No.1ゆるキャラ! くまモンに知られざる下積みの過去が!?

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更新日:2013/3/20

 2011年のゆるキャラグランプリに輝いてからはますます活躍の場を広げ、今では「商品売上げ293億円以上」と言われるほどの人気者になったくまモン。もはや日本でくまモンを知らない人などいないのでは? と思われるほどの活躍ぶりで、海外でもアメリカの新聞に取り上げられ、韓国、シンガポール、台湾を訪れ中国にも進出するなど、その人気はとどまるところを知らない。しかし、そんなくまモンに、なんと、売れない芸人や地下アイドルのような、辛い下積み時代があったのだ。くまモンの知られざる過去が明かされているのは、3月15日に発売された『くまモンの秘密 地方公務員集団が起こしたサプライズ』(熊本県庁チームくまモン:著/幻冬舎)。

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 同書によると、実はこのくまモン、無名時代、熊本県のゆるキャラなのに地元である熊本ではなく、遠く離れた大阪の地で修行を積んでいたのだ。もともと、九州新幹線の開通を機に熊本をアピールする「くまもとサプライズ」の一環として生まれたくまモン。この「くまもとサプライズ」は、熊本をただの通過駅にしないため、日常の中で見過ごしてきた「サプライズのネタ」を見つけて発信していこうとしたもの。そこから、まずは新幹線の出発地点でもある大阪の人に熊本を知ってもらおうということになったのだそう。

 だから、はじめの頃は正体も明かさず熊本のPRをするわけでもなく、ただ大阪の至るところに出没しては徘徊していたというくまモン。今では考えられないが、当時は子どもを楽しませるスキルもなく、何もできずにいたようだ。そして、それを克服するためかどうかは知らないが、お笑いライブの呼び込みのお手伝いをして本場のノリも学んでいたというから驚き。もしかしたら、知らないうちにくまモンとすれ違っていた人もいるかもしれない。

 そんな地道な活動のかいもあって、少しずつ人々の噂になってきた頃にようやく正体を明かし、甲子園球場に看板を設置させてもらったりそこでうちわを配ったりもした。さらに、熊本県知事から1万枚の名刺を配るというミッションを課せられたり、吉本新喜劇の舞台に立ったりもしていたのだ。

 また、サプライズのネタを探すための練習だったのか、最初の頃はTwitterやブログでも大阪の魅力ばかり紹介していたくまモン。「え? 熊本県のゆるキャラなのに!?」と思う人もいるかもしれないが、くまモンの育ての親でもある地方公務員集団・チームくまモンは熊本県をPRするためにくまモンを使うのではなく、くまモンを知ってもらうために全力を注いだ。だから、大阪でも初めは名前や熊本のゆるキャラであることも伏せ、ひたすら大阪の魅力を紹介していただけ。キャラクターにその県の特産や観光地を用いれば用いるほど、所詮県のPRのために作られたキャラクターだと思われてしまう。しかし、熊本県をPRするためではなくくまモンを人気者にしようとしたおかげで、結果的には多くの人に熊本に興味を持ってもらうことができたのだ。

 最初にくまモンが自ら街頭や甲子園球場に立ち、地道に配ったうちわや名刺は、熊本では手に入れられなかったレアグッズ。くまモンが2011年のゆるキャラグランプリで優勝できたのも、大阪の人の力があってこそ。大阪は、くまモンにとって第二の故郷なのかもしれない。

 そして、そんなくまモンの最大の魅力でもある動きや仕草のかわいさ、おもしろさにも、大阪での経験が生かされている。くまモンは、ありえないことや今までのゆるキャラがしてこなかったこともなんだってやる。それは、大阪で受け入れてもらうために常に“笑い”を意識して頑張ってきたから。これまでのゆるキャラといえば、だいたいただ手を振っていたり決めポーズをするくらい。しかし、くまモンは手で銃を作って「バンッ」と言えばちゃんと撃たれた演技をしてくれるし、みんなと写真を撮る時間がなくなってしまった時は土下座して謝る。「がりがーり」やってと言われれば、体を目一杯へこませてダイエットするし、バンジージャンプにだって挑戦しちゃうのだ。ここまでするゆるキャラなんて、今までいただろうか? 大阪での下積みと、チームくまモンのフットワーク軽く「迷ったらGO!」の精神があったからこそ、いろんなことにチャレンジでき、人々の目と心を惹きつけることができたのだ。

 くまモンについてもっと知りたいと思った人は、ぜひ『くまモンの秘密 地方公務員集団が起こしたサプライズ』でくまモンの誕生から今までの物語を覗いてみては。