「上の世代はクレイジー」 本当は怖がりな「さとり世代」の本音

社会

公開日:2013/10/26

 生まれた時から「平成不況」、学校に入学したら「ゆとり」、頑張って勉強したのに「大学全入時代」。挙げ句の果てに「東日本大地震」。高校の卒業式も大学の入学式も自粛され、就活始まれば「就職氷河期」…。

 こんな時代を生き抜いてきた1988年4月生まれ以降の若者達は、昨今「さとり世代」と呼ばれている。私自身もこの「さとり世代」の一員なのだが、上の世代から見れば、現代の若者は何かを諦めているように見えるらしい。車もブランド服も欲しがらないし、旅行もしない。スポーツもしなければ、酒も飲まない。おまけに恋愛は「面倒くさい」。こんな元気のない若者ばかりでこれからの日本は大丈夫なのだろうかと心配されている。

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 博報堂ブランドデザイン若者研究所・原田曜平著『さとり世代 盗んだバイクで走り出さない若者たち』(角川書店)では、首都圏に住む高校生~若手社会人まとの議論から、「さとり世代の解明」を目指している。浮かび上がってきたのは、世の中や大人に過剰な期待を持たない若者たちの姿だ。

 「大した給料もないのにお金をバラまいていたバブル期の若者の方がおかしい。言い方は悪いですけど、上の世代ってクレイジーじゃないですか。笑」

 本書のインタビューの中で大学生がそう語っているように「さとり世代」は上の世代をネガティブに思っている。不況の時代を生きてきた私達は、何に対しても俯瞰で物を見てしまう傾向にある。決して物欲はないわけではないが、いつ何が起こるか分からないのだから、行動にも消費にも常にリスクヘッジを考える。どれだけのプラス・マイナスがあるか、コストパフォーマンスを重視して物事を考えるのだ。

 原田氏によれば、ゆとり教育で協調性の有無が重視され、「KY」という言葉が流行語になったり、ソーシャルメディアが発展してきた時代を生きてきた「さとり世代」は、極度に「空気を読む」傾向があるらしい。SNSの発展により、前世代よりも、私達は多様な人々とつながり、広く浅く様々なコミュニティに所属するようになった。すると、コミュニティに合わせて、自分のキャラや持ち物を変えてみること、「空気を読む」ことが必要となったという。あまり目立った行動を取ると、2ちゃんねるで叩かれたり、LINEのグループから退会させられたりする等、ネット社会から「村八分」に合う可能性が高い。だから、「さとり世代」はネット上で叩かれないように出過ぎたマネはしない。何かについてアツくなると周りに「イタい」と思われてしまう。だから、自分の個性とのバランスを取りながら、「ここら辺でいいや」と、自分たちを決めてしまうのだ。

 

 昔はマスコミからの情報が主だったが、今はソーシャルメディアや口コミ等、インターネットからの情報が多い。「さとり世代」が得る情報は計り知れず、ネットで見ただけなのに既に知っているような「既視感」に襲われているらしい。例えば、わざわざ旅行に出ようと思わないのは、悪い情報も多く知ってしまっているし、もうSNSを見ているだけで行ったつもりになってしまうためだ。「さとり世代」は外へ出かけるとしても、SNSで周りからのウケが良さそうな場所を選ぶという。私達は触れる情報量が増えたために、自らこう行動したい、これが正しいに違いないと思い込む力が弱まってしまっているようだ。

 だが、私達「さとり世代」は本当に悟っているわけではないのだろう。ただ、怖いのだ。期待は必ず裏切られる。だから、あまり多くを望まない。平穏に暮らしていたい。それには周りからの評価が不可欠だから、評価を得るためにあがいてしまう。私達はただ自ら第一歩を踏み出すことを恐れて“守りに入っている”「まもり世代」なのではないかという気が私にはするのである。

 「さとり世代」は、責任を上ばかりに押し付けるのではなく、恐れずに周りの視線など気にせず、第一歩へと飛び出す勇気を少しずつ付けてかねばならないのだろう。そう、未来を作るのは他でもなく、私達なのだ。

文=アサトーミナミ