三浦しをん、小説家への道

公開日:2013/1/18

 2006年に29歳で直木賞(『まほろ駅前多田便利軒』)、2012年に35歳で本屋大賞(『舟を編む』)を受賞し、今年『まほろ駅前多田便利軒』はドラマ化、『舟を編む』は映画化と、両作品とも実写化されるという今注目の作家・三浦しをん。『ダ・ヴィンチ』2月号では、三浦しをん大特集を組み、彼女の半生に迫るロングインタビューを掲載している。

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 日本初のエージェント付き作家としてデビューした当初から、順風満帆に作家人生を歩んできたかに映る三浦しをん。しかしその胸には「書きたいものに届かない」悔しさが常にあったという。「本の世界」で働きたいと編集者を目指し苦渋を味わった就職活動、そこから一転、作家になることを薦められデビューに至った経緯、その後の作家人生でのさまざまな迷いなど。――作家・三浦しをんはいかに生まれ、どこへ行くのか。

 約20社の出版社・編集プロダクションを受けるも全敗。だが、そのうち早川書房の入社試験で書いた作文が、後に日本初の作家エージェント・ボイルドエッグズを立ち上げる村上達朗氏の目にとまり、作家・三浦しをん誕生のきっかけとなったことは今ではよく知られている話。
「連絡をもらって、とりあえず在学中からボイルドエッグズのWebマガジンでエッセイを書き始めたものの、当時はまだよく状況がわかってませんでしたね。村上さんについても“意味不明なおっさんだのう”くらいにしか思ってなかった(笑)。それで、3月に大学を卒業してからも編集プロダクションの試験を受けたりしてたんだけど、とにかく全然ダメで、これはもう就職できないな、と諦めました」

 友達の紹介で、某外資系出版社で事務仕事のアルバイトを始めるが、頻繁に本国から英語でかかってくる電話にまごつき、約3カ月で辞めることに。
在学中に新刊書店のアルバイトは経験した。編集者にはなれなかった。事務もムリとなると、残る身近な「本関係」といえば古書店だ!と、得意の消去法で次のアルバイト先を地元町田駅前の「高原書店」に決定。
「ここの仕事は肌に合って、すごく楽しかった。張り切ってバリバリ(←自己認識)働きました。でも一方で、ボイルドエッグズから書きなさい、と言われていた小説のプレッシャーがだんだんきつくなってきて。そう言われても何を書いたらいいかわからないし……とのらくらしていたんですが“就職活動のことなら書けるでしょう”と提案までされて逃げきれなくなった(笑)」

 じゃあまぁそれで、と、消極的モードで書き始め、約3カ月で完成させた原稿は、作家・三浦しをんの記念すべきデビュー作となる『格闘する者に〇(まる)』。だが、本人は作家になった実感は持ち得なかったという。
「書き終わったとき、これは違う、と思ったんです。私が書こうと思ったものに全然届いてない、書けてないってすごく自分にガッカリしたという意味で。村上さんは“面白いよ”と言ってくださったんですけど、それも信じられませんでしたね。ようやく書いてきたから少しは褒めとくか、くらいなものだろうって思ってた(笑)。本にしていただいたのは嬉しかったけど、こんなんじゃダメだなって居たたまれない気持ちが強かったです」

 流されるまま書き始めることになった。このあと書きたいものも見つからない。迷いながら、それでも自分が知っている世界なら、好きな世界なら書けるかもしれないと、手探りで歩み続けた。そんな三浦しをんが、今に至る微かな糸を手繰り寄せたのは、デビューから2年目のこと。
「自分のなかで書きたいと思うものを掘り当てて、実際に書いたものが少しそこに近付いたと実感できたのは4作目の『秘密の花園』からですね。これを書いている途中で高原書店を辞めて専業作家になったことも含めて、大きな分岐点でした。このころからようやく、“作家”としての欲も出てきた気がします」

取材・文=藤田香織

(『ダ・ヴィンチ』2月号「三浦しをん大特集」より)