくる。

服部真澄

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はっとり・ますみ●1961年、東京都生まれ。95年、『龍の契り』でデビュー。97年、『鷲の驕り』で第18回吉川英治文学新人賞を受賞。著作に『ディール・メイカー』『清談 佛々堂先生』『海国記 平家の時代』『最勝王』『ポジ・スパイラル』『エクサバイト』『KATANA』『天の方舟』など多数。
 

「2011年に起こった東日本大震災は、私にとってもやはりショッキングな出来事でした。想像を絶する自然災害、そして未曾有の原発事故という大きな出来事を目の当たりにし、私自身の考え方も変わらざるをえないところもありましたし、今まで生きてきた流れのなかに一つの傷ができたような、バリアができたような、とにかく容易には表現しがたい思いが強く残りもしました。ですから、そこから抜け出すにはどうしたらいいかというのを小説のなかで考えてみたいと思ったのが、執筆を始めたきっかけです」

 だが、本作はただ単に震災の悲劇を描くものではない。

 そこから一歩も二歩も踏み込んで、国際的な資源問題を大きな背景に、それぞれの理想や思惑を抱えて動く人々が織りなすダイナミックな人間ドラマになっているのだ。

野心、復讐心、金銭欲……
あらゆる感情を飲み込む海

 陸滸国の寒村で生まれ育った少年・カイは、有力者一族が地域社会を意のままにしている現実から逃げるため、一か八かの賭けに出る。
 米国にある「キタヒロ生物資源開発研究所」では、最高の頭脳を持つ世界的なVIP・キタヒロ名誉教授が、“投げ文”という古風な方法で飛び込んできた情報を元に陸滸国行きを決心する。
 そして、深海探査船「ステラマリス」の船上では、陸滸国出身の若き研究員・湊屋理央が、ナターリア・カルドーザ教授から陸滸国沿岸漁業の新しいビジネスを持ちかけられる。
 遠く離れた場所で動き出した3つの異なる物語。だが、それらは見えざる糸で繋がっていた。
 そして、徐々に強くなっていく張力が、関係する人々の思惑を浮き彫りにし、事態を動かしていく。

「私は常に、普通とはちょっと離れた視点を持ちたいと思っているんです。起こった出来事について、感情的に考えるのは簡単です。だけど、それだけでは満足できない。物事を斜めから見るのが好きなのかな。とにかく、全く違う観点から捉えることはできないかと、考えずには気が済まないのです」

 それは、眼前で大きな悲劇が起こった場合も同様だ。

「被害を受けた方々に同情して一緒に泣くのはもちろん大切なことです。しかし、同時に二度と同じような状況を生まないためにどうすればいいのか、冷静に調査し、分析する冷めた頭脳も必要です。報道でもそうですよね。心に寄り添うことを目的にする報道もあるし、ひたすら事実を検証していく番組もある。私の場合は、さらに現実から離れて、
パラレル・ワールド的な場所を設定することで、現実世界で起きていることとは別の解決策もあるはずだということを示してみたかったのかもしれません」

 少しずれるかもしれませんが、との前置きの後、服部さんはこう続けた。

「『少女パレアナ』という米国文学をご存じですか?」

 一定の年齢層ならアニメ『愛少女ポリアンナ物語』の原作として記憶しているのではないだろうか。20世紀前期の作家、エレナ・ポーターが書いた家庭小説である。

「あの小説の主人公であるパレアナという女の子はどんなに厳しい状況に陥っても、『よかった探し』というのをして、今起こっている出来事の良い一面を見つけ出そうとします。ただ単に楽天家というわけではなく、今の状況の何かを置き換えてみれば、つまり観点を変えてみれば違った風景が見えてくる。それにちょっと近い作業を、小説を通してやってみようと思いまして」

 服部さんの小説の魅力は、なんといってもそのスケールの大きさだ。
 中国への返還を目前に控え、揺れるイギリス統治時代の香港を舞台に、あってはならぬ「契約書」を巡って死闘を繰り広げる人々の謀略劇『龍の契り』で衝撃のデビューを果たして以来、現実の国際問題や経済問題に材をとった骨太の小説を次々に発表してきた。
 国際援助の裏側で蠢く魑魅魍魎たちの世界でのし上がっていく女性の生涯を描いた『天の方舟』はテレビドラマ化され、昨年の国際エミー賞にノミネートされたのも記憶に新しい。
 国際社会というマクロ的世界と、一個人の生い立ちや心情というミクロの世界。
 その二つが絶妙なバランスで配合され、躍動するドラマを生んでいく服部作品の美点は、本作でも遺憾なく発揮されている。
 陸滸国の政治家や有力者たちは、町の基幹産業である漁業にはもう未来がないと思い込んでいる。だから、時には汚い手を使ってでも、町に濡れ手に粟の大金を運んできてくれる原発誘致に奔走する。

 だが、外側から目のある人間が見れば、陸滸国の海洋資源は大きなポテンシャルを秘めた宝の山だ。
 小さな町で、ある意味チンケな利権がらみの陰謀が進む中、彼らのあずかり知らぬ場所で世界規模の謀略が進んでいく。
 だが、世界を牛耳るメインプレイヤー気取りの連中が気づけもしない小さな場所では、名も無き少年が人類の歴史に刻まれるような大発見をする。
 大が小を飲み込み、小が大を穿つ。そして、問答無用に襲いかかる自然の脅威。
 小説というフィクションでしか得ることのできない興奮が、この一冊にぎっしりと詰まっているのだ。