ボーイズラブの原点とは!? 古今東西における同性愛事情

BL

更新日:2016/1/13

 ボーイズラブ(BL)は今や出版業界のみならず広くメディアにおいて、しっかりその根を下ろし、堂々たる地位を得ている。BL小説を出版するレーベル数はうなぎのぼりの状態だ。しかし、今でこそ比較的許容されているものの、ひと昔前まではBLをはじめとする同性愛をあまり公然と語ることはできなかった。西洋史でもキリスト教の台頭以来不毛として迫害されてきたが、さらに歴史を遡ってみれば、広く世界において同性愛は市民権を得て、おおらかに存在していたようだ。

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 このような古今東西の同性愛事情に関する世界中のエピソードを集めたのが、10数年前に『本当は恐ろしいグリム童話』(ベストセラーズ)でミリオンセラーを飛ばした桐生操の最新作、『世界ボーイズラブ大全 「耽美」と「少年愛」と「悦楽」の罠』(文藝春秋)だ。

 これによると、同性愛ははるか古代からその存在が認められていたよう。特に有名なのは、ニューギニア東部高地にすむ未開民族のあいだで脈々と受け継がれてきた通過儀礼としての同性愛である。ある種族には男性秘密結社があり、それは7~10歳のころにはじまる。秘密結社の集会所に連れてこられた少年は、まず女親世界の「穢れ」を取り除くために流血を伴う試練を課される。こうして身体を清められた少年は神聖な部屋に導かれ、年長の同性から精液授与がなされた。このような行為は、人間のからだは、体外から与えられることによって精液を作ることができるようになると信じられているからだそうだ。

 また、同書によると、日本でもかつて同性愛は「衆道」・「男色」などと呼ばれ、社会の中にごく自然に組み込まれていた。有名なのは女人禁制である仏教寺院の僧侶たちだろう。「稚児」とか「喝食」と呼ばれる美少年をはべらせ、さらには「稚児信仰」なるものまで存在した。昔から日本では、神霊は幼児の姿を借りて顕れるとされており、その稚児との肉体の交わり自体を神聖なものと考えられていた。

 日本史における最古のBLは、『古事記』に出てくるヤマトタケルのクマソ退治のエピソードに認められるようだ。タケルは女性の衣裳を着て童女に変身し、クマソの邸内にまんまと侵入、女装したタケルを見たクマソは油断して彼と戯れているうちに討たれてしまうという筋書きである。

だが、『日本書紀』にある同エピソードの記述によると、ともに寝所に入り「弄る」という行為に及んでいる。「弄る」とは、まさぐる、もてあそぶということ。クマソはタケルの体を弄った時点で男であると気づいたはずなのだが…。クマソは楚々とした美少年風情の肉体に溺れて死に至った可能性があるというわけだ。ちなみに、このような禁断の恋や愛欲に満ちた神々のドロドロとしたエピソードは『眠れないほど面白い『古事記』 :愛と野望、エロスが渦巻く壮大な物語』(由良弥生/三笠書房)にも詳しい。

 それにしても、「儀礼」なり「信仰」なり、なにかそうした神聖なものにかこつけてやりたい放題な印象を持ってしまうのだが…。それよりは、現在のように堂々と同性愛を語り、BLを楽しんでいる方が健全なのかもしれない。