「大ひげ禁令」に「ヒゲ裁判」? 男の見栄が見え隠れする「ヒゲ」の歴史

社会

更新日:2013/9/10

 男と女の顔で最大の違いといえば「ヒゲが生えること」だろう(髪がハゲるというのもあるが)。ところがこのヒゲ、つい数年前までビジネスシーンではご法度だったのだ。オシャレなヒゲが許容されるようになってきた今ではちょっと考え難いが、会社にヒゲを生やすことを認めてもらうため、裁判を起こした人もいたくらいなのだ。

 しかし思い出してみて欲しい。社会科の教科書に載っていた、明治維新後の政治家や軍人、作家にはとんでもない長さや量のヒゲが盛大に生えていたことを! しかもよくよく思い出してみると、聖徳太子や蘇我氏などはヒゲを生やしていたし、奈良~平安時代の天皇や貴族もヒゲを生やしている人が多い。また織田信長や豊臣秀吉(ヒゲが薄かったので付けヒゲをしてたといわれる)、武田信玄などの戦国武将もヒゲを蓄えていた。ところが教科書が江戸時代のページになると、ヒゲ面の人はそれほどいなかったイメージがないだろうか?

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 日本人は「ヒゲ」とどう付き合ってきたのだろうか? 『ヒゲの日本近現代史』(阿部恒久/講談社)によると、日本では平安時代の半ば過ぎまでは、僧侶以外はヒゲを生やすのが一般的だったそうだ。ヒゲを剃る習慣は、平安時代後期の鳥羽院のときに「眉つくり」や「薄化粧」をするようになり、公家階級を中心にヒゲを剃ることが始まり、他の階層へも広がったそうだ(武士はヒゲを生やすのが当然とされていた)。それにしても鳥羽院の子である崇徳天皇が、保元の乱で敗れて讃岐に流された時に髪もヒゲも爪も伸び放題にし、生きながら天狗になったと言われるのは歴史の皮肉か……(その後、怨霊となった崇徳院の姿は上田秋成の『雨月物語』や、曲亭馬琴の『椿説弓張月』などに登場する)。

 強さの象徴としてヒゲを生やす習慣は江戸時代初期まで続き、1670年に「大ひげ禁令」が出たことで一気に男の顔から消えることになる。それが明治の始めまで続き、文明開化によって欧米化が進んだことでヒゲを生やすことが流行する。天皇や政治家、官僚、学者、教師、軍人や警官の中でも上の階級の者がヒゲを生やしたそうで、これは一般民衆に対する権力性を表す記号として機能したという。ドイツの皇帝であったヴィルヘルム2世の生やしていたヒゲをマネたカイゼル髭(鼻の下に生やし、油などで固めて左右にピンと立たせるヒゲのこと。本書の帯にあるような形だ。ちなみにカイゼルとはドイツ語で皇帝を意味する)が流行するなど、さまざまなヒゲの形が流行したそうだ。

 その後、大正時代にはヒゲのない「モボ」が流行したり(女性からの見た目があったそうだ)、喜劇役者のチャーリー・チャップリンが生やしていたようなちょび髭や、イギリス人俳優のロナルド・コールマンが生やしていた鼻の下に左右に伸ばすコールマン髭などが好まれたという。ヒゲが小さくなった理由を著者の阿部氏は「女性に向けて男性であることを示し、女性に対して優位に立とうとする漠然とした意志の現れ」と考えているそうだ。そして時代は昭和に入り、軍国主義となったことでヒゲが復権。しかし戦地に赴いた兵士たちの間では安全カミソリが普及し、戦後にヒゲを剃る習慣が広まり、戦後経済復興期のサラリーマンたちにとって毎朝ヒゲを剃ることが普通になっていく。そして冒頭で「ヒゲ裁判」を起こした人の話ももちろん本書に登場する。その判決がどうだったかは、本書で確認して欲しい。

 最近では永久脱毛してしまう人もいるというヒゲ。たかがヒゲ、されどヒゲ。さて、あなたはヒゲを生やしますか? 剃りますか? それとも抜いちゃいますか?

文=成田全(ナリタタモツ)