【第1回】「電子書籍って読みたい本がなかなか見つからないのはどうして?」 ――インプレスグループの全方位戦略

更新日:2013/8/14

電子書籍の最前線を追ってきたこの“まつもと”シリーズも、もうすぐ3年目。昨年、koboやKindleなどといった主要な電子書籍サービスがスタートし、日本版iBookstoreの開始もまもなくとされ、電子書籍を取り巻く環境も大きく変化しました。そこで今月より連載をプチリニューアル! 読者のみなさんが感じている素朴なギモンを、実際に電子書籍に携わる方々への突撃取材で解決します。

第1回目となる今回のテーマは、「電子書籍って読みたい本がなかなか見つからないのはどうして?」。紙の本と同時発売されることはまださほど多くなく、電子化されてないベストセラーも少なくないのが現状。そこで電子書籍がどのように作られていて、どこに課題が潜んでいるのか、インプレスホールディングスさんにお話をうかがいました。インプレスさんはかれこれ10年以上電子書籍に取り組んでおり、アマゾンのKindleでもヒット作を次々と生み出している、いわば電子書籍のエキスパート。従来からの「紙の電子化」だけでなく、「電子生まれ」の電子書籍まで手がけています。

電子書籍を巡る現状とインプレスグループの取り組み

advertisement
北川 雅洋(きたがわ・まさひろ)
株式会社インプレスホールディングス  
取締役 グループ事業開発担当
株式会社ICE  代表取締役社長
ソフトバンク、ジャストシステムを経て、オープンインタフェース、パシフィックシステムソフト、イングリッシュタウン、エスプリライン等のIT、ネットメディア、通販系企業の代表取締役を歴任。現在は、インプレスホールディングス取締役としてグループのデジタル事業の開発に従事し、電子書籍サイト運営のICE、電子書籍制作サービスのデジタルディレクターズ代表取締役社長を兼務する。初めて電子書籍プロジェクトに携わったのは1990年。

――「電子書籍端末を買ってはみたものの、読みたい本がなかなか見つからない」という声がよく聞かれます。インプレスでは、その声をどのように捉えますか?

北川: まず著作隣接権(出版に係る権利)が日本ではまだ成立していないという状況があります。インプレスグループはIT系から「山と溪谷社」まで多様な出版社の集合体ですが、電子出版も含めて権利を広く契約で定める欧米とは異なり、他の多くの日本の出版社と同様に、改めて電子書籍の出版許諾を著者からいただかなければなりませんでした。北米では約100万タイトルもの書籍が一気に電子化されたのに、日本ではまだ10万タイトル前後に留まっているのは、この違いが大きいですね。

 海外の出版社では「作家サービス」などと呼ばれる専門部署があり、作家と許諾のやり取りを担当するケースが多いのですが、日本では編集者が編集業務の片手間に行っていることがほとんどです。また、欧米では著者に代わって許諾交渉を一手に引き受けるエージェント制度が一般化していることも大きな違いです。

――そもそも「電子書籍にしてよいですか?」と確認する段階で時間がかかってしまっているわけですね。

北川: そうですね。日本でも緊デジ(経済産業省「コンテンツ緊急電子化事業」)や出版デジタル機構が生まれて官民合同で書籍の電子化を急いでいますね。
 
 インプレスグループでは著者との契約も、紙と電子の両方を出すことを前提とした内容を基本形としています。

河野 大助(こうの・だいすけ)
株式会社インプレスホールディングス  Quick Books開発推進室
広告制作会社勤務を経て、インプレス入社。経営戦略をたてる上で役立つプロフェッショナル層向けの書籍・調査レポートの企画編集を担当する。2008年から電子書籍市場の調査を担当し、日本国内の電子書籍市場規模算出などに携わる。2013年1月よりインプレスホールディングス内でQuickBooksプロジェクト参画中。「impress QuickBooks®」プロデューサー。

 私自身が、インプレスグループだけでなく他の出版社も含めて電子書籍制作サービスを提供しているデジタルディレクターズの代表ということもあり、出版社、AdobeやAccessのようなソフト会社、印刷会社などさまざまな関係者とお話しする機会が多く、何が問題になっているのかを見つけやすい立場にいます。またインプレスグループ自体も、伝統的な出版社からIT情報の最先端を追う会社までさまざまなコンテンツ文化の集合体です。その活動の中で見えてきたことをグループ内も含めて、外にも啓蒙・共有していきたいと考えています。

――インプレスグループとしては具体的にどのような取り組みが行われているのでしょうか?

河野: インプレスグループ各社から生まれる紙の出版物の電子化が1つ。これはそれぞれの出版社内で電子化を行う場合、またはグループ内の制作会社デジタルディレクターズで行う場合もあれば、印刷会社にお願いする場合などケースバイケースです。電子書店との契約についてはグループで一括して行っています。

 そして、インプレスR&Dでは「Next Publishing」というブランド名で、アマゾンや三省堂のPOD(プリントオンデマンド=購入のたびに1冊から印刷・製本され販売される仕組み)やEPUBフォーマットでの電子版販売を行っています。

 さらに、Webニュース媒体「Impress Watch」では「MAGon(マグオン)」という有料EPUBマガジン配信も始めました。

 このように紙の本の電子化、POD(プリントオンデマンド)と電子書籍の同時販売、EPUBによる電子マガジンなどさまざまな電子出版に取り組んでいますが、私が担当する「impress QuickBooks®(インプレス・クイックブックス)」では最初から電子書籍での出版を目的としたデジタルファーストの取り組みを行っています。

 

国際標準フォーマットEPUB3も万能ではない

――先ほど北米では100万タイトルが電子書籍になったというお話もありました。それに比べて日本のタイトルは少なく感じられます。契約以外にはどんなハードルがあるのでしょうか?

北川: 電子書籍の見た目を定義する、フォーマットの複雑さが挙げられます。2011年の電子書籍元年以前は日本において「XMDF」と「.book」という2つのフォーマットが主流でしたが、現在はKindleのKF8(アマゾンが採用しているKindle専用の電子書籍フォーマット)があり、EPUBもあります。ちなみに最近、私たちは現場の混乱を避けるために単にEPUBという呼び方を控えています。

――え? どういうことですか。

北川: 確かにEPUB3は国際標準フォーマットなのですが、現在日本では、表示するリーダー(電子書籍閲覧システム)ごとに最適な記述方法が異なっているのです。EPUBの基準に準拠していても解釈が異なっていたり、独自に拡張している部分が出てきてしまっているんですね。そのため、制作現場では「kobo-EPUB」とか「SONY-EPUB」と呼ばないと、「EPUBにさえ対応してれば一つのファイルでどんな端末やリーダーソフトでも正しく表示できるはず」という誤解が生じてしまうんです。という訳でEPUBが登場してからより環境が複雑になり手間が増えてしまった、というのが正直なところです。これはEPUBが比較的表示結果にルーズなWEB世界の標準であるHTML5とCSS3をベースとしており、電子書籍専用に設計されたものではないので、ある程度仕方がないことだと考えています。

――なるほど。新聞などでは「日本語にも対応した国際標準フォーマットが登場したので、表示の問題は解決する」などという風にも報じられましたが、実際そこまでには至っていないんですね。

北川: そうですね。各電子書店のリーダーシステムは、より良い表現ができるようにと独自の工夫がなされていますし、業界団体の「日本電子書籍出版社協会」はEPUB3制作ガイドを出しています。この制作ガイドは互換性向上のために機能がシンプルでとてもよく考えられているのですが、これをベースに各社で拡張することが可能になっているため、それが問題となる可能性があります。私たちはkoboやアマゾンが登場する以前からリフローデータの制作を多数経験してきており、現状の問題も目の当たりにしています。縦書きEPUB の互換性確保には、EPUBの記述者とリーダーシステム開発者の双方による研究と歩み寄りの努力が必要であり、収束には最低でも1年程度を要するのではないかと考えています。誤解を恐れずに言うと、現時点で縦書きEPUBの互換性は「実現できていない」と思っていただくのがよいと思います。

――著者からの許諾が得られても、その後の変換作業は以前よりも煩雑になってしまったという訳ですね。アマゾンのKindle Storeや楽天のKoboなどは書店側でも変換を行っていますが、それに委ねるという訳にはいかないのでしょうか?

北川: それを続けると出版社主導の一元管理ができず、各書店でリリースのタイミングが合わなくなったりしますね。とはいえ、出版社自身が各書店用のデータを制作するのも現実的ではありません。そこでデジタルディレクターズのように専門特化したアウトソースチームが必要だと考えています。現状ではまだ新しいリーダーが増えていますし、アップデートも繰り返されています。私たち(デジタルディレクターズ)に「このリーダーでもうまく表示できるでしょうか?」など、よく相談にこられます。また、リーダーシステムの種類が増えれば増えるほど表示結果をチェックする(私たちは査読といいます)手間と時間も増え続けます。レンダラーと呼ばれるリーダーのコアシステムが日本国内で一種類になれば互換性問題は一気に解決するのですが、今からそれを期待しても仕方がありませんね。

 

「電子化」そのものはすぐにできても……

【図】書籍と電子書籍の流通システムの違い

――しかし、先日、私も共著者としてインプレスジャパンから出版された『できる Amazon Kindle Fire HD スタート→活用完全ガイド』は、紙の本とほぼ同じタイミングでの販売でしたが。

北川: ムックのように固定レイアウトのものは電子化が比較的容易でありスピーディーに制作できます。しかし、アマゾンは固定レイアウト(表示サイズに応じてレイアウトが変わる「リフロー」ではない)の書籍を推奨していませんが(笑)。文字中心の本と異なり、写真や図版が混在した複雑なレイアウトの雑誌などをリフローに対応させるのはさらに手間とコストがかかります。各出版社で雑誌やムックの電子版がなかなか増えないのには、そういった背景もあります。雑誌や書籍の制作工程自体はかなりデジタル化が進んでいますが、電子版でリフロー対応させようとなると、また違った技術やノウハウが必要なんです。また、雑誌の取り扱いに関しては継続購読が前提となっており、書店側でシステムがまだ十分に準備できていないという理由もあります。

――実際、電子化を行うにはどのくらいの日数がかかるものなんでしょうか?

北川: それは著者や編集者が表現の詳細部分にこだわるかどうかにもよります。電子化自体はスムーズに行えても、査読チェックに時間がかるケースも多いですね。私たちの制作作業は数日で終わったとしても、査読チェック結果が戻ってくるのに一ヶ月かかってしまうこともあります。著者自らが実際の端末で確認したいという要望があれば、そのための環境も用意しなければなりません。また査読チェックの結果、修正要望が出された場合は、さらにワンサイクル回さなければなりません。修正箇所が見つかった場合に、校正をどのように行うかについてもまだ決まったルールはありませんから。

――ホントですね。電子書籍にどうやって赤入れ(修正指示)を入れたらいいのか!

北川: どうしても「ペンで赤入れしたい」という場合には、工夫して電子書籍を紙に印刷してお渡ししています。電子書籍なのになんだかとてもおかしな感じがしますが、仕方ないですよね(笑)。

――査読チェックが終わればすぐ電子書店に並ぶのでしょうか?

北川: 電子書店、場合によっては電子取次や書店が納品前の品質管理ということで、改めて査読チェックを行うケースもあります。出版社向けに作品データが入力できるオンライン管理アプリが用意されている場合は数日以内に書店に並びます。しかし、流通経路によっては1冊1冊、複数の端末で読んで確認するプロセスが発生し、店頭に出るまでに数週間かかることもあります。

――なるほど、リフロー対応、端末ごとの違いの査読チェックなど、さまざまなところで時間がかかってしまっているわけですね。

北川: インプレスグループの場合、実用書やムックが多いということもあり、そもそもリフローに適した書籍の占める割合は多くありませんでした。そこで、電子書籍ならではのリフロータイプにも積極的に取り組んでいこうということで、デジタルファースト出版の「impress QuickBooks®」が生まれました。