WEB官能&BL(20)高遠琉加『背中で殺してくれ』

更新日:2013/8/6

官能WEB小説『fleur(フルール)』連載

高遠琉加『背中で殺してくれ』

 住宅街でこじんまりとしたコーヒーショップを営んでいる潤也は、気に入った客の男と寝ては相手の背中を写真に撮っている。なぜなら背中は嘘がつけないから。相手の考えていることだって背中を見ればわかる――たとえばもう別れたいと思っている、だとか。去るもの追わずの関係ばかりを重ねていた潤也だったが、ある日常連客のひとりである橋口陽介に助けてもらい――。

 

 ベッドから出て服を着る時って、どうしてみんな背中を向けるんだろう。

 死にたくなるじゃないか。

 

 体の右側がふっと軽くなって、目が覚めた。

 小さくスプリングが軋む音がする。それから、長いため息の音。そっと服を着る衣擦れの音。もうひとつ、ため息。無音。

 俺はゆっくりと瞼を開けた。

 目だけを動かして、枕元にある時計で時刻を確かめる。深夜十二時前。終電が出るまであと少しだ。

 住宅街なのであたりは静まり返っている。ナイトテーブルに小さなライトがついていた。その明かりの中に、ベッドに腰かけた裸の背中が浮かび上がっている。

 俺は身動きせず、じっとその背中を見つめた。

 男の広い背中ってスクリーンだなと思う。そこにはいろんなものが映し出される。傷や、疲労や、抱えているものや、言葉にならない感情や。女は背中でも嘘をつく。でも男の背中は正直で、無防備だ。

(だから色気があるんだよな)

 隙って色気だ。俺は気づかれないようにそろそろと手を伸ばして、枕元の携帯電話を取った。

 男は着替えている途中でちょっと放心しているみたいだった。上半身は裸で、スーツのズボンだけをはいている。ズボンのゆるんだウエストからパンツのゴムが覗いていた。そういうとこもちょっとそそる。

 真夜中。静かな部屋。さっきまでセックスしていた相手は眠っている(と思っている)。男が一番無防備になる時間だ。男の肩は少し下がっていて、首がうなだれていた。頭の中の考えや日常の雑事が重すぎて、支えきれないみたいに。わずかに丸まった背中に、疲労が雪みたいに降り積もっていた。

「……」

 またひとつ、小さなため息の音がした。

(あーあ)

 潮時かな。

 携帯を向けて、カメラで背中の写真を撮る。シャッター音に男が振り向いた。

「起きてたのか」

「ん」

「また写真撮ったのか?」

 わずかに眉根が寄っていた。少し前までは、背中の写真を撮ってもしょうがないなって笑っていたのに。

 俺は鈍感なふりでにっと笑ってみせた。

「俺、背中フェチなの」

 俺はいつもこうやって男の背中の写真を撮っている。別に赤の他人の背中を撮ったりはしない。寝た相手だけだ。背中を見ていると、いろんなことがわかるから。

 現に、潮時かなと予想した相手は、再び背中を向けると他人行儀な仕草で服を着始めた。シュッとネクタイを結ぶ音がする。男が“社会”に向かう時の合図の音。

「――話があるんだ」

 やけに真剣な口調で、男が言った。背中を向けたまま。

(ほらね)

「もう、ここへ来るのはやめようと思う」

 俺はナイトテーブルからミネラルウォーターのペットボトルを取った。壁にもたれて、ごくごくと喉を鳴らして飲む。どうしてか、別れ話をする時はいつもやたらに喉が渇く。

「俺たち、もともと店の主人と客ってだけだったし……いまだに互いのことよく知らないし。おまえだって、遊びのつもりだっただろう?」

 もっと簡単にひとことですませればいいのに、どうしていろいろ理由をくっつけるんだろうな。

「それに」

 男はベッドから立ち上がり、ハンガーにかけてあったジャケットを着た。武装完了って感じだ。

「……妻が妊娠したみたいなんだ」

「……」

 口に含んだ水を、一瞬止めた。それからごくんと喉仏を大きく動かして飲み込む。

「ああ……そう」

 ああそう、と思った。それ以外に言いようがない。

 妻とはうまくいっていないと言っていた。このままだと別れることになるかもしれない、と。でもまあ、やることはやってたわけだ。子供ができたら、離婚なんて考えていたことも忘れるんだろう。

「わかった」

 あっさり答えると、男が振り返った。優柔不断を絵に描いたような優男顔が、予想外の反応だったみたいにとまどっている。勝手だよな。

「じゃあ、これで最後だな」

 俺はベッドに足を投げ出して座ったままだった。立ち上がって追いすがったりしない。去る者は追わない。それがモットーだ。

「さよなら」

 にっこり笑って言って、俺はひらひらと手を振った。