80代に学べ 若者が知るべき、五木寛之先生の愉快な生き方

暮らし

更新日:2013/12/2

 「消化に良くないから、もっとよく噛んで食べなさい!」「お菓子なんかやめて、きちんとご飯を食べなさい!」と、子供の頃に叱られた経験のある方も多いはず。しかし、こうも考えられるのではないか。よく噛んだ流動食のようなものを、いつも胃に与えていたら、そのうち弱まってしまう。ときどきは、いい加減に噛んだものを、胃に与えてこそ、鍛えられて丈夫になるのだ、なんて。

 そんなことを言えば、たちまちのうちに、親に叱られることだろう。しかし、大作家である五木寛之氏の著書『なるだけ医者に頼らず生きるために私が実践している100の習慣』(中経出版)の中で語られているのだから、心強い。今年で81歳になられた著者の言葉には、常識とは異なる、独自のものが散りばめられている。

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 たとえば、世間では頑丈な体と精神がよいとされているが、「雪が降りつむとき、その重さに耐え切れずに折れてしまうのは、屈することのない、強く丈夫な枝です」と言い放つ。だからこそ、心も体も少々不調なぐらいの、しなっている状態こそがよい、と説く。病気は治るものではなく、治まるもの。だから、日々の体の声に耳を傾けて、ほどよい感じに調整する「養生法」を薦めているのが、本著である。

 著者は、けして頑丈で健康な訳ではなく、風邪、頭痛、ものもらい、喉の腫れ、体の節々の痛み、不眠、歯の不具合など、さまざまな不調をかかえている。それでもしなやかに、自分らしく、マイペースに生きているように見受けられるのは、そうした生き方のコツを、独自の試行錯誤から生み出し、実践しているからだろう。

 お菓子を食べすぎてはいけないと、誰もが思っている。しかし、著者の友人で、3食ともケーキを食べているのに、元気な方がいるらしい。世間で言われている健康法が、必ずしも自分に合うものとは限らない。そう、著者は繰り返し語っている。

 体というものは、例えば木材のように、湿気や温度などによっても変化するのだという。注意深く観察していると「自分の体が古いバイオリンくらいおもしろいものだということに気がつきはじめます」と、楽器で表現することで、日々の不調すらも、美しい音色のように感じられてくるから面白い。

 そうはいっても、不調を楽しめるほど、心に余裕がなかったりもするだろう。毎日満員電車に揺られて通勤し、会社では人間関係に悩み、家に帰っても給与や将来のことなど心配事が尽きない。ストレスから逃れたくても、どこまでも追いかけてくるし、新たなものも押し寄せてくる。だが、「もしストレスが心身をむしばむ悪玉であるなら、なぜ私はこうして生きているのでしょう」と、50年近くも〆切という重圧の中で仕事をし続けてきた著者は語る。「私の場合、強いストレスに背中を押され、なんとか今日まで走りつづけることができた、というのが実感です」と、むしろストレスに感謝しているのである。大きくため息をつき、人生は苦しみの連続なのだとあきらめて居直ると、エネルギーが湧き出る。ネガからポジへの変換を、読者に薦めている。

 本書の後半では、現代医学に関する考察が展開されている。手術や薬、西洋医学と東洋医学の違い、延命治療など、シリアスな現実が語られていく中でも、どこか軽快さが漂うのは、著者のスタンスによるものだろう。無理をせず、がんばりすぎない。自分に合うものなら、自然と続けられる。そうでないものは、ご縁がなかっただけのこと。

 今の時代は、正義も悪も厳しく審判され、中間のグレーゾーンがなくなってきているように思える。人は完璧ではなく、明日は我が身。そんな「いい」「加減」こそ、人にとって心地よいものだともいえよう。せっかく、もうしばらく続く人生なのだから、自分に合った心地よい湯加減を探し、調整しながら、体と心を養生してみたい。

文=八幡啓司