「安いゴージャス」で「気合主義」 現代日本に広がるヤンキー文化とは?

社会

公開日:2014/3/30

 大音量の音楽を流しながら改造バイクを乗りこなす友人に注意をしたら、「オレの好きな曲を聞かせてあげているんだから褒められたいくらいだ。」とこともなげに言われてしまった。「みんなこの曲を好きになってほしい。」とアツく語る姿に唖然。だが、彼みたいな傾向を持つ人が周りに増えている気がして、ハッとさせられた。無論、大音量の音楽を聞かせてくる奴、という意味でない。少し悪趣味だが目立ちたがりで、人が大好きでお節介。誰かに認められたくてたまらないがツッパっている。そんなヤンキーみたいな人が周りに増えてはいないか? これは私の周りだけの出来事なのだろうか? もしかしたら、日本全体がヤンキー化しているのではないだろうか?

 精神科医で批評家の斎藤環氏は『ヤンキー化する日本』(KADOKAWA 角川書店)の中で、現代日本に巣くうヤンキー性を村上隆、溝口敦、與那覇潤、デーブ・スペクター、海猫沢めろん、隈研吾らと徹底討論している。「ヤンキー」とは、本来はアメリカ人を指すYankeeが語源だといわれているが、定義が曖昧で、かつては非行少年や不良などの意味合いで使われることが多かった。しかし、今では単に不良性を指す言葉ではなく、その独特なファッションや精神性を示す場合が多い。斎藤氏によれば、現代はヤンキー文化がかつてないほどの広がりを見せている時代だという。本物の不良や非行は減少傾向にあるが、彼らに特有と思われていた「ヤンキー文化」は非行とは関係ない層にまで浸透してきている。一体、日本が飲み込まれつつある「ヤンキー文化」とはどのようなものなのか? 以下で、斎藤氏のいう「ヤンキー文化」の特徴を元として、現代に広がる「ヤンキー文化」について考えてみたいと思う。

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■バッドセンス
ヤンキー文化の外見的な特徴として、斎藤氏は「バッドセンス」を挙げている。「バッドセンス」とは、和洋折衷で威圧的なケバケバしいもののことだ。ぬいぐるみでいっぱいにされた車のダッシュボードや車に装着されたブラックライトやアンダーネオン、成人式での純白の羽織袴や裾が広がった寅壱の作業服…。「光ること」「目立つこと」「安いゴージャス」「威圧的・威嚇的」「ユーモア」が「バッドセンス」の特徴だと斎藤氏はいう。「そんな文化が現代にも増えているのか?」と疑問に思う人も多いかもしれないが、よく考えてみてほしい。何にでもラインストーンをつけてデコる文化や読みづらい当て字の名前をつける「キラキラネーム」などもその例といえはしないだろうか。現代キャバ嬢の伝説の髪型「昇天ペガサスMAX盛り」は顕著すぎる例だが、一般の人にも流布している「盛り髪」もバッドセンスの極み。現代日本にはヤンキー的な精神を感じさせるものが溢れているのではないだろうか。

■気合主義
見た目だけではなく、精神面でも「ヤンキー文化」は広まっている。斎藤氏によれば、「ヤンキー文化」の価値観としては「気合主義」があるという。これはいかなる困難な状況も「アゲアゲのノリ」と「勢い」で切り抜けられるという根拠のない自信のことだ。斎藤氏によれば、今、日本人はみなこの気合い主義の中にどっぷりと浸かっているという。3.11以降「がんばれ」という言葉が多く使われるが、それが顕著な例。「がんばれ」という言葉は相手が本来持っている以上の力を気合いを入れて出すことを要求して聞こえると斎藤氏はいう。「Do your best(ベストを尽くせ)」よりもこの言葉は重く、言われた相手がまだ全てを出し切ってないという想定に基づいているだろう。本来なら自分のためにだけ努力すれば良いはずだが、今の日本は家族のため、仲間のためにと人々に無理を強いているような気がする。

 斎藤氏の指摘を元に日本を見渡せば、こんなにもヤンキー文化が蔓延っているものかと驚かされる。斎藤氏は政治にまで論を広め、安倍首相にまでヤンキー性を見いだしているのだから面白い。仲間とともに「ノリ」と「気合い」で何事も乗り越えようという根拠もない思い。そして、他よりも目立ちたいという強い承認欲求…。非行に走る少年の背中に見られるような悲哀を日本全体が帯びているようにも思えるのは私だけだろうか。これからの日本はどうなっていくのだろうか。ヤンキーなあなたもそうじゃないあなたも、日本の未来をもう一度考えてはいかがだろうか。

文=アサトーミナミ