発言や人格ではなく、作品から読み解く「作家」石原慎太郎の真価

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/23

 東京都知事を務めていたときに「東京へオリンピックを」と言い出した張本人であり、きわどい発言がしばしば取り沙汰される衆議院議員、石原慎太郎氏(ちなみに公式サイトのタイトルは「宣戦布告.net」だそうです……)。しかし石原氏が今も現役の小説家だと知っている人、その作品を読んだことがある人というのは意外と少ないのではないか? また戦後の文学史で重要な位置を占めるにもかかわらず、これまでしっかり論じられてこなかったのではないか? そんなところから「石原慎太郎の小説を読み直して、戦後日本文学を既存の文学史とは別の角度から洗い直していく」というコンセプトで、1年間12回にわたって開催されたというのがトークイベント「いつも心に太陽を」。「資料の鬼」である評論家の栗原裕一郎氏と、石原慎太郎の宿敵を自認するライター・書評家の豊崎(「ざき」は山に立+可)由美氏、そしてゲストに映画に詳しいライターの高鳥都氏とアイドル評論家の中森明夫氏を迎えた対談をまとめたのが『石原慎太郎を読んでみた』(栗原裕一郎、豊崎由美/原書房)だ。

 ここで石原氏の来歴をおさらいしておこう。

advertisement

 今年81歳の石原氏は1932年(昭和7年)神戸で生まれ。19歳の時に父親が急死し、長男だった石原氏は一家の家計を支える存在になるべく公認会計士を目指して一橋大学に入学する。しかしすぐに適性がないとわかり、デビュー作となる『灰色の教室』を54年に発表。翌年、2作目となる『太陽の季節』が『文學界』へ掲載され、第1回文學界新人賞と第34回芥川賞を大学在学中に受賞し、一躍ベストセラー作家となる。このブームは凄まじく、石原氏の髪型「慎太郎刈り」を真似る若者が続出し、弟である石原裕次郎氏が出演した映画『太陽の季節』も大ヒットした。その後作家として様々な作品を発表し、68年には自民党から参議院選挙に出馬して国会議員となり、95年に国会議員を辞職。99年からは東京都知事を務め、2012年に任期途中で辞任して「太陽の党」を結成(その後「日本維新の会」に合流)。同年12月の衆議院選挙に立候補して当選し、現在は再び衆議院議員を務めている。

 その間、石原氏はずっと小説や評論を書き、芥川賞の選考委員を務めるなど作家活動も続けてきた。ちなみに石原氏のベストセラーは『太陽の季節』、69年出版のスパルタを奨励した教育論『スパルタ教育』、89年のエッセイ『「NO」といえる日本』(当時ソニー会長だった盛田昭夫氏との共著)、弟の裕次郎氏の生と死を描き、ドラマにもなった96年の『』の4冊だ。しかし本書では『亀裂』『化石の森』『嫌悪の狙撃者』『わが人生の時の時』などの小説を中心に、デビューから最近の著作までを読み込むことで「作家・石原慎太郎」について考察している。常々「慎太郎嫌い」を公言している豊崎氏は「何の罰ゲームだよ!」とぶっちゃけながらも、芥川賞の受賞は妥当だと語り、精読を重ねた後には「これまでさんざん悪口を言ってきたが、この人を全否定すると文学自体の成立も危うくなるかもしれないという気持ちが脳裏をかすめる」という発言している(不出来な小説の内容や石原氏独特の悪文に関してはかなりディスっており、人間として嫌いなことには変わりないそうだ)。

 それまで地味な文学賞であった芥川賞を現在のような話題性のある賞に変え、「戦後初のスター作家」となって文学史を変えた存在でありながら、「誰でも知ってるけど、その質量に反比例するように、実際のところはほとんど知られていない」ことから「日本文学史のダークマター」と栗原氏に評された石原氏。意外にも豊崎氏と石原氏が「表裏一体」であった、というなんとも皮肉な結果(?)となった『石原慎太郎を読んでみた』だが、論じられた本人である石原氏も本書を読了したそうで、「著者2人と飯を食いたい」という電話が編集部宛てにあったそうだ。

 さて、今後どんな展開が!?

文=成田全(ナリタタモツ)