“ファラオの申し子” フィフィが日本にもの申す理由

社会

公開日:2013/11/15

 「若者よ、疑問を抱け!」
 「自分の国を愛してんなら、もっと考えなよ」

 Twitter上での歯に衣着せぬ物言いでネットユーザーの支持を集めている外国人タレントといえば、フィフィをおいて他にいないだろう。エジプト出身、2歳から日本で生活しているフィフィが日本の「おかしいところ」にズバズバと切り込んでいく様は、ネットユーザーにある種の快感すら覚えさせる。どうして彼女はわざわざ日本の問題に切り込んでいくのだろうか。

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 フィフィ著『おかしいことを「おかしい」と言えない日本という社会へ』(祥伝社)では、フィフィが日本の抱える課題に対して真正面から向き合っている。彼女に言わせれば、現代の日本は革命前のエジプトに似ているらしい。フィフィの祖国エジプトでは独裁政権に支配されていた30年間、オカシイと思う事があっても声を挙げることができなかった。日本は、表向きには表現の自由に寛容なように見せて、タブーが多くがんじがらめで、社会に対して問題提起することもはばかられている。協調性を重んじる日本だからこそ他の人の視線を気にして発言することが出来ないのだろうが、日頃感じている違和感を表明することがエジプト革命のように国をも動かす大きな力となることを日本人にも理解してほしいようだ。

 彼女の言葉には時に共感し、時に「こんなにズバズバと言って大丈夫なのか?」と心配になってしまうことも多い。何故フィフィは自らの生活を賭けてまで、日本の問題に切り込んでいくのだろうか。

 それは、彼女自身の経験によるのだろう。2歳から日本で暮らしているのだから、フィフィの中身はほとんど日本人である。それなのに外見は彫りが深いエジプト人であるため、日本では時に外国人として扱われ、傷ついたことも少なくはなかったようだ。中学時代には好きな人に「フィフィが日本人だったら良かったのに」などと言われたし、大学受験の推薦入試の際には「外国人だから何処の大学にも入れない」と悲観的な気持ちになったこともあったという。だが、そんなフィフィを温かく支えたのが、大学教授である母だったそうだ。落ち込む彼女を何も言わずに外に連れて行くと、夜遅いのに車を出してただひたすら街を走らせ、賑わう繁華街のネオンに照らされながら母は「大学だけが全てじゃないでしょ」と彼女に告げたのだそうだ。まさか大学で教鞭を取る母親からそんな言葉を聞かされるとは思わなかったらしいが、彼女はその言葉で気持ちが楽になったようで、後に受けた日本の大学には無事に合格する。

 だが、その後もフィフィには数多くの試練が待ち受けていたらしい。就活となると、英語が話せない外国人である彼女は苦戦し、アメリカへ留学。もう外国人扱いされないと思うも「勝ちたいならば、自己主張しなさい。日本の悪いところが染み付いている」と教師に注意をされ、自分の存在について再び悩まされたらしい。そして、日本で生まれ育ったエジプト人というアイデンティティを自分のものにし、自分だけにしかない才能として自己表現するようになったのだ。

 その後も決して順風満帆とはいかない。帰国して契約社員として入社した会社では3年で契約が打ち切られる。ズバズバと物事を言う外国人相手ではなく、留学時代に日本人留学生の集まりで知り合ったおっとりとした彼と結婚したものの、自宅はエレベーターのないマンション。息子が幼かった時は託児所の料金を節約するために子どもをつれて電車でテレビ局へ赴いたり、衣装は自腹だから安価なギャル服のお店で購入したりしていた。さらに、夫は置き手紙だけを残して家を出て行ったが、何度も離婚を申し出ても、突っぱねられ、一家の主としての経済的な義務も果たしてもらえず、母子家庭としての手当ももらえない。彼女は別に生活にゆとりがあるから何も恐れずに発言をしているというわけではない。彼女は日本に住む一般的な一市民として、自らの生活を賭けてまで、日本への思いを発信し続けている。

 フィフィに言わせれば、日本人は出る杭は打つが、突拍子もなく出ている杭は打とうとしない。彼女は日本を愛しているが故に、反発を覚悟で、日本の良いことだけでなく、悪いことも指摘しているのだろう。彼女の言葉が私達の心に響くのは、彼女が幼い頃から日本で生活してきたほぼ日本人であり、そうでありながら誰よりも広い視野で日本について考えているためだ。思わず、私達の心の代弁をしてくれているような気になってしまう。だが、彼女だけに任せていて良いわけではないだろう。フィフィのように私達も強く自分の思いを発せる日本人でなくてはならない。

文=アサトーミナミ