ジブリ美術館で公開予定の映画『しわ』から「ぼけ」を考える

映画

更新日:2013/4/30

 三鷹の森ジブリ美術館が、スペインの長編アニメーション映画『しわ』を配給することを発表した(6月22日から順次公開)。この作品、アニメーションながら主人公は老人、舞台は養護老人施設、テーマは認知症なのだ。スタジオジブリの高畑勲監督は、「『しわ』という作品で、アニメーション映画の持つ可能性がまたひとつ広がった、とわたしは思っています。元になっているコミックスがまずそうなのですが、この映画は、誰もが無関心ではいられないが、そのくせ、できれば目をそらせていたい老後の重いテーマを、勇気をもって扱っています。わたしはひとりの老人として、人間として、そして一アニメーション従事者として、映画『しわ』に心から敬意を表します」とコメントしている。

 物語は老人養護施設に入ることになった元銀行員のエミリオが、自分がアルツハイマーであることに気づくところから始まる。症状が進行する前に、同室のミゲルはエミリオのためにある行動を起こすが……。親しい人の顔もわからなくなり、過去の記憶を失っていく中で、人生の最後に何を思うのかという「老い」を真正面から描いた作品だ。原作はスペインの漫画家パコ・ロカの『皺』(小野耕世、高木菜々:訳/小学館集英社プロダクション)で、2007年にフランスで刊行された際には絶賛を受けたそうだ。

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 ではアルツハイマーとはいったいどんな病気なのか? 老年期の精神医学を専門とする斎藤正彦医師の著書『親の「ぼけ」に気づいたら』(斎藤正彦/文藝春秋)によると、最初は「物忘れ」から始まるという。その物忘れは、忘れていることを指摘されて思い出すものではなく、やったこと、言ったことをまったく覚えていないという物忘れであることが特徴だ。志村けんが老人に扮し、娘に「飯はまだかい?」「さっき食べたでしょ」「婆さんはどこ行った?」「去年死んだでしょ」「飯はまだかい?」というやり取りを繰り返すような状態、というとわかりやすいだろうか。

 さらに症状が進行すると、会社に行くなどの社会的活動や家事などの作業に障害が出始め、日常的な活動が不能となる。さらには立つ、歩く、座るといった体を使うことにも障害が出て、やがて寝たきりとなり、食事をする、痰が絡んだら吐き出すといったことができなくなるなど生命維持・身体活動にも障害が出て、誤嚥性肺炎などで死亡するといった経過を辿ることが多いという。

 なぜそうなるのか? それは「記憶」を失うからだ。

 アルツハイマーの初期段階では、いつ・どこで・誰と・何をしたかという「エピソード記憶」が失われる。その次に言葉の意味や概念の記憶である「意味記憶」が、そして最後、体が覚えている動きなどの「手続き記憶」が失われていくのだという。つまりアルツハイマーになると、まず情報を捕まえられなくなり、今起きたことを忘れるところから始まって、やがてそれまでの人生で積み上げてきたさまざまな記憶がこぼれ落ちるように消え、最後には体の動かし方さえわからなくなって、死に至るのだ。『しわ』の原作本の表紙、そして映画のポスターには、エミリオの頭から古ぼけた写真が次々と抜け落ち、風に吹かれて飛んで行く絵が描かれているが、これはアルツハイマーの症状をとてもよく描写しているといえよう。

 日本の人口の約15%、約800万人いるという「団塊の世代」が高齢者となり始めた現在、増え続ける医療費、介護問題、人口減少など、日本が抱えている問題はとても大きい。またアルツハイマーは老人だけではなく、これから老いる若い世代も他人ごとではない病気だ。高畑監督の言う通り、目をそらさず、考えていかなけれないけない重大な問題なのだ。

文=成田全(ナリタタモツ)