伊集院静氏「電子書籍は文章だけでは伝えられない“何か”を表現できる」

新刊著者インタビュー

更新日:2013/8/13

数々の文学賞を受賞し、精力的に執筆を続ける、作家・伊集院静さん。
2011年3月11日、仙台の自宅で東日本大震災に被災しました。
そこで目の当たりしたこと、そして、危機を前にして、
「大人の男」が振る舞うべき姿を指南したのが、電子書籍『男の流儀入門【震災編】』です。
本書には伊集院さんの動画インタビュー5本を所収。
電子書籍ならではの読み方・感じ方ができる、今後の展開への期待が高まる新シリーズです。
 

本書の大きな読みどころが動画インタビュー。
作家の肉声がダイレクトに伝わってくる

伊集院 静

いじゅういん・しずか●作家。1950年、山口県生まれ。立教大学文学部卒業。CMディレクターなどを経て、81年『皐月』でデビュー。91年『乳房』で吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で直木賞、94年『機関車先生』で柴田錬三郎賞、02年『ごろごろ』で吉川英治賞受賞。主な著書に『海峡』三部作、『美の旅人』『お父やんとオジさん』『いねむり先生』『星月夜』など多数。『大人の流儀』シリーズなどのエッセイも幅広い読者から大好評でベストセラーに。電子書籍では『なぎさホテル』に続く第二作が『男の流儀入門』。シリーズとして、今後、「恋愛編」「遊び編」などを順次配信予定。

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――『男の流儀入門【震災編】』では、伊集院さんの動画インタビューが非常に印象的でした。どうやって撮影されたのでしょうか?

伊集院: ハンディカメラで、撮影はぶっつけ本番。テイクも1回のみ。何の演出もしなかったし、何を語るか原稿も用意しなかった。大人の男の話をするんですから、どんな質問をぶつけられても、その場で答えられるはずです。

――語られるフレーズのひとつひとつに力がありました。たとえば、「すぐそばで愛する人間が家屋の中で下敷きになっていたとする。ところが震災は必ず余震が来るから、一人でやっても無理な場合は助けを求める。それでもだめな場合は、ある時に諦めなきゃだめだ」という第一章の総括にある言葉に衝撃を受けました。確かにそのとおりなのですが、ここまで言い切るのは勇気がいると思いました。なぜ、伊集院さんはそう言い切れたのでしょうか。

伊集院: それは私が作家であり、震災のただ中にいたからです。私自身が迷いながら話しているからリアルなんでしょう。人間は他人を救うことは容易にはできないことを肝に銘じておかなければなりません。大きな地震がきたとき、大人の男がまずすべきことは自分の生命の確保だ。それができなければ、愛する家族を守り、共に生き抜くことはできないからね。震災の現場では、家長である男、あるいは家長を失った家では「大人の男になるべき青年」が家族に指示をし、難局を乗り越えるさまを私自身が実際に目にしている。こういう災害の時こそ、短い時間で判断と決断するために強い精神が大事です。もうひとつ、多くの人が来ないと思っているのが災害だから、大人の男というのは災害を「来るべきものが来た」という態度でうろたえることなく、冷静に行動しなければなりません。これは地震の多い日本に生まれた宿命です。

――そのとおりだと思います。『男の流儀入門【震災編】』では先のフレーズ以外にも、マスコミ報道の欺瞞など、「えっ! そんなことまで言い切っていいの!?」と紙の書籍ではあまり言及されないことが文章にも動画インタビューにもあります。これもまた電子書籍だから可能だったのでしょうか?

伊集院: 怖いものがないのかもしれないね(笑)。作家、それに大人の男というのは何事に対しても必要以上に恐れを感じてはだめなんだよ。それに、動画や音声を収録できる電子書籍は、観念的な表現を得意とする紙の書籍より、本音をぶつけやすいメディアでしょうね。そういう特性を十分に理解・活用しないと、これから始まる「電子書籍大航海時代」に足跡を残すことはできない。

モノクロの動画インタビューで読者に語りかける伊集院さん。3月11日当日、その場にいた作家が語る一つひとつのフレーズは、淡々としていながら、底知れない力がある

 

小説に「文体」があるように電子書籍には「話体」が必要。
そこには強烈なキャラクター性がなければならない

――『男の流儀入門【震災編】』は伊集院さんの文章と宮澤正明さんの写真、そしてモノクロの動画インタビューの3本柱で、これまでにない電子書籍エッセイの地平線を切り拓いたと思います。ビジュアル誌とドキュメンタリー番組の両方を兼ね備えた作品とした狙いはどこにあったのでしょう。

伊集院: それは電子書籍ならできるからです。読者のイメージを喚起させるためには動画や写真が非常に大事。特に、最初に目にする表紙では、どういう場所で撮影し、どういう角度で表情を切り取るかを考えたわけだ。表紙はイメージの入り口であるから、つくり手の美意識が表れる。何でもかまわないということではない。こういうところに、いまだ気づいていない作家や編集者が多いね。わかっている人はわかっているけれど。

――その他、電子書籍制作にあたって意識したことはありますか?

伊集院: 作家の文章に“文体”があるように、動画インタビューにも話すときの文体とでもいうべき“話体”があるということを意識する必要があるかもしれませんね。私が初めてそれを意識したのは、小林秀雄の講演テープを聞いたときです。今は新潮社からCDが刊行されている(※注:新潮CD 小林秀雄講演(全8巻))ので、一度、聴いてみるといい。まるで(三遊亭)圓生、(桂)文楽の高座を聴いているかのような完成度の高い話芸がそこにある。動画インタビューを収録するならば、文体をつくるように、話し手は“話体”をつくったほうがいいでしょう。だが、それだけではありませんが。

――「話体」に加えて、何が必要なのでしょうか?

伊集院: それは最強のキャラクターをつくるということでしょう。最強の立場でいるというのが、実はとても大事。昨今のアメリカのように99:1という“勝者総取り”は行き過ぎた形だが、最強のキャラでないと伝えられない、伝わらないことがある。前回も話したとおり、電子書籍化においては、「電子書籍」が主人公。そこに明確な顔つき(キャラクター)を加えないと、読者はそこにある世界の中に入っていきづらいだろう。こうしたキャラクター造形は多少、虚像が入っていてもかまわないと私は思っている。“最強のキャラ”をつくるには、動画がとても重要な要素になる。

宮澤正明さんの写真も本書の見どころのひとつ。本編で伊集院さんの文章と写真がコラージュされ、その両方が相まって強いメッセージ性を生みだしている