個人情報はとっくにだだ漏れ? 現代の「監視社会」の実態を探る1冊

社会

更新日:2013/6/24

 アメリカ政府が、国防総省の諜報機関であるNSA(国家安全保障局)を使ってネット上の個人情報にアクセスしていたというニュースが世界中を駆け巡った。「プリズム」と呼ばれる検閲システムが個人の通話記録やメールの内容を広く収集していたといわれ、その情報をリークしたのは元NSAのセキュリティー担当者で、CIA(アメリカ合衆国中央情報局)でも働いていたというエドワード・スノーデン氏だ。

 スノーデン氏は取材に対し「間違ったことをしていなくても、監視・記録される。そしてデータの容量は毎年増え続ける」と語り、「全ての人の通信を対象に情報を集め、フィルターにかけ、しばらくの間保存する」ことが行われてるという。またネット上で一般市民からの質問に答える形で、NSAで働いていた当初、「自分のデスクからどんな相手も盗聴できた」とも語っている。これに関連し、マイクロソフト、フェイスブック、アップルなどが、米当局からの顧客情報開示要請があったことを発表。さらには2009年にロンドンでG20が開かれた際に、イギリス政府も他国の出方を探ろうと各国代表団の電子メールや電話を傍受していたというニュースまで飛び出した。

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 『私たちが、すすんで監視し、監視される、この世界について リキッド・サーベイランスをめぐる7章』(Z・バウマン、D・ライアン:著、伊藤茂:訳/清土社)によると、現代は「リキッド・サーベイランス」という状態にあるのだという。これはリキッド=流体的で不安定な近代の中に、サーベイランス=監視の展開を位置づける方法のことで、これまでのような固定された容器はないものの、セキュリティの要請に促されて、技術系企業の執拗なマーケティングに駆り立てられた監視が至るところに溢れているという。しかし私たちは、自らの意思でプライバシーの権利を手放しているという。それは提示される素晴らしいものに対して納得する代償、もしくは圧力に耐えらないことが理由だというのだ。本書の帯にもあるように、現代はプライバシーをとるか、安全と利便性をとるか、それともこの世界から「排除」されるかのいずれかを選ばないと生きていけない世界になっているのだ。

 そんな「個人情報の保護」が叫ばれる昨今だが、SNSなどで進んで個人情報を開示している人がたくさんいるのも現実(というかその中身はほぼ個人情報しかない、といっても過言ではない)で、人々はインターネットの利便性と引き換えに、進んで個人情報を開示している状態にある。「TwitterもFacebookもやっていない」という「利便性の圧力に屈しない」人でも、インターネットの検索エンジンを使ったことはあるだろう。その検索結果の画面には、それまでに検索したことなどをベースに、その人に合った検索結果が表示されている(つまり、となりの人とは違う検索結果が表示される)のはご存知だろうか? そしてSNSはその人の年齢などの属性や書き込んだこと、写真などの情報からその人に合った広告が選ばれて表示されることや、買い物サイトの履歴から「おすすめ商品」が選別されてズラッと並べられるなども、その「利便性との引き換え」にほかならないのだ。

 消費者を誘惑して振り分けを行って有望な消費者を囲い込み、それ以外は排除するという監視体制になってきている現代では、「正反対」のものが「協働」し「同じ業務」のために「協力させる」ことがあるという本書。まさにこれは、国家と企業という冒頭のニュースにリンクしていることだ。何を取って、何を捨てるべきなのか、リスクとるのか、それとも便利さを優先させるべきなのか? 現代に生きる私たちは、難しい問題を突きつけられている。

文=成田全(ナリタタモツ)