著者は本人! ウルトラマンタロウが語る、昭和の時代とウルトラ兄弟が深い!

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公開日:2013/11/26

 円谷プロ創立50周年の今年、様々なウルトラ関連出版物が刊行されているが、その中でも異色の1冊が書店に並んだ。

 『ウルトラマンの愛した日本』(ウルトラマンタロウ:著、和智正喜:訳/宝島社)だ。

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 ウルトラマンって「空想特撮番組でしょ?」と茶々を入れるあなたは何も分かっていない。ウルトラマンシリーズという番組は、ウルトラマンたちの関わった怪獣や宇宙人がらみの事件の「映像アーカイブ」であり、「光の国」と「地球政府」の間で約束が交わされた範囲でのみ、僕たち地球人に公開されている映像の一部に過ぎないのだ。

 初代ウルトラマンと地球人との遭遇から始まったウルトラシリーズの歴史において、著者であるウルトラマンタロウは6番目の来訪者だ。(ウルトラマン、ゾフィー、セブン、新マン、エース……厳密にはセブン上司やウルトラの父なんかもいるので、8番目だけど)

 本書は、タロウが映像アーカイブを見ながら、『ウルトラマンのいた時代』を振り返っていく形の一人称で描かれている。

 タロウにとって、映像アーカイブには2つの見所がある。

(1)ウルトラ戦士としての戦い方の資料
(2)日本の時代を読み取る資料

(1)でウルトラシリーズを振り返りつつ(2)の視点で日本を見直すと、何度も目にした『ウルトラマン』のテレビ映像に、新たな発見があるのだ。

 例えば、第1章の2「ゴモラと団地と働く女性」での一節。

「映像アーカイブでは、ゴモラが日本に来る過程と交互に、(怪獣大好きな)治少年の住む団地の様子が描写される。今の君たちの目からすると、決して広い間取りではないし、ささやかな暮らしのように見えるかもしれない。だが当時は違ったんだ」(本文より引用)

 1950~60年代=昭和30年代において、それまでの日本家屋とは異なり、機能性が高められた「団地暮らしは憧れだった」と、タロウは語る。

 なるほど、映像を見返すと、本書にある「ダイニングキッチン、内風呂、水洗トイレ、ベランダ」などに加え、大きな学習机、その壁にかけられたラジコン飛行機、朝食にパンをかじるお父さん、紅茶(コーヒー?)を淹れるお母さん──団地が憧れの空間であることがよくわかる。

 それだけではない。タロウという日本人的な名前を持つ著者だけに、その考察はなかなかに深い。

 高度成長期を迎え、万博へと続く未来や科学への期待感に満ちた幸福な日本において、初代ウルトラマンが数多く戦ったのは「怪獣」という「災害」であったのに対し、「ウルトラセブン」が戦った相手のほとんどが「侵略宇宙人」だ。

 ウルトラマンのサポートが多かった科学特捜隊に対して、地球防衛軍はウルトラセブン抜きでも宇宙人や怪獣と互角に渡り合った。その背景には、社会や科学技術の成長と信頼があるとタロウは分析する。成長する社会にとって脅威なのは、発展を妨げる「障害」だったのに対して、成長し魅力的になった社会は今度は「奪いたくなるほどの存在」へと変貌した、というわけだ。

 『ウルトラマン』と『セブン』の間には、たったの半年しか間がないのだが、ウルトラマンの映像に満ちていた“光”は、同時に“闇”を生み、その影が色濃くセブンの映像や戦いに反映されていることも、タロウは指摘している。

 その後の『帰ってきたウルトラマン』では「公害と灰色の空」の下、人間としての意識を持ったまま苦悩し、戦うウルトラマンが描かれ、『ウルトラマンA』では「人々の絆」を象徴し「初の男女合体ウルトラ戦士」が登場する。『ウルトラマンタロウ』では「ウルトラファミリー」という家族が、『ウルトラマンレオ』では、光の国とは別の獅子座L77星の生き残りであるレオが、オイルショックまっただ中のどん底の日本で、かつてない孤独な苦闘を、『ウルトラマン80』では、校内暴力吹き荒れる日本で、普段は教師として働くウルトラ戦士が描かれた。

 これを「時代の流行に合わせただけの路線変更」と言うのは容易い。しかし、ウルトラマンが活躍するのは架空の世界ではなく、その時々の「現代日本」だからこそ、社会情勢や流行が『ウルトラシリーズ』に光と影を落とすのだと、タロウは言っている。

 本書ではさらに、『ウルトラマンゼロ』までのウルトラ戦士を取り上げ、それぞれの時代の日本をタロウの目線で丁寧に綴っている。

ウルトラマンタロウと共に、日本を見つめなおしてみてはいかがだろうか?

 ちなみに。筆者が高校生の頃(笑)に読んだこども向けウルトラ本によれば──光の国の通貨は「ウラー」。日本円に換算すると1ウラー=30円だとか。

 いつか機会があるならば、タロウに聞いてみたい。

「今、光の国の円相場は今、どんな感じですか?」と。

文=水陶マコト