本音と建前 なくなったら困るのはどっち?

マンガ

公開日:2013/5/1

 本音と建前。どちらも、社会のなかで生活していくうえでなくてはならない必要なもの。そんな本音と建前のどちらかがなくなってしまったら、一体どうなってしまうのか? そこで、今期からアニメも始まり、本音をなくした少女と建前をなくした少年が登場する『変態王子と笑わない猫。』(さがら 総:著、カントク:イラスト/メディアファクトリー)から、どっちをなくした方が困るのか見てみよう。

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 まず、建前をなくした主人公・横寺陽人の場合は、思ったことをなんでも口にしてしまうのだ。たとえば、お金持ちで美少女の転校生・小豆梓には、初対面なのに公衆の面前で「あの娘、偉そうなわりに、ひっどいぺちゃぱいだよね!」と言ってしまうし、青いツナギを着て交通整理をする彼女を見て「交通整理の服ってきらきら光るから、夜の野外プレイに向いているな」なんてことを口走ったりする。また、鋼鉄と呼ばれて恐れられている陸上部の部長・筒隠つくしが、いつものスパッツではなく短パンを履いていたときも「ただちにスパッツに着替えろ、この考えなし!」なんて命知らずなことを叫んだりするのだ。そのせいで、“変態王子”なんてあだ名が学校中に広まってしまうほど。

 でも、無理して自分を取り繕っている梓に対して「放っておけないからここにいるんだ。それくらいわかれ!」とか「普通にしていれば好かれると思うし、僕も一般人の小豆梓の方が好きだな」なんて言葉を恥ずかしげもなくスラスラ言える。建前を取り返したくて梓に近づき、彼女を傷つけてしまったときも「――うそついてて、ごめんね。君を傷つけちゃった」と素直に謝ることができた。

 一方、表情や抑揚という本音をなくした少女・筒隠月子と、建前で本音が言えなくなった梓は、どちらも本心が見えない。梓の方は、横寺に「ぺちゃぱい」と言われても激怒して罵倒するどころか「躾の悪い犬に咬まれたみたいで、すごく楽しい…」と和やかな口調で返す。月子に横寺とはどんな関係かと聞かれたときも、横寺が「やだなあ、なんの関係もない人間を誘うほど、お嬢様が奔放なわけないじゃないか」と言ったので、ついつい「そ、そうね、魚心あれば水心、みたいなものかしら」と答えてしまうのだ。おまけに、横寺がペットになると言い出したときも「わ、わあい……やったあ……ぐるぐる巻にされたチーターぐらい、幸せよ……」と強がって、家族である母親にさえ「熱烈なアプローチをしてくるワンちゃんみたいな男の子がいる」とか「好き好き言われて困っちゃう」なんて建前を発揮する。

 また、月子はどんなに全身をくすぐられても笑えないし、自分のことを思い出させるために横寺を自分の上に覆いかぶさるように引き倒したときも、「死ぬほど恥ずかしい」と言いながらまったくその恥ずかしさが伝わらない淡々とした口調と無表情で返す。児童福祉クラブの活動で紙芝居の読み聞かせをするときも、表情を変えずに読み上げていくことしかできない。「山場も泣かせるシーンも、なんの起伏もなく通り過ぎる」ので、どうしても担当したくて頑張った紙芝居を子供たちの前で披露することもできない。

 泣き虫で本音が見えすぎることや人に裏切られて傷つくのが嫌で本音を隠した彼女たち。たしかに、本音をなくしたり建前を手に入れて隠してしまえば、世の中は上手く渡っていけるかもしれない。傷つけなくてもいいところで相手を傷つけたり、自分が傷つくことだってないだろう。でも、建前だらけの人間関係では、誰と一緒にいても寂しさは消えない。やはり本音がなければ本当につながれる相手とは巡り会えないのだ。建前だらけで何を考えているかわからない相手より、多少偏った考えでも本音でぶつかってきてくれる人の方が深い信頼関係で結ばれるはず。本音だけでは、一度でもむきだしの心が傷つけられると怖くなるが、建前だけなら自分の思っていることは一生伝わらない。本音だけの相手を慕って受け入れてくれる人は少ないかもしれないが、たったひとりでも自分を理解して受け入れてくれる人がいれば寂しくない。本音も建前も社会を生き抜く上ではどちらも大切なものだが、いざというときに出せる本音はなくさないでいたいものだ。