アニメーション映画監督・富野由悠季、クリエイションの源泉に迫るロング・インタビュー/第3回・『∀ガンダム』の真意と、『Gのレコンギスタ』に続く未来

アニメ

公開日:2022/1/22

富野由悠季

 日本を代表するアニメーション作品『機動戦士ガンダム』。そのシリーズは放送後42年を数えても続いており、アニメのみならず、さまざまな分野に大きな影響を与えている。その生みの親である富野由悠季監督は御年80歳。今もなお意気軒昂に新作である劇場版『Gのレコンギスタ』を制作中(現在第3部となる劇場版『Gのレコンギスタ III』「宇宙からの遺産」までを公開)。新たな表現と次世代に伝える作品を作ろうと現場で奮闘している。

 その富野監督が令和3年度の文化功労者に選出された。その授賞理由は「物事の本質をつく視点で壮大な世界観をもつ作品を創造し、我が国のアニメーション界に新たな表現を切り拓いてきたものであり、アニメーションを文化として発展させた功績は極めて顕著」とのこと。約60余年に渡る、彼のクリエイションが文化的に高く評価されたこととなる。彼のその制作の歩みを振り返る展覧会「富野由悠季の世界」を元に制作されたドキュメントムービーが、『富野由悠季の世界 ~Film works entrusted to the future~』というタイトルのBlu-ray&DVDとなり、2022年2月に発売されることになった。また、3月には、1998年に放送された富野監督によるTVシリーズ、『ブレンパワード』のBlu-ray Revival Box発売も予定されている。

 ロング・インタビュー最終回となる第3回では、富野監督にとって久々の「ガンダム」シリーズとなった『∀ガンダム』と、現在富野監督が制作を進めている『Gのレコンギスタ』、そして今後の新作について話を聞かせてもらった。富野由悠季監督のクリエイティブは、まだまだ止まらない。

advertisement

『∀ガンダム』でやったことは、「歴史に学ぼうよ」ということ

――富野由悠季監督は劇場版『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の制作が終わった時期の1989年に小説で『閃光のハサウェイ』をお書きになられています。いまから30年前に現在のテロリズムが横行する社会を舞台にしていることは、深い卓識を感じます。

富野:戦記物を描くことに嫌気がさしたことのひとつは、結局、戦争を描こうとすると個人の戦いになってしまうことが分かったからです。つまり、そうなってしまう前に大国の首脳を止めることができなかった、ということなんです。そうなったら新しい時代に任せるしかできなかったんですよ。だからこそ『ブレンパワード』のように、個人の物語になってしまうということなんです。

――『ブレンパワード』の次に富野監督は『∀ガンダム』に取り掛かります。あらためて「ガンダム」シリーズに臨まれた想いを、お聞かせください。

富野:僕は『ガンダム』をやめたつもりで、「後続部隊」に『ガンダム』を任せていたんだけれども、その後続部隊はみんな飽きずに戦記物をやっていたのね。これは後続部隊の方々には本当に申し訳ない言い方になるんだけど、そうやって同じことを続けていくと劣化になってしまうわけんですよ。だから「お前らもう少し勉強しろよ」という言い方をするために作ったものが『∀ガンダム』だったんです。『∀ガンダム』でやったことはどういうことかというと「歴史に学ぼうよ」ということなんです。それで「黒歴史」という言葉を使って、過去の歴史をひっくるめて描いたんです。

 その中で、何より重要なことは……いま、ここで初めてする話なんですが、『∀ガンダム』で人類を描くにあたり、ジェンダーの問題も含めて描こうと思っていました。ロランはグエンに言われて、女装をしてローラと名乗ったりする。そういう女装嗜好のようなものは古代ローマ時代からあったんですよ。人間とはそういう動物であり、人類史はそういう人間たちの営みなんだよと。そういうことも含めて、歴史を勉強して欲しいということです。そう考えたときに、ターンエー(∀)という記号が、数理論理学で「全て」という意味としてあることを知って『∀ガンダム』というタイトルにしました。

――ガンダムの歴史(宇宙世紀)はもちろんのこと、人類の戦いの歴史だけでなく、人類の営みの歴史も総括する意味で、『∀ガンダム』というタイトルを付けられたんですね。

富野:ただ、ひとつ問題だったのは『∀ガンダム』は、それまでの『ガンダム』人気を凌駕するような作り方ができなかったこと。創作者としては無能に近いんだなと実感しました。このときの反省があったから、『Gのレコンギスタ』(以下、G-レコ)を作っているんです。

『G-レコ』は人類が再生したときから始まる物語

――富野監督の最新作『G-レコ』は、新たな時代を迎えた人類を描いています。

富野:はい。

――『∀ガンダム』で人類の歴史を振り返った富野監督が、『G-レコ』で描こうとしているものは何なのでしょうか。

富野:それは、種が存続しているということは、人類に何かが起きるということだと思うんです。先ほど(インタビュー第2回)言った藤井聡太さんや大谷翔平選手みたいな事例を具体的に知ったから、そういうことを言えるんであって、『G-レコ』を考えるときに、藤井さんや大谷選手のような存在がいることを知っていれば、もっと違う作り方ができたんじゃないかなと思います。『G-レコ』を作るときに考えていたことは、人類という種が一度全滅に近いところまでいったときに、人間はどんなことを記憶しているのか、ということです。要するに、一度全滅を経験すれば、「この次は同じように全滅してはいけない」と人間の英知は働くんじゃないかなと思いました。

 最近出た本で、『生物はなぜ死ぬのか』(小林武彦著/講談社現代新書)という本があります。この本には、ひとつの代が死んでいっても、次の代に継承される遺伝子がある。そのことで種は続いていくのだと書いてあります。つまり、死んでいくことによって人類という種が生き続けることができるんだと、その本を読んでつくづく思いました。読んだおかげで、僕自身も「ああ、これで死んでいけるな」とも思えたんです。長寿願望というのは、実をいうとポピュリズムの下卑た欲望でしかない、ひとりの人間の長寿なんて実は人類の種にとっては関係ないと知らされました。むしろ死んでいって次に委ねて、さらに死んでまた次に……という繰り返しのほうが、種の存続においては絶対的に大事なことであると教えられたのです。そういう考え方を教えてくださったことで、本当に息を吐くことができました。だからこそ「『G-レコ』で良い」と思えたんです。テレビ版では不完全なかたちでしか発表できなかったら、映画にしようと思って始めてみたら、あっという間に7年が経ってしまいました。8年目となる今年、2022年にはなんとか映画版を完結させようと思っています。

――『G-レコ』の完結を楽しみにしています。

富野:『G-レコ』は人類が再生したときから始まる物語という作り方になっているので、これから100年保つという認識を持つことができました。同時に「人類や種という大きなものを描くことができるアニメという媒体は、ひょっとしたら文芸以上にワールドワイドにメッセージを伝えられるストーリーテリングを持っているのではないか」と思えるようにもなりました。日本列島という、西洋でも東洋でもない、まさに極東で。太古にアフリカで出現したホモ・サピエンスが東進し、最終的にたどり着いた日本列島から、22世紀に向けた新しい方向性を見つける必要がある。ここまで話すと「富野に文化功労者をあげても良いな」と思えるようになるでしょ(笑)。

世代は変わっていくんです、間違いなく。100年単位で次の才能が出てくる

――『G-レコ』が今年完結するとして、その後についてはどのようにお考えですか? 多くのファンが、次なる新作を楽しみにしていると思います。

富野:いまは新作の話は一切できません。今は何も考えていないからです。

――(笑)。

富野:だって80歳よ(笑)。

――新しい世代が出てくるときに、富野監督のアニメは必要になると思います。

富野:そう。世代は変わっていくんです、間違いなくね。100年単位で次の才能が出てくる。そうなったときにどうするかといったら、「昔はこういうことをみんな言ったよね」という守るべき道徳律を身に着けたうえで、新作を作るというところへ行かなくちゃいけないと思っています。ですから、あと4、5年はやりたいなと思っていますが、身体の具合が老化して使えなくなってきている。でも、これは実を言うと、まったく逆の言い方があります。

――というと。

富野:『∀ガンダム』のときから気が付いてはいたのけれど、健康な人間は考え方が杜撰かもしれないと思い始めています。たとえば「戦争をやって勝つぞ」と思うのは若くて健康な人たちが中心じゃないでしょうか。まさに若さゆえの過ちでしかなくて、何も考えていないんです。先日『トラ・トラ・トラ!』という映画を観て、あらためて本当にそう思いました。

――『トラ・トラ・トラ!』は19471年の真珠湾攻撃を描いた映画で、アカデミー視覚効果賞を受賞していますね。

富野:そう。最初はCGを使っていない時代に、どうやってあの映像を撮っていたのか、それを知ろうと観ていたんです。ところが観ているうちに、初めてわかったことがあるのは、1970年に観たときは真珠湾の奇襲作戦が成功して「良かったな」という気分がかすかにあったのね。でも、80になって『トラ・トラ・トラ!』を観ていたら、そういう気持ちが全くなかったことに気が付いたんです。自分でもびっくりしたんだけども。あの映画ではハワイに奇襲攻撃をかけて、空母に帰ってきた戦闘機パイロットたちが意気軒昂に「やったぜ」と喜んでいるわけ。あの晴れやかな笑顔を見たら、絶対に間違えるよね。作戦成功に喜んでいる政治家や軍人は何なんだと、あらためて考えさせられる映画だった。そう思いながら観ると、到底観ていられないですよ。そういう話を知って観ていると、気持ちの良い絵がどこにもない。こういう話ができるのは、戦後70年が過ぎているから言えることですけどね。

――映画、映像作品というものは時代によって、観る人によって、いろいろな見え方ができる。時代と年齢による価値観の変化があったんでしょうね。

富野:しかも、あの映画の中で山本五十六(当時の連合艦隊司令長官)が「真珠湾攻撃は失敗した」と言っているんですよ(劇中で山本五十六は「(真珠湾攻撃が)眠れる巨人を起こし、奮い立たせる結果を招いたも同然である」と発言している)。海軍のトップはみんなそれを知っていた。どうしてかというと、真珠湾に米軍の空母がどこにもいなかったから。大艦巨砲主義は第一世界大戦までのもので、それ以後の戦争では通用しないだろうということがわかっていながら、戦争を仕掛けたのは底抜けのドジ! 戦時体制で言語統制が起きている状況はどんなものなのかをもっと考えないといけないし、そのことは今の人たちも変わらない。もっと想像力を持って考えなくてはいけないと思っています。

――戦争を描くことの難しさですね。富野監督の幅広い視座による、新作を楽しみにしています。

富野:健康な人間は考え方が杜撰かもしれないと想像できると。リスクを抱えた人間が作るものは、もうちょっと世界をきちんと描けているんじゃないかなと思いはじめました。ただ、気を付けないといけないのは「私の痛みをわかってよ」というわがままにならないようにすること。うん、自分の言葉でそれを言ってしまうと、正直キツいなと思います。今回、こうやってお話をすることで、自分の中でも方向性が見えたことがありました。アニメのストーリーテリングは万能なんだから挑戦しないといけないなと……いや、僕はもう挑戦しませんけど(笑)。

――そんな! 今後を期待しております!

富野:ははは(笑いながら席を立つ)

取材・文=志田英邦

富野由悠季(とみの・よしゆき)
1941年11月5日生まれ、アニメ監督・演出家・作家。64年に手塚治虫率いる虫プロダクションへ入社。日本初の本格TVアニメ『鉄腕アトム』の演出を手掛け、虫プロ退社後はフリーとして活躍。71年に『海のトリトン』で監督デビュー。『勇者ライディーン』などを経て、79年に『機動戦士ガンダム』の監督を務め、アニメブームを起こす。現在、劇場版『Gのレコンギスタ』を制作中。


あわせて読みたい