酒を水で割って飲むほど貧乏しちゃいない? 粋人たちによる「ウイスキー」の愛し方

食・料理

更新日:2013/7/16

 7月3日、サントリーホールディングスの中核子会社である、飲料・食品事業を手がける「サントリー食品インターナショナル」が東証1部に株式上場した。初値は公募・売り出し価格を上回る1株3120円の値が付き、時価総額は9640億円という今年最大の新規上場となった。

 そのサントリー、日本で初めて国産ウイスキーを製造販売したメーカーであることをご存知だろうか。『ウイスキー粋人列伝』(矢島祐起/文藝春秋)によると、「赤玉ポートワイン」の製造販売で成功したサントリー創業者の鳥井信治郎は、本格的なウイスキーの製造を志し、今から90年前の1923年10月、京都郊外の山崎の地にウイスキー蒸留所の建設に着手。5年半後の1929年4月に国産本格ウイスキー第1号となる「サントリーウイスキー白札」(現在の「ホワイト」)を発売する。そして1937年、本格的な「サントリーウイスキー12年」(現在の「角瓶」)を発売することで、ウイスキー事業を軌道に乗せることに成功したそうだ。

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 さらに戦後の1946年には手軽な値段の「トリスウイスキー」を発売。1961年には「トリスを飲んでハワイへ行こう!」という画期的なキャンペーンもあり、日本人にウイスキーを飲む習慣が浸透することとなった。その名コピーを作ったのが、当時サントリー宣伝部に所属していた、作家の山口瞳だった。その山口、酒場でウイスキーを注文し、バーテンダーから「水割りですか?」と聞かれると「酒を水で割って飲むほど貧乏しちゃいねえや」と答えていたという。しかし晩年になると寄る年波から体調を慮り、ローヤルの水割りを愛飲。「裏切られたと思う方は、67歳という年齢に免じて許してもらいたい」とエッセイで釈明しているそうだ。

 また1950年に発売され、そのボトル形状から「ダルマ」の愛称で親しまれている「サントリーオールド」を好んだのが、『嘔吐』『存在と無』などの著作で知られるフランスの哲学者、ジャン=ポール・サルトルだ。フランソワーズ・サガンの『悲しみよ こんにちは』の訳者として知られる朝吹登水子が、サルトルにパリへの土産は何がいいかと聞くと「サントリーオールド!」と言下に答えたという。それは京都を旅行したサルトルとボーヴォワール、そして朝吹との「ある出来事」がきっかけだったそうだが……詳しくは本書に譲るとしよう。

 ほかにもオールド・パーを愛した吉田茂、その吉田からオールド・パーを振舞われたことがきっかけで愛飲するようになった田中角栄、スコットランドの貴族から贈られた樽入りのシングルモルトウイスキーを嗜んだといわれる白洲次郎、その樽のウイスキーを白洲からごちそうになったという大島渚、ウイスキーのない小料理屋にはポケット瓶を持ち込んでいたという江戸川乱歩、野球の名監督・水原茂が初めて日本に持ち込んだといわれるオンザロックを巡るエピソードなど、ウイスキーを愛し、飲み継いできた人々の話が綴られている。

 昭和時代の日本で「洋酒」といえばウイスキーのことを指していたが、高い関税や酒税法の関係から、庶民にはなかなか手の届かない高級酒であった。その証拠に、漫画『美味しんぼ』(雁屋哲:原作、花咲アキラ:作画/小学館)の登場人物である富井副部長は「自前でスコッチなんか飲んだことがなく、たまにもらっても戸棚の飾りだった」と嘆息している。そんな憧れの時代から現代に至るまで、酒を楽しむ人の「粋な話」が満載の本書、読むと必ず飲みたくなるので、グラスにウィスキー(ストレート、水割り、ロックなどはお好みで)を満たしてから読むことをお勧めする。

文=成田全(ナリタタモツ)