自分を定義するのに必要な「記憶」が脳に蓄えられる仕組みとは?

科学

公開日:2013/7/25

 1982年に公開された映画『ブレードランナー』(原作はフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』)では、「人間を人間たらしめているものは何なのか?」が重要なモチーフとなっている。人間そっくりに作られたロボット「レプリカント」を製造するタイレル社は人間以上の完成度を目指しているが、試作品のレプリカントに「感情」が目覚めて苛立っているという。それは作られてから数年しか生きている経験がないこと、つまり「人間ではない“自分”という存在とは何か?」を定義する記憶の不足が原因だ。試作品の苛立ちを抑えるためには、過去を作って与えてやることが必要で、それによって感情が落ち着いて制御も楽になる、とタイレル社の社長は語っている。

 その記憶、レプリカントではなく、生身の人間は脳のどこでどのように蓄えているのだろうか? 『記憶をコントロールする 分子脳科学の挑戦』(井ノ口馨/岩波書店)によると、側頭葉の内側にある、親指の先ほどの大きさの「海馬」という部分が、記憶の中枢なのだそうだ。この海馬、一旦記憶が蓄えられる場所で、半年~2年くらいの記憶だけがあるんだそうだ。

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 ではそれ以前の記憶は、どうやって保存しているのだろうか? 古い記憶は「大脳皮質」に移され、蓄えられていて、色や匂い、音など記憶の種類によって貯蔵場所が違うという。しかも記憶というのは消えずに大脳皮質に残っているものなのだそうだ。ちなみにアルツハイマーになると、最初に海馬が萎縮してしまうので短期記憶ができなくなるものの、古い記憶は鮮明に覚えている(やがてはそれさえもなくなってしまうのだが)らしい。

 そして人間は、似たようなことを連合して覚えているそうで、これが「知識」を形成していく基盤になるという。例えば、子どもが初めてイヌを見て「これは動物だ」と教えてもらうと、「動物は4本足でワンと吠える」とインプットされる。そして次にネコも動物だと知ると、「鳴き声はワンでなくてもいい。4本足で歩くのが動物だ」と記憶を修正する。そしてカラスも動物だと知ると「4本足でなくてもいい」とさらに修正され、ヘビも動物だと知ると「足がなくても動物である。動物とは動くものだ」と、経験の中から「動物とは何なのか」を理解していく。人間はこうして別々の記憶を統合し、知識を形成していくのだ。

 また記憶というのは、思い出すことで不安定になり、それが「再固定化」するのだそうだ。せっかく覚えた英単語の意味やスペルがあやふやになってしまったり、間違って覚えてしまうのはこのメカニズムのせいだ。しかし繰り返し学習すると、意味とスペルを間違えずに覚えることができる。つまり人間は思い出すたびに記憶が不安定になることで、その記憶と新しい情報を連合させ、記憶をアップデートしていると考えられているのだそうだ。その積み重ねが知識や概念を形成し、自分が自分であるという意識を生み出していて、著者の井ノ口氏は「自我や人格というのは、過去の記憶によって形成される」と語っている。本書はこうした記憶のメカニズムを、とてもわかりやすく、平易に説明してくれる1冊だ。

 『ブレードランナー』の最終版(リドリー・スコット監督のディレクターズカット版)では、流れ者のレプリカントを始末する仕事をしている主人公デッカード(ハリソン・フォード)は、実は彼自身もレプリカントなのではないか、という見方ができるそうだ(編集によって様々なバージョンあり)。もしも自分の記憶がすべて偽物だったとしたら……脳の研究が進むと、SFでお馴染みの設定が、本当になる可能性は十分ある。『ブレードランナー』の時代設定は2019年。それは遠い未来ではないのかもしれない。

文=成田全(ナリタタモツ)