次々と洗脳されてゆく家族 衝撃の“一家乗っ取り”サスペンス/『寄居虫女』櫛木理宇

新刊著者インタビュー

更新日:2014/9/29

 タイトルは「ヤドカリオンナ」と読む。縁もゆかりもない家庭に言葉巧みに入りこみ、洗脳し、服従させ、暴虐のかぎりを尽くして去ってゆく、まさにヤドカリのような女性犯罪者・山口葉月の恐怖を描いたサスペンス長編である。

櫛木理宇

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くしき・りう●1972年、新潟県生まれ。2012年『ホーンテッド・キャンパス』で第19回日本ホラー小説大賞読者賞、『赤と白』で第25回小説すばる新人賞を受賞してデビュー。「ホーンテッド・キャンパス」は現在第6作まで刊行されている大人気シリーズ。他の作品に『避雷針の夏』など。

「日本って知らない人が家庭に入りこんでくることが、まずないじゃないですか。その分、一度入りこまれてしまったらもろいと思うんです。家に入れるからには入れるだけの理由があって、その時点で心を許してしまっている。海外の有名なシリアルキラーより、日本人にはこういう犯罪者の方が身につまされて、怖い気がするんですよ」

と、作品テーマである“一家乗っ取り”について分析した櫛木理宇さん。こうした犯罪を絵空事と切り捨てるわけにはいかないのは、よく似た事件が現実に起こっているからだ。一昨年世間を騒がせた〈尼崎連続変死事件〉はまだ記憶に新しいし、2002年に発覚した〈北九州監禁殺人事件〉では、支配された一家が家族同士で殺し合うという凄惨な結果を招いた。本作も過去のこうした事件がモチーフとなっている。

「北九州事件の犯人は、男手がある家でもお構いなしに乗りこんで、家族を思うがままに操っています。被害者の中には元警察官もいたんですが、歯向かうことができなかった。洗脳はそこまで人を自由にできるものなのか、と衝撃的でしたね。これまでにも新堂冬樹さんや誉田哲也さんがモチーフにされていますが、私はまた違った角度からあの事件を描いてみたかった。コンセプトは“若い女性でも読める北九州事件”。だから、心理的な洗脳の怖さが中心になっています」

洗脳の過程をどう描くか それが作品の肝でした

溺愛していた息子を突如交通事故で失い、抜けがらのようになっていた主婦・皆川留美子。ある朝、彼女の前にがりがりに痩せこけた幼い子ども・山口朋巳が現れる。風呂にも入らず、食事もとっていない様子の朋巳に、同情心と母性本能を刺激された留美子は、家族の猛反対を押し切って、朋巳をしばらく保護することに決める。それが巧妙に仕組まれた罠だとも知らずに──。

「この作品はすごく早く書けたんです。全部で530枚くらいあるんですが、400枚までは約2週間で書けた。私的にも最速のペースです。書いていて楽しかったんでしょうね。先の展開がすべて頭の中にできあがっていたので、あとは書くだけという感じでした。3章まで一気に書いたので、ちょっとクールダウンしようと思って、1週間時間をおいて第4章を書き上げました」

売れっ子作家になった今でも、平日は会社で働いているという櫛木さん。それでこの執筆ペースは驚異的。本作への思い入れを物語るものだろう。

皆川家に保護された朋巳を追って、やがて母親だという女・山口葉月がやって来る。素顔が見えないほどの厚化粧、フランス人形のようなワンピース、肘まである長い手袋をつけ、日傘を差しているという、なんとも異様な風体の女だ。葉月はまんまと皆川家に入りこむと、留美子に日常の鬱憤や不満を打ちあけさせる。夫にも3人の娘たちにも相手にされていないと感じていた留美子は、話を聞いてもらえる心地よさから、じわじわと葉月に取り込まれてゆく。

「葉月は疑似家族の母親のような役割を演じるんです。何でも相談に乗ってやるふりをして、心の中を吐き出させる。話をするのって気持ちがいいですから。聞いてもらっているうちに、依存度が高くなってしまう。葉月の声がよくて、話し方が丁寧というのは、ある実在の女性殺人犯をヒントにしています。容姿よりも、言葉遣いが丁寧で声が綺麗だと、人間ってつい信頼してしまうものらしいんですよ」

留美子から睡眠時間と正常な判断力を奪いながら、葉月は三女・亜由美を次なるターゲットに定めていた。べたべた甘やかしたかと思うと、冷淡にあしらい、叱責する。そんなアメとムチの仕打ちで、少しずつ支配下に置かれてゆく亜由美。

一方、大学生の長女・琴美の前には、葉月の弟だという圭介が現れる。すっかり圭介を信用しきった琴美は、やがて仕向けられるがままに亜由美を憎むようになってゆく。人間の弱さを知り尽くした乗っ取り犯の狡猾さ、邪悪さにはぞっとさせられるばかりだ。

「ラストに仕掛けのある作品なんですが、そこを除いても面白くなるように、洗脳のところだけで読者の興味を引っ張っていこうと。途中で“こんなことあるわけない”と思われたら作品が成立しないですから、洗脳をどう書くかが肝でした。拷問や洗脳のテクニックは、内外の犯罪研究書を参考にしています。一日中眠らせない、過去を語らせて証文を取る、というのは北九州の事件でも行われていたことなんです」

睡眠不足と栄養失調でふらふらになった留美子が、無数の蟻の幻覚を見るというシーンも凄まじい。

「長時間寝ていないと蟻が這っているような、肌がざわざわした感じになるんですよ。蟻走感っていうんですけど。以前不眠症だったことがあって、その経験が役に立ちましたね(笑)」

仕事と浮気で留守がちの父親は、家庭内の異変にほとんど気づかずにいる。ただ高校生の二女・美海だけが、変わってゆく家族の姿に危機感を覚え、葉月たちとは距離を置いて、正気を保とうとする。そんな様子に業を煮やした葉月は、とうとう強硬手段に打って出るが……。

家庭内で“透明人間”として扱われてきた美海が、侵入者に絶望的な闘いを挑んでゆく姿がなんとも悲痛で胸を揺さぶる。疎外された少女の闘いというテーマは、『赤と白』『避雷針の夏』などの作品と共通するものだ。

「その3作は少女の孤独、不安定さがテーマになっています。少女って特殊な時期じゃないですか。人生の中で一番突飛なことをしでかしそうな年代。大学生にはできないことも、16〜17歳ならやれてしまう。自分が少女じゃなくなったこの年齢だからこそ、逆に憧憬を感じているんだと思います。自分の過去の反映というよりは、遠いところにいるもの、まったく異なる存在として描いています」