ビッグデータ流行りの昨今、社会調査の真実を読み解く3つのポイント

経済

公開日:2013/9/21

 新聞やテレビ、ネットメディア等で伝えられる情報をうのみにしない、リテラシーが求められる時代になってきている。

 しかし「自衛隊“必要”84%」(94年某新聞)、「ヤクルトが優勝すると経済成長率低迷? 過去4回の平均2%」(97年某新聞)等の、数字入りの社会調査を見たとき、「へぇ~、そうなのか」と素直に納得してしまったという経験はないだろうか。

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 発売は13年前と少々古いが、今もなお、シンクタンク研究員など調査や情報処理のプロの間でバイブル的に読まれる『「社会調査」のウソ リサーチ・リテラシーのすすめ』(谷岡一郎/文藝春秋)によれば、「世の中に流布する、社会調査の過半数はゴミである」とバッサリ言い切られている。社会調査とは、人々の意識や行動などの実態をとらえるための、いわゆる意識調査や世論調査のことである。社会調査論を専門とする著者の谷岡氏は冒頭で「この本は少々過激な内容である」と前置きし、多くの社会調査を実名で批判しているが、それはひとえに“今の日本では、社会調査についてのきちんとした方法論が認識されていないからである”とのこと。

 まず、情報の受け手側にも問題があると考えられる。たとえば冒頭であげたように、データに疑いをもたないという人は、リサーチ・リテラシー(社会調査を解読する能力)が不足していると思われる。データの本質を見抜こうとする人は「高い数値を得るために、質問項目の流れに誘導はなかったのだろうか」「たった4回の結果から分析した結果に、果たして信憑性はあるのか?」などと、数字の本質に迫る見方をするだろう。しかし、残念ながら多くの人はもっともらしく見える数字に騙され、ギモンを持たずに信じてしまいやすい傾向にある。

 次に、調査方法にも問題が潜んでいる。「この前の参議院議員選挙で、あなたは投票に行きましたか?」(98年某新聞)という社会調査では、実際に投票した人は58.84%であることが明確なのにもかかわらず、「行った」と回答した人がなんと84.3%もいたと掲載された。谷岡氏はその理由についてズバリ、“基本的に人間の記憶は不確かであり、また人はウソをつくものであることをふまえるべき”と解説している。

つまり社会調査を行う際には、そうした人間のあやふやな記憶や感情を相手にしていることを前提として、いかにしてバイアス(偏向)を最小限にくい止めるのか。データ収集方法や質問票作成の行程でリサーチ・デザインを精査し、正しいデータが得られるものであるかどうかを、吟味しなければならない。にもかかわらず、それがなされていないのが現状なのだそうである。

 

 さらに、そうしたずさんなデータが記事になる理由として、マスコミの体質があげられている。マスコミは自分たちが行う調査を含め、官公庁や研究者の発表する調査結果や分析を、内容や方法論をチェックせず発表されるまま記事にしてゴミを垂れ流していると、谷岡氏は危惧している。前述した社会調査がいい例であろう。

 それら社会調査の真実を読み解くには、果たしてどのような視点をもてばよいのだろうか。最低限、抑えておきたいポイント3つを、本書の実例とからめてピックアップしてみよう。

1) 何を目的とする調査なのか
【実例1 ロサンゼルス・タイムズが、アメリカ歴代大統領4人の中で一番人気があるのはカーターだという調査結果を発表した。しかし、実は選択肢の4人中3人は共和党で、民主党はカーターのみ。共和党支持者の票割れが想定される、カーターを1位にする目的の調査であったことが推測される】

2) サンプル数と有効回答者は何人か
【実例2 某クリニックが、若者の9割が精子異常というデータを発表した。しかし、調査したサンプル数はわずか60人。100人以下の数字でパーセント表示するべきではない】

3) 導き出された推論は妥当なものか
【実例3 海外の日本人学校はいじめが少ないという調査結果。しかし、比較したのは日本の学校。国際的な比較は背景が違いすぎるため、比較してもあまり意味がない。よってこの推論の妥当性は低いと考えられる】

 

  大切なのは「何もかも疑わずに受けて入れてしまうこと」であり、今日の社会調査の全てが疑わしい、というわけではない。ビッグデータがもてはやされる情報化社会だからこそ、メディア上で飛びかうさまざまな社会調査や統計データに遭遇したときは、「立ち止まって、吟味する」スタンスが必要なのではないだろうか。

文=タニハタマユミ