メンソレータムで有名な近江兄弟社創業者の成功させるためなら手段を選ばなかった商法とは?

新刊著者インタビュー

更新日:2017/1/6

天皇との会話のシーンに、ヴォーリズのすべてを集約

 ヴォーリズは人との出会いにも恵まれていた。なかでも38歳のとき結婚した一柳満喜子は華族の生まれでアメリカに9年間も留学していた才女。先駆的教育者アリス・M・ベーコンのもとに下宿していた満喜子はキリスト教信仰にも理解があり、ヴォーリズにとってこれ以上ないほどの良縁だった。

「この2人に共通しているのは、世のため人のために新しいことをはじめるのが楽しくて仕方がない点ですね」

 しかしその後、時代の雲行きはどんどん怪しくなっていく。日露戦争から第一次世界大戦まで日米関係は良好だった。しかしアメリカの移民法の人種差別的改正や、満州事変を機に受けたアメリカからの経済制裁により、反米感情が高まっていったのだ。そこでヴォーリズが下した決断は日本への帰化。当時は、キリスト教から神道へ宗旨替えもする必要があった。名前も「米来留」になったが、1941年12月、ハワイの真珠湾で日米戦争が勃発してしまう。

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「たった数年で世界の勢力図が激変した大変な時代ですよね。ヴォーリズも当時を生きていた日本人も気がついたら戦争がはじまっていたという感覚で、情勢の急激な変化についていけなかったんじゃないかと思います。そんな状況のなか彼は迫害されたこともあったようで、日本とアメリカのどちらに肩入れするとか単純に割り切れない話なので、そこを書くときはだいぶ苦労した覚えがあります」

 実際、本書で彼は帰化したあともキリストへの祈りを続けている。日本人になっても心のなかはアメリカ人である自分を必死で守り続けていた彼の頑なな意思はしかし、終戦を告げる天皇の玉音放送の言葉によって一気に決壊する。そしてのちに「天皇を守ったアメリカ人」と称されるきっかけとなったマッカーサー元師宛の手紙と、元師と当時の総理大臣・近衛文麿を仲介したエピソードが描かれる。

「あの玉音放送のシーンは書いていてとても充実感がありました。マッカーサー宛の手紙はいろんな説がありますが、それを本人が確認したかどうかは誰もわからないんですよね。ですから僕は史実として確認できたことだけを忠実に守りました。逆に一番想像を膨らませて自由に書いたのは、彼と昭和天皇が京都御所で会話する場面です。あそこはこの小説の一番のポイントで、ヴォーリズについてそれまで書いてきたテーマをすべて集約させました。そういう意味で今回は、多面的な顔を持つ彼の人物像の一歩奥まで踏み込むことができたと思います。読者にはそこから彼の人間性やテーマさえ感じ取ってもらえれば、他の情報は全部忘れてもらっても構わないというぐらいの気持ちですね。自分を信じることができる人間の強さが伝わると嬉しいです」

取材・文=樺山美夏 写真=富永智子

 

紙『屋根をかける人』

門井慶喜 KADOKAWA 1600円(税別)

明治末期にキリスト教の伝道者として来日したメレル・ヴォーリズは日本の何に魅せられ、日本で何を志し、なぜ日本人として生きたかったのか? 24歳ではじめて近江八幡に居を構えてから83歳で軽井沢で召天するまでの生涯を描き、その幅広い活動と人間関係、天皇への思い、そして知られざる人物像を浮き彫りにした歴史小説。