北斗の拳、ガラスの仮面…原作者公認パロディはココまできた!

マンガ

更新日:2013/4/16

 4月からのアニメ放送の中に、『DD北斗の拳』(テレビ東京ほか)と『ガラスの仮面ですが』(BS12 TwellV)がラインナップされている。どちらもそのタイトルは言わずと知れた名作の面影が漂っているのだが……。

 実はこの2作品、ともにド真面目な原作をあざ笑うかのようにパロディ化したギャグものである。『ガラスの仮面ですが』は原作マンガの「50巻発売(するかも)記念」によるオリジナルアニメ化、そして『DD北斗の拳』は2010年から『月刊コミックゼノン』(徳間書店)で連載されているマンガ(武論尊・原哲夫:原作、カジオ:著)のアニメ化である。

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 実際、どのような内容かというと、まず『ガラスの仮面ですが』は、第1話でヒロインの北島マヤと姫川亜弓が暴走族に扮して「レディース紅天女」の総長の座をバイクで争うというもの。もちろん、師匠である月影千草も初代総長として登場する。演劇の世界における熱いストーリーが描かれる原作と比較すれば、真面目に紹介するのがバカバカしくなるほどその内容は著しくかけ離れているが、必要最低限のキャラ特性と人間関係を維持したうえで、ちょっとしたストーリー上のセリフを引用した“味付け”がなされており、ファンの心を刺激する。第2話は「OL編」、それ以降は「セーラー仮面編」、「女芸人編」などがすでに予告されているが、果たして今後どのような展開になっていくのやら。

 一方、『DD北斗の拳』は、主人公のケンシロウたちが二頭身にデフォルメされた姿で描かれたパロディマンガ。原作では199X年に勃発した核戦争により、荒廃した地球が舞台になっていたが、それ自体をひっくり返してしまい「地球は核の炎に包まれなかった」というパラレルな設定からスタートしている。

 そして、伝説の北斗神拳の継承者になっていたかもしれないケンシロウや、ラオウ、トキの三兄弟も現代社会ではその奥義を発揮する場などなく、フリーターとして日々の暮らしに苦労する有様だ。他にも、原作でもケンシロウと行動をともにするバットやリンが世話係兼ツッコミ役となり、毎回、ワケのわからぬ課題を出してバイトの正式採用を争わせるリュウケン、さらには、南斗の拳士達もライバル商店街のメンバーとして登場する。

 原作では拳士として絶大な存在感を見せたが、現代社会ではただの世間知らずの役立たずの三兄弟。困ったことがあるとすぐに血を吐いて「もう悔いはない」と仕事を放棄するトキ、現代社会においても上から目線の風格は健在だが、ツライことがあれば「このラオウにもまだ涙が残っていたわ」と泣き出すラオウ。主役のケンシロウに至っては、ネコなどのモフモフしたかぶりものを被って人からの関心を引いたり、レジでお弁当を扱う際には「アータタタタ! めますか(温めますか)?」と絶叫するなど、ただでさえ二頭身の愛らしい姿だというのに、世の中とズレまくった言動がさらに滑稽さを引き立たせる。

 もっとも、原作とは作風の異なるパロディ作品というのは、まったくなかったわけではない。1983年に劇場公開された『ドキュメント 太陽の牙ダグラム』で同時上映された『チョロQダグラム』などをはじめ、アニメ作品のスピンオフとして登場するものは古くから存在していたし、最近ではマンガの単行本などでつなぎページにパロディ4コママンガが描き下ろされていることも多い。むしろ、そういったものがないことの方が少ない印象だ。

 ただ、原作者公認で、しかも単体として独立できる作品となるとまた次元が異なる。特に今回の『ガラスの仮面ですが』と『DD北斗の拳』はともに原作者がノリノリの反応をしているのは面白いところだ。『ガラスの仮面』の著者である美内すずえは、番組の公式サイトに似顔絵イラストで登場しているが、困惑ぎみにアニメ化を認めているその絵面やコメントから察するに、ネタとして楽しんでいるようにもとれる。『DD北斗の拳』に至っては、著者の原哲夫がスーパーバイザーとして参加しているほどの熱の入れようだ。

 実際、他の作品においても、『機動戦士ガンダム』では『機動戦士ガンダムさん』(大和田秀樹/角川書店)をはじめとする数多くのパロディ作品が存在するし、『涼宮ハルヒの憂鬱』(谷川 流:著、いとうのいぢ:イラスト/角川書店)においても、『涼宮ハルヒちゃんの憂鬱』(ぷよ:著、谷川 流:その他/角川書店)や『にょろーん ちゅるやさん』(えれっと:著、谷川 流:原著/角川書店)といった、原作をリスペクトしつつも独自にひとり歩きし始める作品が結構ある。こうしたパロディが描かれば描かれるほど、その作品の“ハク”がつくというのは少なからずあるだろう。

 独立したパロディーものが登場して、初めてその元ネタの作品が名作と証明される…と言ったら言い過ぎかもしれないが、パロディの誕生がその評価のレベルメーターのひとつであるのは間違いない。

 原作を熱愛されていて、この手のパロディを好ましく思わないファンの方々も、そのあたりを踏まえて温かい目で見守ってくれるようなら、制作者サイドも胸をなでおろしているのではないだろうか。

文=キビタキビオ