東日本震災を経験した“独身”は今何を思う?

社会

公開日:2014/3/17

 東日本大震災から3年。震災後の日本では数多くの家族の絆がクローズアップされた。新聞には「親子3代 仮設」「孫の声 励みに」「パパのいる福島へ」「海に祈る母子」などの見出しがついた写真が掲載され、家族で足並み揃え震災を乗り越えようとする姿が目にとまる。しかし、震災を経験したのは家庭を持つ人ばかりではない。『地震と独身』(酒井順子/新潮社)ではこれまで取り上げられることの少なかった独身者の震災後の行動、考えなどが掲載されている。震災を経験した独身者は今、何を思い行動するのだろう?

■福島市の病院に勤務する看護師 智美さんの場合
 地震が起きた時、智美さんは一人暮らしのアパートにいた。地震後すぐに考えたのは病院のこと。余震が続き、進むのも怖い状況ながらも車を走らせる。病院につくと患者さんの数はそれほどでもなかったものの水道やガスは止まっていた。非常時の水が尽きる頃には、手洗いした水でトイレを流したり、患者さんの体をウェットティッシュのようなもので拭いたりといつもとは違う日常があった。

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 福島第一原発の爆発事故が明らかになってからは、その様相も変わっていく。「小さな子どもがいる看護師さんの中には、早々と辞めて避難する人が結構いました。看護師の数はもともと十分だったわけではないのでさらに減って、今はハードな状態です」と智美さんは話す。

 智美さんも一度は「この土地でやっていく自信がない」と上司に相談した。しかし、人手不足ということで引き止められたという。留まったからといって智美さんの中から放射線に対する不安が消えたわけではない。それでも、震災後の患者さんを見ていると働くという選択肢しか考えられなかった。彼女や病院の仲間は不安を抱えながらも福島と福島の人達のために忙しく働いている。

■仏門の道を進んだ 洋平さんの場合
 大船渡に住む洋平さんは震災後、音楽関係の仕事を続けながらボランティア活動を行っていた。震災から2年が経ち、お寺の息子である親友から仏門へ入らないかと誘いを受ける。仏教にあまり興味はなかったものの、震災のことを考えると心が揺れた。

「亡くなった方々の遺族の皆さんの心は、まだ全く整理できていないんですよね。幼い娘さんを亡くした友達もいたけれど、彼に対しても自分は何もしてあげられない。彼等の苦しさ、悲しさ、辛さに対してどういう風に答えていいかわからない自分がいたんですよ」と洋平さんは言う。

 その頃、洋平さんの周りでは病気で亡くなる方が続き、さらに自分自身も体調を崩したこともあり、これまでの人生を振り返る。自分の好きなことだけをやってきた人生に違和感を覚えた。震災により解決できない大きなものを抱えてしまった人達と話していると、次第に自分のためだけに生きてきた自分の言葉に意味を見いだせなくなった。とも洋平さんは話す。

 ふがいなさを感じる中での仏門への強い誘い。その時思ったのは、解決できないものに対する答えが仏教にはあるのではないか、ということ。親友が自分を必要としてくれているという思いも重なって、仕事を辞め仏門の道へ。現在は震災で被害を受けた人々の心の中にある、答えが出ないもの。その答えを探そうとしている。

 被災地のために働こうと思った智美さん。被災者の心に救いの道を見つけようとする洋平さんの他にも、絆の大切さを感じ結婚した人、自分の生き方を考え直して転職した人など、震災は多くの独身者の心を変えた。独身者の多くには今後、結婚、出産、転職などさまざまな転機が訪れる。葛藤もあるだろう。その葛藤の中で震災という辛い経験から得た学びが無駄にならず、より良い方向へと活かされることを願いたい。

文=舟崎泉美