京極夏彦が全力で監修する 『水木しげる漫画大全集』がすごい

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/23

 子供の頃から水木しげるの世界にどっぷりと浸かるファンの猛者・京極夏彦。このたび6月から刊行開始する『水木しげる漫画大全集』の監修者として、ビギナーにも、そしてマニアにも納得のいく全集を編むために奮闘中だ。『ダ・ヴィンチ』6月号では、その裏話を吐露。関東水木会という研究団体に入っている京極さんでさえ、ジャンルや媒体を問わない水木作品を “全部”把握するのは難しいという、その苦労話をうかがった。

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【京極】 僕は関東水木会という研究団体に入っているわけです。ファンクラブではなくて、さまざまなスペシャリストの人がいる。その中に水木先生の作品データベースを作ってる人がいてですね、水木会の中では共有化されていたんです。ところがね、そんな人たちが何十年もかけて調べているのに、分からないところもあるし、知らない作品もある。

 水木先生自身も、どの本に何を描いたかなんて全部チェックしているわけではないし、これだけ長く仕事をされているんですから、不明なところがあるのは仕方がないです。

 先日、川端康成の新聞デビュー作というのが発見されましたよね。川端康成といえばノーベル賞作家ですよ。日本を代表する作家じゃないですか。その、はじめての新聞連載作品が、今まで誰にも発見されなかったなんて、あり得ない話ですよ。当然、全集にも未収録ですね。そんな大家でもそうなんですから、「水木しげるにおいてをや」ですよ。しかも、水木先生は仕事を選ばないというか、何でも頼まれればお引き受けになるというか(笑)、だから、どんな媒体にどんな作品を描いていたのか、全貌が把握し難いんです。

――見つけ難いものとしては、過去にどのような例があったのですか?

【京極】 たまたま僕が手に入れたものなんですが、バンダイのカプセルトイに入っていたと思われる豆本に、台詞のない描き下ろしマンガが掲載されていました。たとえば鬼太郎のようなキャラクターのガチャガチャなら分かりますけど、そうじゃないんです。しかも、表紙に水木しげるなんて書いてないですし。

 あとは成人向け雑誌。自動販売機で売っていたような(笑)。そういう雑誌の2色ページに載ってたりする。これじゃあ分からないですよ。

 少年マンガの人が青年マンガに進出するということはありますけど、そんなにジャンルはバラけないじゃないですか。もうほんとに水木先生は、クロスオーバーというか、ジャンルの壁を越え、媒体の壁を越えて、何にでも描ける人だったんです。

 実は現在もまだ調査中なんですよ。全集の刊行を何期かに分けたのは、出版の都合だけではなくて、きちんと調査してできる限り網羅しようという意味もあります。

――そのほかにも、他のマンガ家さんの全集とは違う苦労がありそうですね。

【京極】 まあ、作りにくいことは確かですね。全貌が把握しきれていないというのもあるんですが、細かい改稿が多い。どこから別作品とするかの線引きが難しいわけです。

 ここは誤解されやすい、大事なところなんですが、例えば「原稿を使い回している」という言い方をする人がいますね。でも、そうじゃないんですよ。水木先生は同じネタでも、媒体が変われば異なったプレゼンテーションをする人なんです。だから同じ話でも、見せ方やコンセプトが違う。キャラや設定を変えただけの同じ話も存在します。ただ、同時に水木先生は効率を考える方でもあるので、同じコマで済むなら、原稿の流用もされるわけです。でも、それは違う作品なんです。「それでも話の筋は同じでしょ」と言う人もいるんですが、マンガはストーリーだけじゃないですね。ストーリーは作品の一部分でしかない。絵とかコマ運び、作品の長さによって読み応えは違うじゃないですか。だから使い回しでも改変でもなくて、それは別の作品なんです。それから、心ない編集者の手で単行本化の際にザクザクと改変されてしまうような例も少なからずあるんです。その後、新しく描いたコマで埋めたりしているので、異本が極めて多い。それを別作品としてカウントするかどうかという判断は、水木作品を知らない人には難しい。今回は「水木しげるの意図」を基準にする方針を立てました。どう描き分けたのか、読み比べをしてほしいです。

取材・文=村上健司
(『ダ・ヴィンチ』6月号「水木しげる特集」より)