純一郎、孝太郎、進次郎を生んだ小泉家の歴史

政治

公開日:2013/8/12

 テレビを見れば、数えきれないほどの「二世・三世タレント」が名を連ねている。政界から芸能界までジャンルを問わず、家柄を背負って登場してきた著名人はとても多い。今や二世・三世タレントは、ひとつのカテゴリとして世間に定着した感すらある。

「親の七光り」と、厳しい批判をされることもある彼らだが、今日の活躍に至るまでには、本人たちですら知らない先祖の波瀾万丈があった。そんな知られざる歴史を紐解いた本が、『日本の血脈』(石井妙子/文藝春秋)だ。本書では、各界の有名人に焦点を当て、その親や祖父母、親戚など、何代にも遡って家族の歴史に迫っている。著者の渾身の取材を経て明らかになった、あの人物の血脈に迫ってみよう。

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 世襲といえば、この人。総理の血を受け継ぎ、政界の若きスターともてはやされている男、小泉進次郎だ。爽やかなルックスと歯切れの良い演説で一気に人気を集め、今や「間違いなく総理になる男」と言われるまでになった。そんな彼の歴史を語るには、彼の父・小泉純一郎の祖父である小泉又次郎まで話を遡る必要がある。

 小泉又次郎は、貧しい漁村の出身だった。当時彼が暮らした神奈川県・横須賀では、海軍直属の軍需工場に勤める官僚と、港で働く肉体労働者との身分差が厳しく、学校でも官僚の子ばかりが優遇されたという。又次郎が政治家を志した理由もそんなところにあったようだ。その後、又次郎は明治41年衆議院議員に立候補して初当選。内縁関係にあり、遊郭出身のナヲという女と正式に結婚した。

 又次郎とナヲの間に子どもはできなかったが、又次郎には芳江という娘がいる。なぜか? これには、石川ハツという又次郎宅の女中が関係している。石川ハツは未婚のまま女児を産み、産まれた子は「石川エシエ」と名付けられた。ハツは後に別の相手と結婚したが、エシエは又次郎に認知され、小泉家にもらわれる形となったのだ。エシエは芳江と改名され、「小泉芳江」すなわち小泉純一郎元総理の母となるのである。

 著者は、芳江について「“貰われっ子”であることを強く意識していたはず」と分析する。芳江は「成長するに従い、“家”に、あるいは“家族”に強いこだわりを見せるようになる」のだった。芳江は結婚相手に民主党の事務員である鮫島純彌(すみや)を選んだ。小泉家の世襲を成り立たせたのは、芳江の存在だったのである。

 その後、池田勇人内閣で防衛庁長官として初入閣した純彌は、65歳という若さで急逝。跡継ぎとして呼ばれたのが、イギリスに留学中の長男・純一郎だった。又次郎の孫であることをアピールし、選挙を仕切ったのは、もちろん芳江である。国会議員として当選後、純一郎の秘書を務めたのも姉兄妹を中心とする小泉家の一族だ。「家族で一致団結して家業を守り立てる。それが“貰われっ子”である芳江の抱いた、理想の家族像だったのだろうか」と著者は分析している。

 その後純一郎は、エスエス製薬元社長の孫娘・佳代子と結婚。長男で、今は俳優として活躍中の孝太郎に続き、次男の進次郎が生まれた。しかし、結束の固い小泉家の中で生きづらさを感じた佳代子は、純一郎との離婚を選択。離婚にあたり純一郎は「妻と家族とどちらを取るのか」と迫られ、「僕は姉たちがいなくては選挙ができないから姉弟をとる」と答えたというから驚きだ。

 「考えてみれば小泉家の人々は、皆、どこか欠落している。(中略)だからこそ、強く結束する。自分の抱える穴を埋めようとして」と著者は語る。自民党の大スターとなった小泉進次郎も、その運命の中で自らの使命を遂行しているに過ぎないのか。

 本作は、小泉進次郎のほか、香川照之、中島みゆき、オノ・ヨーコ、美智子妃など、注目の人物の家系をたどったノンフィクション。セレブリティたちの紡いだ歴史の裏には、何が隠されているのか。血脈の謎を知れば、その人物を見る目がこれまでとはきっと異なってくるはずだ。

文=池田香織(verb)