保育園の役員疲れ、既婚トレーナーへの恋心…『なんで僕に聞くんだろう。』幡野広志さんの回答は?【人生相談】

暮らし

更新日:2020/3/4

©️Yukari Hatano

 2017年、血液のがんである「多発性骨髄腫」を発病、医師から余命3年と宣告された写真家の幡野広志さん。このことを書いたブログ「ガンになって気づくこと。」が反響を呼び、多くの人から闘病を応援する声が届く中、幡野さんへの相談が届くようになった。これに答えた連載「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。」から37のコラムを選び、このたび一冊の本としてまとめられた。

「ダ・ヴィンチニュース」では幡野さんへの相談を募集。寄せられた読者からの相談に答えていただきながら、本書『なんで僕に聞くんだろう。』(幻冬舎)について語っていただいた。

※相談は寄せられた原文のまま掲載しています。

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私の体重を半分にしてくれた、既婚トレーナーへの恋心

【質問1】
(匿名希望/26歳)
はじめまして。いきなりですが、私は2年前まで100kg近くありました。今はだいたい半分くらいの体重です。2年前、パーソナルジムに通い、お金と時間をかけて痩せました。なぜ、体重の話をしたのかと言うと、ここから、私の自己肯定感の低さを感じていただけると思ったからです。そして、これからお話しすることの矛盾を感じ取っていただけると思うからです。2年前、パーソナルジムの門をたたきました。100kg近くまで太ってしまって、もう1人では痩せられないと思ったからです。担当トレーナーは1つ下の男性でした。男友達は一般的な女の子と変わらず、私にもいて、特に男性に対して苦手意識があるわけではありません。最初は普通に、トレーナーとトレーニングをして筋トレが楽しくなりました。体重が落ちて、変化していく自分を見ているのが楽しくて、あっという間に2年経ちました。2年間で、変わったことは、私の見た目と、私のトレーナーに対する気持ちです。好きになりました。沢山、可愛いと言ってくれました。早く会いたいと言ってくれていました。トレーニングの合間でする会話で、彼氏がいるのかを聞かれた際、私も「彼女がいるのか」聞いたことがあります。「2年前に別れちゃったんですよね」が、彼の答えでした。今考えれば、「いない」とは言っていません。「いない」と思ったのは私の思い込みです。先日、とあることから彼が2年前に結婚していて、子供もいることがわかりました。びっくりしました。私に可愛い、早く会いたいと言っていたのは奥様が妊娠していた期間です。とても悲しくなりました。すこしは、好意を持ってくれているのではないか。そんな期待が、全部崩れ去りました。当たり前です。わかっています。営業トークの一環でしかなく、なんの気持ちもこもっていないことくらい。それでも、期待してしまった私がいます。結婚していることを知った後も、私は同じトレーナーでパーソナルジムに通い続けています。結婚しているとわかった瞬間以外、心が乱れることもなく、笑顔でトレーニングに行っています。何事もなかったかのように振る舞えていると思います。トレーニングをこの担当トレーナーと続けられるなら、私はそれだけで幸せなんです。身体に関してはそれでもいいと思います。ただ、私ももう26歳で周りの友達は結婚している子が増えてきました。焦りから、マッチングアプリに登録したら彼と似たような人と会うことになり、なんとなく今も連絡を取り、会っています。ただ、私は今、他に人を好きになれるとは思えません。26年間生きてきて、人並みに恋をし、失恋もしたことがあるので、こんな気持ちはいつか笑い話になる日が来るのもわかっています。先日、担当トレーナーから「人を本気で好きになったことはありますか?」と聞かれました。笑って、「ありますよ、わたしにも」と答えました。あなただったんです。私が、本気で好きだったのは。そんなことは言えないから、笑いました。幡野さんからしてみれば、ただの勘違いした女の失恋話かもしれません。誰にも言えずに心に秘めていた恋が終わったこと、誰かに伝えたかった。このジムに通い続けることは、私の身体を変えていくのにとても必要です。今までそれに付き合ってくれたトレーナーを変える気もありません。でも、顔を見ていると、好きだなと思います。会い続けると先に進めない気がします。ただ、それでもいいかなと思ってしまっています。駄文で申し訳ありません。お目に触れることがあれば光栄です。

 自分のことだけをぱーっと話してますよね。僕はこういう、読む人のことを考えない、改行のない相談を「ようかん」と呼んでいるんですが、自分しか見えてない人は恋愛に向かないと思いますよ。恋愛って、コミュニケーションじゃないですか。

 でも100kg近くあった体重を半分にしたくらいだから、優秀なトレーナーなんでしょうね。「人を本気で好きになったことがあるか」というのは、やる気を起こさせるモチベーションとして言ってることでしょう。それを勘違いしているだけ。でもホストにハマるよりいいんじゃないですか。健康になるし、痩せられたし、お金もホストに貢ぐように出ていくわけじゃないだろうし。

 僕は「不倫してもいいんじゃないか」と思っています。たぶんこの人も自分の中にその答えがあるんです。でも不倫をすると社会からバッシングされるとか、そういうことで自分の行動を制限しているんでしょう。そんな幻聴みたいなことを気にせず、自分の好きなことをすればいいんですよ。

 もちろん不倫がいいとは思わないですけど、別に不倫しようがしまいが、社会の人には関係ない。だったら自分が幸せになる方法を選ぶ。倫理観としては悪いのかもしれないけど、彼女が幸せになって、トレーナーも満足できるなら、いいじゃないですか。周りの人がとやかく言うことじゃないと思いますよ。

自分の病気のことを世間へ広めたい

【質問2】
(橘行人)
私の持病は社会的にあまり知られていません。病院に10年以上通っても治らず、恐らく治療法が確立されていないのだろうと思います。その様子を見たらしい友人が、私と繋がっているアカウントで「周りの人や国に責任押し付けるのは違うと思う」と呟いて、それを読んで固まりました。
私はその子の言葉を、どう受け止めるべきなのでしょうか。呟きはその後「私だって働きたくないし、(以下略)」と続いた為、ああ、この子は闘病そのものに理解がない子なんだな、それなら闘病中の私とはこれから上手くやっていけはしないだろうな、と判断して、縁を切りました。ただ、「責任を押し付ける」という言葉がいつまでも心に残っています。
周りの事も考えながら自分の病気を知ってもらう活動を続けるには、どのような心持ちで臨むのが良いのでしょうか。
アドバイスをお願いします。
その為、Twitterでこの病気についての情報を広めたり、厚生労働省へ難病として認めてもらえるよう手紙を送ったりしました。

 ちょっと前に「アイス・バケツ・チャレンジ」って流行りましたよね? ある病気のことを広めようとアメリカから広まったことなんですけど、その病気が何か、意外とみんな知らないんです。何かわかりますか? あれはALS(筋萎縮性側索硬化症)という神経難病のためだったんですが、この質問をしても、関心が高い人や医療関係者、実際に水をかぶった人しか答えられないんです。

 あれだけ世界的にブームになったものでも病気については広まらないんです。でもバシャッとやるのは楽しいから、あの活動そのものは広がりましたよね? 結局、病気の話ってつまらないんです。面白い話のほうが圧倒的に広がる。広めたいなら病気のことを話さないで、「病人がやっている何か」のほうがいい。結果としての認知が広まれば、病気のことも付随して広まっていくので。

 自分が伝えたいことと、相手が知りたいことはそもそも別です。そこをマッチさせないと、ただのどうでもいい話になってしまう。闘病ブログってたくさんありますけど、病人が書いて病人が読んでるんです。関心がある人しか読まない。だからあなたの病気を広めたいなら、関心がある人を求めても仕方なくて、関心がない人へアプローチすることが大事なんです。

 それから「周りの人や国に責任押し付けるのは違うと思う」というのは……そうだと思います。病気は誰かの責任ではないですから。

 嫌な人ととはつき合わないほうがいいと思いますよ。

©️Hiroshi Hatano

祖母を亡くして辛いです

【質問3】
(あまね/22歳)
初めまして。もうすぐ国家試験を控えた看護大生です。年明け早々に祖母を亡くしました。昨年、癌がステージIVの状態で見つかり余命半年と言われていましたが入院中に体調が悪化し、2ヶ月も経たないうちのお別れとなりました。化学療法を打ち切り、緩和ケアに移行する直前でした。地元を離れて進学したこともあり、祖母にはなかなか会えませんでしたが毎週末帰省して一緒の時間を過ごすことができました。葬儀や遺品の整理などが終わる頃には冬休みも明け、アパートに戻って元の日常生活が始まりましたが、その時から今に至るまで、夜になるとどうしても辛くなります。本質は祖母を失った悲しみだと思いますが、寂しくなったり会いたくなるというよりか、これまで自分の中に当たり前にあった何かが急に消えてしまったような、そんな感覚です。それがものすごく辛くて、何も出来なくなりすぐベッドで横になってしまいます。夕飯を食べ逃したりお風呂は翌日になってしまったりもします。また前より涙脆くなり、ちょっとした事ですぐに泣いたり、不意に泣きたくなる時もあります。そして横になる割に全然寝付けないこともしばしば…昼間はアルバイトをしたり大学で友人と勉強したり…これまでと何ら変わりない生活をしているのに、夜だけどうしても落ち込んでしまいます。いずれ立ち直れることだとわかっていても、今はなかなか立ち上がれません。また、春から看護師として病院に就職する予定なので、尚更落ち込んだままでいるのが辛いです。この状態で新しい環境に飛び込めるのか、不安です。このようなことは、誰かに聞いてもらったりカウンセリングなど専門機関で話すべきことなのでしょうが、昼はなんともなく過ごせて夜になって落ち込んでしまうため、なかなかできません。というか、他人に話すことがなんだか億劫に感じます。今夜もしんどくなり、どうしようかと悩んでいた時に幡野さんの記事を思い出しました。

 おばあちゃんが死んじゃったことを引きずっているんでしょうけど、おばあちゃんからしたら迷惑なことですよ。だって自分が死んだことで、孫をこんな大変な状態にさせているんだから。

 誰かが死んで落ち込む人がいますけど、死ぬ側の人間から言わせてもらうと、迷惑です。それじゃあ安心して死ねないじゃないですか。「しっかり生きてくれないかな」と思いますよ。落ち込んじゃうのが嫌だからといって、ずっと延命させますか? しょうがないんですよ、人は死ぬものですから。徳川家康だって死んでるわけだし。

 4月から看護師として働くのに、夜眠れないのは良くないですね。眠れないと、思考能力が低下していきます。僕も病気がわかったころ、痛みがひどくて夜眠れなくて、思考能力がわかりやすく下がって、メンタルも変わってしまいました。だから眠れるように薬だけでももらったほうがいいんじゃないかな。でも看護学生さんだから、自分の状態はわかっていて、医者やカウンセラーから何を言われるのかもすでにわかっているのかもしれませんね。だから認めたくないんでしょうけど、早く認めて、病院へ行ってください。

 看護師さんって「患者さんが幸せになるように」と頑張ろうとしますけど、毎回僕が思うのは「自分が幸せになってくださいよ」ということ。自分が幸せじゃないと、他人の幸せを喜べないでしょう? だから自分の幸せを見つけてください。

保育園の役員に疲れています

【質問4】
(安いラップ)
保育園の役員に疲れています。
皆誰かに押し付けるだけ。空気読まずに何でも思ったこと口走る人もいれば、前の年の役員が横から口出してきて(引退した部活のOBみたいな感じで)、ストレスです。子供に危害が及ぶと怖いのでどう振る舞ったらいいか悩みます。

 役員は疲れますよね。でもその相手をしている保育園の先生も疲れています。お互いにストレスを感じて、みんなで首絞めあっている状態。そんなのやる意味あるのかな、と思います。なんでみんな、やりたくないことを、みんなでやってるんですかね? 「前の年の役員が横から口出してきて」って……暇なんでしょうね、この相談者。そして苦労したんでしょう。だから同じ苦労を味わわせたいだけ。

 僕が役員になったら「こういうのやめましょう」と提案して、自分がやりやすいように変えちゃいますけどね。予算を組んで、そういうことが得意な人を雇ったほうがいいですよ。全員の意見を聞いていたら、何もまとまらないです。空気読まないで意見を押し付ける人なんて、相手にしなければいい。「じゃあ、あなたやってください」って、僕なら言っちゃいますね。

 この相談者さんは、言われてもいないこと、幻聴が聞こえちゃってますよね。不安をもとに行動する人だから、今頃マスクとか買い占めているんじゃないですか?

 それから子供に危害は及ばないですよ。危害が生じるとしたら、それは危害を加える側にそもそもの問題があったってことです。まあ、この相談者は、人から嫌われたくないんでしょうね。子供に危害が及ぶというのも、子供が嫌われてほしくないと思っていて、自分の行動が子供にリンクすると思っているのかもしれないけど、そんなことないですから。

 でもこのままの考え方だと保育園だけじゃなくて、小学校になっても変わらないです。それどころか、自分の不安から子供のやりたいことを制限するようになりますよ。役員云々よりも、自分の子育てを見つめ直したほうがいいと思います。最終的に自分のストレスのはけ口が子供に向かってしまいそうですから。

 宇宙飛行士になりたいといって全員がなれるわけではないように、自分が選んだことだけでは生きていけないものです。だから、与えられた条件の中で選べばいいだけのことなんですが、思考力が低下していると、せっかくある選択肢からも選べなくなってしまいますよ。

悩む人の中にある答えを見つけて、背中を押してあげるだけでいい

©️Hiroshi Hatano

 悩みって、極論を言うと「無駄」です。悩んで何かいいこと、ありますか? 悩んだところで、何も産まないですよね。僕は悩み相談をたくさん見てきて、そう思います。

「悩みがないのが悩みです」という相談もときどき来ます。それは「みんなが悩んでいるのに私は悩んでいない」と他人の目を気にしているから。他人の目を気にする人って、悩みますよ。そういう人はネットなどで自分と同じ悩みを持つ人を見つけて安心するんでしょうけど、そこで安心しても、何も変わらないですよね? あまり悩みすぎると、うつになったりしますし。

 僕は他人の目をあんまり気にしないし、好かれようとか嫌われようとかもないので、悩まないんです。だってみんなから好かれるなんてこと、絶対にないですからね。人から嫌われることを前提に生きていたほうが楽な気がするけど。

 実はこの本を読んでくれる第三者のこと、僕はあんまり気にしてないんです。

 僕は悩みを送ってきた方に対してしか答えていません。それは相談してきた相手が「自分の子供」だと捉えて答えているからなんです。もしも自分の息子がこの相談をしてきたらどう答えよう、といつも思考を切り替えている。そうするとちゃんと答えてあげようという気持ちになるので。

 僕の回答って、ドライで冷たい人だと思われるかもしれないですね。文章っていくらでも自分のことをよく見せようとすることができるので、もし僕が第三者のことを気にしていたら、もうちょっと文章が違っていたんじゃないかなと思うんです。だから、なんでこんなに読まれているのかもわからないんですよ。そんなに人の相談を読みたいんだな、どうしてこんなに反響大きいんだろうって思っています。

 でも相談をする人の中には、確実に自分の中に答えがあるということが多い。しかも答えって、必ず相談の文章の中にある。だから、悩みの解決って、本当だったら自分ひとりでもできることが多いんですよ。でも不安で、自信がないわけですよね。だったらその背中を押してあげればいいだけで。

 悩みを解決するのって、テクニックみたいなものがあったりするので、それを習得してしまえば悩む人は減りますよね。そうしたほうが社会的にはよくなるんじゃないかなと思うんです。「インフルエンザが流行ってますから、手洗いうがいしましょう」と同じように、「悩んだらこう解決しましょう」ということをみんなが知れば、接し方も変わるんじゃないかな。悩んでいる人は答えがすでにあるから、その答えを見つけてあげて、その人の背中を押してあげるだけでいいわけですから、結構簡単ですよ。ただしそのときに、自分の思っていることとか、倫理観とか正義とか正論とかは一回置いとかないと。

 どうなるかなんて、わからないじゃないですか。悩みが解決するか、悪くなるかもわからない。だったら背中を押してあげるほうが楽でしょう?

 年末になると、宝くじを買う人が増えるじゃないですか。あれを見て、買わない人は「そんなの当たらないよ」って言いますよね。でももしかしたら3億円当たるかもしれないですよね? だったら「当たるといいね」と言ったほうがよくないですか? そうすれば、当たったときに30万円くらいくれるかもしれないし、焼肉を奢ってもらえるかもしれない(笑)。ね? 背中を押したほうが全然いいじゃないですか。そこで否定していても何もメリットはない。「そんなの無駄だよ」と言っても反感を買うだけだし、もし当たったとしても焼肉は奢ってもらえないでしょうし。だから答える側も損得勘定を考えたほうがいい。損得勘定ってみんな「いやらしいもの」と捉えがちだけど、それで動いたほうがいいですよ。

 僕も若い頃に「写真家になりたい」と言ったら「お前には無理だ」ってたくさん言われました。だから今、聞いてみたいですよね、「なんで無理だと思ったんですか?」って。たぶんほとんどの人が根拠なく無理だって言っていたはずなんです。でもそのときに「お前だったらできるよ」と言ってくれる人がいたら、「写真家になれました。写真撮りましょうか?」と言いたくなりますよね。

 僕のことを見て、勝手に「ガンになって可愛そうな人、不幸な人」と思う人がいるんです。ありがたいっちゃありがたいですけど……それよりも自分の心配したほうがいいんじゃないかな、と僕は思います。だって僕は幸せですから。だからあんまり人の心配しないで、自分の人生を心配して、自分が幸せになることを考えたほうがいいと思いますよ。

 だから背中を押しているほうが、お互い得をするんです。この本を読んでもらえたら、そのヒントが得られるかもしれない。みんなでそうできるようになったらいいな、って思います。

©️Yukari Hatano

取材・文=成田全(ナリタタモツ)

[プロフィール]
幡野広志(はたの・ひろし) 写真家。1983年、東京生まれ。2010年「海上遺跡」でNikon Juna21を受賞。2012年、エプソンフォトグランプリ入賞。2011年に結婚、2016年に息子が生まれる。狩猟家の顔も持つ。