『ブラタモリ』プロデューサーは、超多忙のタモリにどうやって出演依頼をしたのか

仕事術

更新日:2013/12/4

 1982年10月4日に始まり、ギネスにも登録された『森田一義アワー笑っていいとも!』が2014年3月でついに終了することが発表された。この「いいとも終了」を惜しむ声がある一方、月~金曜の生放送という長い拘束時間から解放されることで、地方や長期ロケが不可能だったタモリが遠くへ行けるようになるのでは、との声が上がっている。それが期待されているのが『タモリ倶楽部』と『ブラタモリ』だ。『タモリ倶楽部』は低予算とゆるさが特徴の番組なのでそう変わらないだろうが、街の歴史や地形などを見て歩く『ブラタモリ』が全国へ進出することは十分考えられることだ。それを裏付けるように『ブラタモリ』を放送するNHKの石田研一総局長は、「いいとも終了」のニュースを受けた定例会見で「これまではずっとロケは東京だった。『いいとも』もあったので、スケジュールの都合で遠くには行けなかった」と述べている。

 『ブラタモリ』が最初に放送されたのは2008年。当時のタモリは平日に『笑っていいとも!』、金曜夜は『ミュージックステーション』の生放送、その合間を縫って『タモリ倶楽部』のロケと超多忙。いったいどうやって出演依頼したのだろうか? 番組を企画したNHK制作局のプロデューサー・尾関憲一氏は、『時代をつかむ! ブラブラ仕事術』(尾関憲一/フォレスト出版)の中で、後に『ブラタモリ』となる番組提案書を書いている段階では、タモリが番組に出てくれる保証は何もなかったという。

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 当時タモリは20年近くNHKでレギュラー番組を持っておらず、しかも制作スタッフにもコネが全くない状態だったそうだ。そこで尾関氏が取ったのは「正面から当たってみる」こと。局内へはタモリに出演してもらえる前提で説明し、タモリにはすでに番組提案は通っている前提で出演依頼をしたそうで、結果的にタモリの出演はOKになったが、社内と社外で違う説明をするのはかなりの勇気がいる綱渡りであることは、社会人ならばよーくわかるだろう。そしてよく「どうやって口説いたのか?」と質問されるという尾関氏だが、とにかく自分たちの作ろうとしているものの面白さを伝え、どれだけの情熱があるのかをアピールしただけで、「相手を口説くのではなく、自分が思い描くものを相手に伝えることでしか始まらないものがあると思う」と記しており、タモリも納得の出演であったことがよくわかる。

 そして『ブラタモリ』は台本があるものの、タモリを始め出演者には見せないで成り行きにまかせたり、久保田祐佳アナウンサーの起用は視聴者代表(あえて事前に勉強せずに本番に臨むことを指示されたそうだ)としてだったり、すぐに答えを出さずに出演者がブラブラしながら気づく「寄り道」を大切にしているなど、普通の番組と進め方が全く違う。尾関氏は「ぶらぶらと寄り道すると見えてくるのは、“やらなければならない”ことではなくて、想定外の新しい世界への入り口」で「仕事の力は、ゴールにたどりつくことだけでなく、様々なプロセスを経験することでアップ」すると独自の仕事術を説明している。

 無目的に書店でブラブラすることも多いという尾関氏は、何かを考えているときはまるで仕組まれたかのように欲しい情報が載っている本が目に入ってくるそうで、「偶然探し」が仕事のひらめきにつながっているという。何かにつけて効率を追求し、遊びや余白が極端に少ない現代、『ブラタモリ』のようにブラブラすることで何かを見つけられる心の余裕、そして物事を見つめる独自目線の大切さを説く尾関氏。またヤラセ問題や意図的な編集など、昨今何かと騒がしいテレビ番組についても言及し、「なぜ面白くないのか」も独自の視点から解説されており、「受け手をなめてかからない」という尾関氏のスタンスに共感できることだろう。

 「いいとも終了」という時代を先読みしてチャンスをつかみ、さらなる飛躍がありそうな『ブラタモリ』。「最近仕事がつまらないな~」という人は、まずブラブラしてみてはどうだろう?

文=成田全(ナリタタモツ)