人生疲れ気味のあなたに読んでほしい 深呼吸したくなるような山小説―北村薫インタビュー

新刊著者インタビュー

更新日:2014/6/6

人生80年の時代だ。40歳なんてまだまだ半分、なのかもしれない。しかし、実際にアラフォーといわれる年齢になると、あらゆる場面で否が応でも「もう若くはない」自分を意識する。
 たとえば仕事で理不尽なことが起きたとして、昔ならば、正面切って噛みつきにいったのに、近頃は妙に物分かりよくやり過ごそうとする。処世術が身についたといえば聞こえはいいが、ある種のエネルギーのようなものが、いつのまにか消えている。
 北村薫さんの新刊『八月の六日間』の主人公は、今まさにそうした時期にさしかかろうとしている、とある文芸誌の女性副編集長だ。

北村 薫

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きたむら・かおる●1949年、、埼玉県生まれ。高校教諭だった89年に『空飛ぶ馬』でデビュー。91年『夜の蝉』で日本推理作家協会賞、2009年に『鷺と雪』で直木賞を受賞。本格ミステリから一般文芸まで幅広い作風で著書多数。近著に『書かずにはいられない 北村薫のエッセイ』がある。
 

「人生の端緒についたばかりの世代でも、リタイア世代とも違う。最も正面を向きながら生きていかねばならない時期が40歳前後の時期だと思います。職場やプライベートを問わず、これまでの経験値だけでは解決がつかないことも出てくるけれども、逃げはできない。どれだけつらくても生まれてきた以上、自分への責任として生きていかなければならない。そういうことを感じ始める時期なのではないでしょうか」

山を登って見えてくる私
私を束縛する過去からの解放

 そんな世代に適した心の疲労回復の方法は?と考えた時、思い当たったのが「登山」だったという。

「知人の編集者に登山好きがいるのですが、彼女の話を聞いているうちに、『あ、これは』と思いまして。山は異界であり、非日常です。だからこそ、自分の中にある、普段は目をつぶっている部分とも向き合うことができる。抱えている苦しみや解決しがたい思いを見つめる機会を得て、その果てにひとつの場所─なにかの解放に辿り着ければいいなと考えながら書き進めました」

 ちょっと強引な同僚に誘われ、登山に初挑戦することになった主人公。行き先は南大菩薩連嶺の南端となる滝子山だ。

 標高は1620メートル。比較的なだらかな登山コースが続くが、山は山だ。何があるかわからない。案の定、彼女らは分岐点を間違え、沢に入ってしまい、そこで運命の時を迎えてしまう。
 

 細い涸れ沢だった。その上を、紅葉のアーチが先まで続いていた。木漏れ日がやさしく落ち、葉のひとつひとつが頭上できらめいていた。(P14)
 

 この世のものとは思えない眺めに心を奪われた、“わたし”は山にのめり込んでいく。

 厳しいけれども美しい自然。そして他の登山者との触れ合い。山小屋で見つけた室生犀星の詩集。そうしたものの一つ一つが、魂を洗ってくれるのだ。

「登山を始めた頃、まだ30代だった彼女は、作品中で40歳の峠を越していきます。その間、さまざまなことが彼女の身の上に起こる。そりの合わない上司との衝突。かつて交際していた男性の結婚。そして、心開ける友人の死。手に入れたはずのものを削ぎ取られていくわけです。そんな時、人はジタバタしながら生きていくしかありません。そして、いつかそのジタバタと折り合えるようになっていきます」

 心の中にある克服できない傷や、いつまでも抜けない棘を見つめなおすために、彼女は山に行く。そして、登りながらとりとめなく胸に去来するあれこれに、思う存分浸りきる。それは、山でしかできない。だから、山に登るのだ。

 そんな彼女の行動を追っていくうちに、こちらも歩みをともにしているような気分になってくるから不思議だ。

「僕も書きながらやっぱりそういう感じがしたものでした。『山は人生そのものである』という言い方がありますね。非常に陳腐なようだけど、実際にその通りだと思うのです。ただ単に山頂に向かえばいいというものではない。脇道に逸れてみると思わぬ景色に出会うこともあるでしょうし、心の緩みや判断ミスで遭難しそうになることもある。比喩としてではなく、実際に起こりうることです。そして、それらの一つ一つが人生に重なってくる。山を歩きつつ、彼女の胸に迫ってくるさまざまな思いは、いろんな人に共通するんじゃないかな。僕自身、彼女の思いを追体験することで救われた部分がありました」