もしも自分の息子がゲイだったら…思春期のゲイと母親の関係

BL

更新日:2013/5/14

 中学生になればいろんな悩みにぶち当たるが、それが女装癖や同性愛といった悩みなら、なおさらその戸惑いも大きくなるはず。思春期の少年にとって、自分がゲイということを受け止めるのはとても勇気のいること。そして周りの人、なかでも家族にどうやって受け入れてもらうかが大きな課題となる。4月24日に発売された『スメルズライクグリーンスピリットSIDE:B』(永井三郎/ふゅーじょんぷろだくと)には、性に対する葛藤を抱えた三島、夢野、桐野の中学生とその母親たち、そして教師の柳田が出てくる。もしもここに登場する中学生の母親のように、自分の子供がゲイだと分かったらあなたはどうするだろうか。

 たとえば、ゲイという自覚はないけどクラスメイトの男子・三島を好きになってしまった夢野の場合。彼は、ホモなんて気持ち悪いと言って女の子っぽい見た目の三島をいじめる一方で、エロい三島を妄想していた。いざキスをして三島のアソコを見たら「あ」「違う」と思って逃げてしまったけど、やっぱり三島のことが頭から離れなくて母親に「もし俺がホモっつったらどーする?」と聞いてみたりもする。それに対して、母親はじっくり考えたうえで「もしそうでも私はしょうがないって思うの」と答えてくれるのだ。「“男だから”“女だから”抜きに誰かに恋するなんて結構すごいことじゃぁない?」「だって好きだって言ってんのダメだなんて言えないでしょー」と言って受け止めてくれた。否定もせず、一緒になって夢野の気持ちに立ち、見守ってくれる。こんなふうに、自分を肯定して受け入れてくれる親がいたら救われる部分も多いだろう。

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 しかし、夢野の母親のように素直に受け入れてもらえることばかりではない。女子に人気の教師だった柳田も中学生ぐらいのときにクラスの男の子を好きになり、合宿中に2人でエッチなことをしていたところを先生に見つかって親にゲイだとバレてしまう。そのときの母は「化け物でも見てるかのような眼」をしており、それからはテレビで芸人が同性愛をネタにしたコントをやるだけで血相を変えてテレビを消したり、同性の友達ひとりひとりを疑うほど。そんな母親を安心させるために無理やり結婚して子供を作っても、結局相手にバレて離婚し、母には「あなたの病気のせいなんでしょ!? まだその病気治ってなかったの!?」と言われてしまう。母のために自分を殺して生きてきたのに、その母が自分を化け物とか病気としてしか見てくれないなんてこんなに悲しいことはない。そんなふうに屈折した思いを押し込めてきたから、柳田は大人になって暴走し、壊れてしまったのだろう。

 そして、三島と同じクラスで彼と同じように同性愛で悩んでいた桐野の母親も、どちらかというと柳田の母親に近い感じだった。だから、桐野は同性愛者だとバレないように必死で隠し、三島をいじめることで自分に「ホモは嫌い」「気持ち悪い」と思い込ませようとしていた。でも、彼がそうやって普通でいようとしたのは大好きな母を悲しませないため。彼女に笑っていて欲しいから、桐野は必死に「努力」していたのだ。しかし、町の噂で母親に同性愛者だということを見抜かれ「子供なんか産むんじゃなかった」と言われたときは、さすがに耐え切れずに家を飛び出してしまう。それでも、最後には逃げずに自分が同性愛者だということを話し、そのうえでどうしたいのか母と話し合うことにする。柳田のように母親のせいにしたりせず「私が私のために選んだの」と覚悟を見せるのだ。

 また、主人公の三島も一度は桐野と同じ道を選ぼうとした。同性愛者で女装癖があった彼は、初恋の人も小学校の男の先生だったし、中学生になると夜中に口紅を塗って変身するようになる。それが、彼の精神安定剤になっていたのだ。そんな自分を受け入れていたけど、ゲイとしてではなく普通の人として誰かと結婚し、2人きりの家族である母親を支えて生きていくつもりだった三島。しかし、町中に自分がゲイだという噂が広まったことをきっかけに、母親ときちんと話し合うことになる。三島の母親は、彼がゲイだと気づいていながら自分から話すまで待ってくれていたのだ。そして、自分のために結婚しようと考えていた三島に対して、私たちはたった2人の肉親だけど「私は私でお前はお前だ」。「私のために選んだその道が少しでもお前の我慢や諦めの上にあるのならそれでお前の思った道を行けないのなら――私は…凄く悲しいしそれこそ不幸だ」と言って、本当はどうしたいのか。きちんと三島と向き合って、彼の気持ちを尊重してくれる。

 どの選択も何が正しくて誰が間違っているかなんてわからないが、お互いにきちんと話し合えば歩み寄ることはできるのかもしれない。桐野のようにきちんと納得して自分で選んだ道なら、柳田のように壊れてしまうこともないはず。みなさんも、この本を読んで同性愛について考えるきっかけにしてみては?