ネコに愛される写真家・岩合光昭氏が撮影した、世界中のネコと風景

新刊著者インタビュー

更新日:2014/2/24

世界中のネコと動物を撮り続けている岩合光昭さん。
たとえばイタリアではノラのネコたちを「自由ネコ」と呼ぶのだとか。
とてもすてきな言葉です。後編では思い出に残るネコと街、
そしてそこに住む人たちの撮影秘話と今後の展開についてお話をうかがいました。

なぜ岩合さんの写真のネコは
真正面からレンズを見つめているのか

岩合光昭

いわごう・みつあき●1950年東京都生まれ。動物写真家。『ナショナルジオグラフィック』の表紙を飾るなど、全世界で高い評価を得ている。アフリカの野生動物を撮影した写真集『おきて』は全世界で20万部のベストセラーに。また、ライフワークとしてネコの写真を40年近く撮り続けており、妻・日出子氏との共著『海ちゃん‐ある猫の物語』ほか、『ニッポンの猫』、『そっとネコぼけ』などネコ写真集も多数出版。3月10日写真集『ぱんだ』(クレヴィス)が刊行され、3月20日まで上野松坂屋で写真展「ぱんだ」が開催中。

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――岩合さんの写真のネコはまっすぐレンズを見つめています。表情だけでなくそのネコが持つ気配までが写し出されていて自然なんです。どのように撮影されているのでしょうか?

【岩合】ネコに向かって「ぼくは怖くないです」という態度を示します。これは野生動物でも同じです。たとえば、ライオンと対峙したとき私たちは怖いと思う。しかし、向こうも怖いと思っているんです。それはイヌでも同じ。「このイヌ、噛むかな」と感じたら近づかないほうがいい。そう感じた瞬間にすでに相手に伝わっていますから。だから、そういう気持ちをわからせないように、すうっと入っていく。ライオンに噛まれそうになったこともありますが、世界中の野生動物を撮影する経験を重ねて、自然に接することができるようになりました。撮影では互いに隙を与えない関係というか、距離感が大事なんです。

――ノラのネコたちは警戒感がとても強いですよね。それなのにとても近くで撮影されているようです。これは岩合さんを警戒していないってことだと思うのですが、どうしたらそういうネコとのお付き合いができるのでしょう?

【岩合】自分でもよくわからないんです(笑)。先日、アメリカのミシシッピ川流域のネコを撮影しにいったとき、道にいたネコがぽんとぼくの膝に乗ってきました。「自分以外の人の膝に乗るのを初めてだ!」と飼い主に言われました。ネコは互いにばったりと出会ったとき、体全体から醸し出される気配を見ています。そういう五感、もしかしたら六感といってもいいかもしれませんが、それがネコは凝縮して存在している。僕はそれを見るのが好きなんです。そういう気持ちがネコに伝わっているかもしれませんね。
顔が傷だらけの雄猫と出会うと、「やぁ!」とか「おぅ!」とか声をかけます。こういうネコは人から声をかけられたことがない。「えっ。オレのこと???」という表情をします。「そうだよ、お前のことだよ!」と話しかけると、すっと撮影に入っていけたりすることが多い。こちらが肩肘を張ると、ネコが警戒してしまいます。それは野生動物も同じですね。

――なるほど。だから岩合さん撮影するネコは人工的な可愛らしさではなく、存在そのものが写し出されているんですね。電子書籍版の『ちょっとネコぼけ』にはつくりものではないないネコたちの様子が掲載されていて、すごく満たされた気持ちになります。

【岩合】ネコは人が都市生活をするうちに失った感覚を呼び覚ましてくれます。今、世界中でネコと一緒に生活する人が増えています。ぼくはそれには理由があると思うんです。ヒゲが前にふっとふくらんで高いところにジャンプしたり、素晴らしいバランス感覚と俊敏さがある。僕たちはこういうネコの動きを見て、「すごいなぁ」と口を開けて見ほれてしまうことがありますよね。でも、本当はかつての僕らにもできた動きだったかもしれない。いつしか失ってしまった感覚を、彼・彼女から得ようとしている。だからヒトはネコと生活したいと思うのではないでしょうか。

 

「新潟県のワイナリーで見かけた、立派な雄猫です。朝のパトロール中ですね」と岩合さん。地面に腹ばいになって撮影した一枚。こんなエピソードが音声解説で聴けます

 

ネコの一番好きなところは差別がないこと

――岩合さんは1978年に刊行した『愛するねこたち』からずっとネコを撮り続けていらっしゃいます。なぜネコの写真がライフワークになっているのでしょう?

【岩合】ネコで一番好きなのは差別しないところです。プラスでもマイナスでも関わりには違いがなく見えます。全体の気配で判断しているのでしょうね。そこが素晴らしいと思うんです。人は相手の顔を見て判断しますよね。イヌもいわゆる相手を見ます。イヌの写真も撮りますが、飼い主の気合いの入れ方が違う。またそうでないと撮影は難しい。でも、ネコは「どこそこのバス亭まで来たらわかりますよ」というやわらかい感じだし、それに会ってみると飼い主の衣服にはネコの毛が浮いていたりする(笑)。そういう肩に力の入らない距離感というか関係性がぼくにとっては心地良かったりもするんです。

――その感覚は野生動物の写真集『生きもののおきて』や『どうぶつ家族』からも伝わってきます。そこにあるがまま、生きるままが写し出されているから、印象が鮮明なのかもしれません。

【岩合】猫じゃらしを目の前で動かして、丸くなった瞳孔のネコは可愛らしく見えるかもしれません。しかし、それをやるとネコが驚いてしまって、けっして自然ではないのです。例えば、迫力のある映像を撮影しようとすると、野生動物を驚かせてしまうことがある。わざわざ飛びかかってくる動きを無理に演出して撮影すると、見る人が感動すると思う節がある。しかし、そういう写真は今の時代にはそぐわないと、ぼくは思っています。
「なんでそういう言葉を使うのだろう」とたびたび感じるのは、野生動物の映像のナレーション。「ライオンが餌を食べています」と説明してしまったりする。餌というのはヒトから与えられたものです。野生のライオンにとっては餌ではなく生きていくための狩りであり、食事です。こういうところから意識改革をしないといけないのではないでしょうか。

「鳩に向かってぱっと飛びかかるのですがそんなに簡単には捕まりません。ネコも鳩もお互いわかっていて、遊んでいるのかも」と岩合さん