とあるパン屋さんにまつわる遠距離恋愛のような心温まるストーリー

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/22

コロッケパンや焼きそばパンといった昔ながらのお惣菜パンを置く店はもちろん、フランスやドイツ仕込みの本場製をウリにした店、移動販売車で玄米パンやメロンパンを売る店など、街にはさまざまな形態のパン屋が増えている。

そのパンブームを物語るかのごとく、単なるレシピ本ではない“パン本”が続々と登場。おいしいパンを求めて食べ歩くパンマニアの新刊『パン欲 日本全国パンの聖地を旅する』(池田浩明/世界文化社)や、パンにまつわるあらゆる言葉を収録した『パン語辞典 パンにまつわることばをイラストと豆知識でおいしく読み解く』(ぱんとたまねぎ/誠文堂新光社)など、パン本の内容はさまざまだ。

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なかでも、今回は一風変わったパン本をご紹介しよう。『パン屋の手紙 ─往復書簡でたどる設計依頼から建物完成まで』(中村好文・神幸紀/筑摩書房)は、北海道にある小さなパン屋が東京の建築家・中村好文氏にパン小屋の設計依頼をし、建物が完成するまでの書面でのやりとりをまとめた1冊だ。

「暮らしすべてを包み込み、融通がきき、簡素で朗らかな建物をお願いしたいと思い、お手紙いたしました。(略)どうぞ私たちの夢、小さなパン小屋をお願いいたします」。北海道・真狩村でパン屋を営む神幸紀氏から届いた設計依頼の手紙。最近ではEメールによる問い合わせや依頼が多いという中村氏は、手書きの文章から漂う穏やかなトーンにすぐに共感し、二つ返事でパン小屋の設計を引き受けた。「建築家冥利に尽きるこの『パン小屋』の仕事を、神さん一家と、楽しみながら、慈しみながら、気持ちを込めてやり遂げたいと思っています」。

さっそく中村氏は真狩村を訪れ、地に足の着いた彼らの簡素な暮らしぶりを実際に見て、後日、こう言葉をしたためる。「背伸びもせず、委縮もせず、自分たちの信じることと、そこでできることを精一杯していくことで満ち足りている暮らし。その豊かさと尊さをヒシヒシと感じたのです」。クライアントの身の丈に合った家づくりを目指す中村氏と誠実な暮らしをする神氏は、まさに相思相愛。その後も神氏が中村氏設計のさまざまな建築物を訪れたり、中村氏がフランスで見つけたポストカードを神氏に送ったり、事務的なやりとりではなく、古くからの友人同士のようだ。

そして、強度の問題など紆余曲折ありながらも、2人の想いが詰まったパン小屋がやがて完成する。それはきっと、幸福を実体化したような空間なのだろう。

建築家とクライアントを超えた2人の関係は、その後も終わらない。基本設計が終了したあと、中村氏は神氏に「設計料の半額相当をパンで分割払いしてもらえないか」と手紙を送る。「設計料のこと、お気遣いいただきありがとうございます。では、お言葉に甘えて、パンで支払わせていただきます。今月から月に二度、Boulangerie JINか、中村さんの事務所が無くなるまで、送らせていただきます」。

2人の優しい人柄、まっすぐな想い。まるで物語のようなやりとりを読んだあとは、自然と温かい気持ちになる。

文=廣野順子(Office Ti+)