勝間和代1年ぶりの新刊は、ダマされないための「専門家」のウソの見抜き方

社会

公開日:2013/10/17

 世間一般にいう「専門家」とは、どのような人物のことをさすのであろうか。

 『大辞泉』(小学館)によれば「ある特定の学問・事柄を専門に研究・担当して、それに精通している人。エキスパート」とある。専門家が期待されるのは、確かな知識である。ゆえに専門家は「何か困ったことが起きた時、その解説や解決法」についてメディアや人々から意見を求められる。

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 実際、私たちが専門家の意見を聞きたくなるのは、経済や金融、政治問題、医療関係、地震や放射能についてなど、素人の知識では遥か遠く及ばない分野において専門知識にもとづく見解を得たいときだけでなく、あるいはもっと身近な健康や美容、生き方、自己啓発などのジャンルにおいても、その意見を欲しがちである。

 このようになにかと需要の高いポジションだけに、世の中にはさまざまな「専門家」が存在し、残念ながらあやしい「トンデモ専門家」も入り混じるという、玉石混淆状態になっているのだ。そんな中、最近「テレビでのコメンテーター活動はやめた」という経済の専門家・勝間和代氏が、その名もズバリ『専門家はウソをつく』(勝間和代/小学館)を発売した。紙の本は1年ぶりであり、帯には「どの専門家の意見をとるかは、人生の賭です。」と大文字でデン! と書かれている。消費者が「トンデモ専門家」に遭遇しがちな3つのジャンル(医療&健康、経済&金融、教育&コーチング)においては特に、誰の意見を選ぶかによって人生の質や運が大きく変わってしまうため、ダマされないための知識や良い「専門家」を見抜くコツを知るべきであるとのこと。

 ではまず、「専門家の言うことを鵜呑みにしてはいけない」理由を要約してみよう。

■専門家には定義がない。そもそも自分で「専門家」と言ってしまえば「専門家」を名乗れる。ゆえに、すべての専門家が信用できるわけではないし、信用できる専門家でもすべての発言が信用できるわけではない。

 本書の冒頭にあるように、国家資格や学位など権威をもつ実務家が「専門家」と呼ばれる場合もあれば、専門分野について博士論文を1本から数本書き上げた博士号をもつ研究者も「専門家」である。そして論文や研究に没頭しがちな研究畑の専門家の場合は視野が狭くなりがちであり、一方で実務寄りの専門家の場合は分析的な軸をもって理論に落とし込むことが得意ではない場合もあったりと、まさに一長一短。つまり専門家は決して「万能ではない」という大前提がある。

 しかし、メディアはひとりの専門家に「万能」を求めがちで、たとえば経済の専門家である勝間氏に「北朝鮮のミサイル問題についての意見」を求めてしまう。勝間氏の場合は、それをきっかけにテレビのコメンテーターをやめようと思いたった。ところが自分の専門外のことについても、求められればコメントする「専門家」もいるため、専門家の発言はその構造として前述したように、「玉石混淆になる脆弱性をはらんでしまう」のだ。

 そうした現状をふまえ、消費者のとるべき基本的スタンスについて勝間氏は下記の点で反省をうながしている。

■専門家の発言がメディアを通して活字になった瞬間、鵜呑みにしてしまいがちだが、自分の頭でも考えてみること
■苦労せずに専門家に頼って楽して「困っていること」の答えを知ろうとしない

 最も知りたい優れた専門家の見抜き方については、あくまで自己責任での注意深い検討が重要であるようだ。

■専門家を「経歴」ではなく、発言の「根拠」や「信頼できる他者評価」で把握せよ
■専門家の発言の裏をとるくせをつける
■どんな分野でも、少なくとも3人の専門家の意見を比較検討してみること
■最終的には自己責任。失敗しても、学びになると心得よ

 本書では、勝間氏が水泳やゴルフを習った際の体験を交えた“コーチの選び方”についても言及されているが、自分で誰かコーチについて学んだ経験がある人はそこで得た教えと、勝間氏の述べる意見や批判を吟味しながら読んでみると、専門家の発言の真偽を見抜くエクササイズになるかもしれない。

 さまざまな落とし穴に遭遇しがちな現代には、ライフハックが必要だ。そもそも情報処理業界用語であるライフハックは、広義でとらえれば「生活の質を上げるための知恵やコツ」である。自己責任で身を守る時代、安全な生活を手に入れるために、専門家のウソを見抜くライフハックも、ぜひリストに加えておこう。

文=タニハタマユミ