「意識高い系(笑)」の人たちから(笑)がとれる日はくるのか?

社会

公開日:2013/11/26

 「もう国や行政にしがみついてはいけない。新しい日本を作ろう!」 社会を変えたいというツイートを毎日呟いては周囲に冷ややかな目で見られる学生を見かけたことはないだろうか。彼らのような学生は「意識の高い学生」と呼ばれている。自分と日本の未来について考えるその姿勢は一見素晴らしいものであるが、あまりにも前のめりに取り組んでいる姿は時に滑稽な印象を与え、ネット上では「意識の高い学生(笑)」として、嘲笑う対象として見られている。彼らは何故意識の高い言動を繰り返すのだろうか。何故、彼らは痛々しいのだろうか。

 人材コンサルタントである常見陽平著『「意識高い系」という病 ソーシャル時代にはびこるバカヤロー』(ベストセラーズ)は、「意識の高い学生(笑)」の特徴と彼らを生み出す社会情勢について切り込んでいる。常見が初めて「意識の高い学生」という言葉を聞いたのは、2000年代半ばのことだという。その時は、「成長意欲の高い」「学生生活が充実している」など文字通りの意味だったようだが、2008年秋のリーマンショックにより、就職をめぐる環境が一変したことで、学生達にも変化が見られるようになったようだ。求人環境が厳しくなる度に就活支援をする学生団体などが次々と立ち上がり、就活生はそれまで以上に真摯に就活に取り組むようになってきた。そして、丁度この頃、TwitterやFacebookといったSNSが日本でも普及し始める。SNSが就活にとっても重要なアイテムとなったことで、学生達が自分の就職を有利にするため手軽に自らの意識の高さをアピールするようになったらしい。

advertisement

 「総合商社、コンサル志望/10代までアメリカ、シンガポール育ち/慶應義塾大学3年/三木谷浩史氏と孫正義に心酔(2人とも会ったことあり) /FC東京好き/ 学生団体○○代表/TOEIC950点/ビジョナリーカンパニー2、ドラッカーを愛読/フォローリムーブご自由に」

 これは本書で扱われていた、「意識高い学生(笑)」のTwitterのプロフィールの一例である。事実の羅列ともいえるし、ほとんど詐称はないのだろうが、「意識高い学生(笑)」のプロフィールはこのように巧妙に盛られている。TOEICの点数など、わざわざ書かなくても良い内容を多く書き、自分を大きく見せようとしている。そして、このようなアカウントで毎日意識の高い発言を連発するのだが、著者にいわせれば、その名言も他人の受け売りであることが多いらしい。「キュレーション」の名のもとに、他人の記事を紹介したり、引用したりすることで自らをアピールする者がいることを指摘している。

 ソーシャルメディアは「なりたい自分」を演出するのに便利なツールだ。何かを発言すると、その発言が拡散されたり、「いいね!」を押されたりする。そして、常見曰く、特にちょっと尖った発言をするとウケが良く、自分の賛同者ばかりが集まるようになる。すると、次第にソーシャルメディアで受けることが目的化して発言は益々意識の高いものになっていく。

 常見は、頑張っている人を否定したいわけではない。しかし、あまりにも頑張る方向を間違えていたり、空回りしたり、表面的だと感じると見ていて不安になるのだという。こういう人達は絶対的な数はそれほど多くいるわけではなく、象徴的な行動だけがひとり歩きしている可能性があり、ある意味「意識の高い学生(笑)」は時代の被害者ともいえる。彼らは承認欲求と不安とで、意識を高くしなくてはならない。この「意識の高い自分を演じ続けなくては行けない時代」こそ、現代日本の抱える問題のひとつであるのかもしれない。

 「意識の高い学生(笑)」がはやく目を覚まして、本当に「真に意識の高い人たち」になって欲しい。等身大の自分で行動が示せれば、自分と世界を変えたいと願い、努力する人々のことを嘲笑うことはないはずだ。「意識の高い学生(笑)」がバカにされるのは、表面的に取り繕うことに注力してしまっているためなのだろう。意識の高い言動をしているだけでは何も変わらないこと、まず今を一生懸命生きて現実を直視しないと明るい未来など訪れないことを全ての「意識の高い学生(笑)」が肝に命じ、行動を起こしてほしい。そうして「真に意識の高い人たち」ばかりになれば、新しい日本を生み出すことなど容易いことなのだと、「意識の高い学生(笑)」は気づいているだろうか。誰も自分のことをいわれているとは気がつかないから、日本は変わらないのかもしれない。

文=アサトーミナミ