橋下発言から考えた日本における童貞の差別史

社会

更新日:2013/5/27

 波紋を広げ続けている橋下徹大阪市長の「慰安婦は必要だった」「米軍は風俗営業の活用を」発言。橋下氏本人はその後「慰安婦を容認してはいない」と釈明しているが、韓国をはじめアメリカからは非難を受け、女性議員たちからも「女性の人権を踏みにじる発言」と糾弾を受ける事態となっている。

 この橋下発言は、異性愛者であれば“男性は女性によって性欲処理するのが当然”と受け取れるもの。女性に対する思慮に欠ける発言であるのはもちろんだが、“男性=女性で性欲処理せずにはいられない者”という男性に対する偏見、さらには、女性で性欲処理しない男性、たとえば童貞にいたってはその存在すら無視している。これは女性の人権のみならず、男性、なかでも童貞の人権も踏みにじってはいないだろうか。

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 童貞は偏見や差別が根深いもの。近年は、みうらじゅんと伊集院光の『D.T.』(メディアファクトリー)や、ドキュメンタリー映画『童貞。をプロデュース』といった“童貞語り”が積極的に行われ、童貞をネタにしやすい環境が整いつつあるが、それでも「(童貞とは)恥ずかしいもの」という捉え方が一般的だろう。果たして、日本ではどのように童貞は扱われてきたのだろうか。

 そのことがよくわかる1冊が、気鋭の社会学者・渋谷知美が童貞史をまとめた『日本の童貞』(文藝春秋)だ。まず、多くの人は夜這いの文化があった前近代には童貞が存在しなかったのでは? と考えると思うが、なかには性交未経験の男子が存在したという。ある民俗学者の回顧によれば、その当時も「婦人を知らぬ男子を卑しむ習慣」があったらしく、「生きた穴を知らない」と悪口を言われたようだ。また、江戸時代においても、「きむすこ」を滑稽に描く川柳があったりで、童貞はバカにされていたという。

 そこに風穴を空けたのが福沢諭吉である。福沢は「文明開化の視点から男子の品行を問題化」し、さらに医学的な見地からも性的に奔放であると性病を患う可能性も高まるとして「男子も貞操を守るべし」という規範が生まれる。そうした流れのなかで、大正期に一部の大学生をはじめとする知識人のあいだに登場したのが、“童貞とは新妻に捧げる贈物”という価値観である。彼らは“女子に処女を望むのならば自分も童貞であるべき”と新たな価値を見出し、「童貞万歳!」と叫んだ。童貞が権利獲得に動き出した瞬間ともいえるだろう。ただし、この考えは「女性は処女であるべき」という点に何の疑問も持っていないことに注意してほしい。

 が、この“童貞は美徳”論も、「1960年代半ばの雑誌メディアの盛り上がりのなかで陰り」を見せはじめ、雑誌は「処女は減り、童貞増える」という事態を問題化しはじめる。そして72年には“童貞=かっこ悪い”言説が登場し、80年代になると童貞に関する言説は細分化。「シロウト童貞」を見下し、20歳以上の童貞をバカにし、さらには「童貞は見ただけでわかる」と言い出す者や、マザコン・包茎・インポテンツと童貞を結びつけて語られたりと、童貞にとっては踏んだり蹴ったりな時代に突入するのだ。現在はここまで差別は激しくないだろうが、価値観としてはこの時代の延長線上にあるといっていいだろう。

 それでは、童貞が差別される社会に対して抵抗するにはどうすればいいのだろうか。本書はその答えとして、「何か特定の言説が力を持たないように、より多くの性にまつわる言説を公の場であみだしていくこと」を提示。さらに、「恋人とセックスすることを人生で最上の価値」にするのをやめることでセックスの特権性を剥奪することも提案している。

 そもそも性は多様なものだ。家族をもうけ、たくさんの子を育てる男性もいるし、愛人と火遊びを楽しむ男性もいる。それと同じように、女性とのセックスがすべてではない男性だっている。女性との性行為よりもひとりで楽しむほうが気が楽でいいという男性もいるだろう。自分の勝手な価値観で“男性の性処理には女性が必要”と語ることは、特定の言説を強化させる童貞差別の助長にすぎない。こんな声に負けず、童貞はもっと大きな声で「童貞だって楽しい」と主張しようではないか。