ママだって、いつも子どもを抱っこしていたいわけじゃない… 『母がしんどい』の作者が描くリアルな妊娠&子育て

出産・子育て

公開日:2014/4/1

「妊娠中のムラムラ」
「妊婦のセックス」
「胎児のアソコの呼び方」

 これは、ゴシップ誌のエロ記事の見出しではない。いたってマジメな育児マンガ『ママだって、人間』(田房永子/河出書房新社)の目次に連なる項目である。田房氏は、“毒親”との戦いを描いたコミックエッセイ『母がしんどい』(新人物往来社/2012年刊)で話題を呼んだマンガ家だ。その彼女が、自身の妊娠・出産・子育ての経験を描いたのが本書だ。

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 「子」だった田房氏が「ママ」となった今、何を想い、何を感じるのか…?

 物語は、主人公のエイコ(32歳)の妊娠から始まる。感動的・神秘的など、とかく美化されがちな妊娠・出産・子育てを扱った「育児マンガ」に慣れた読者に、田房氏は強烈なストレートパンチを繰り出す。母性ではなく性欲が止めどなく湧き出たという妊娠期間。夢の中で勝手にオーガズムに達してしまう「夢ーガズム(ムーガズム)」。医者にも相談できない日々の苦悩。互いに性欲に困った夫との、TENGAを使った夜の営み。母親学級では、学生時代同様のカースト的な人間関係に思い悩んだり、赤ちゃんが吸いやすいように乳首を「高さ・幅=1cmぐらい」に大きさを整えたり、そのせいで突然、「オッパイがいやらしいとかセクシュアルな部分とかそういう概念が消えた!」と感じたり。

 出産の体験談も、同様に激しい。分娩室でいきんだ時の力の方向を制御するために「助産師さんがお尻にテニスボールを当ててくれる」とか、自分の股間から出てきた我が子の頭に「触ってみる?」と訊かれ、ためらいつつも触ったとか。出産後、奇妙な高揚感で爆笑しながら我が子・Nちゃんを抱き、その下半身では、出産の際に切開したアソコが縫合されているため痛い。…などといった、これまでの育児本では描かれなかったような内容が続く。これが、可愛らしい絵で描かれ、セリフもお上品にオブラートに包んで書かれているなら印象は異なるのだが…。

「なんかグロい…というか、ひくわ…」

 途中で、読む手が止まった。妊婦さんのそういう姿や話は、あまり見たくないな、と。だが、そんな自分に違和感を感じた。なんでひいたのか? 勝手なイメージを抱いているのは自分ではないか? これも妊婦の真実のひとつではないのか? そして、再びページをめくると、まさに、その違和感が田房氏の体験となって描かれていた。それは、出産後に色々あって、元の職場の同僚たちと飲んだ時のエピソード。「本気で子育てしている」と胸を張る男たちは、けれど、平気で言う。「風俗は行く」「オムツは替えるけどウンチは奥さん」「子ども出来てから挿れるのが怖くてやってない」「子どもにとって母親が一番」それを聞いてエイコは息苦しくなった。彼らの話す“俺の奥さん”を言い換えると…「キレない」「子育て大好き」「万能」「文句言わない」「疲れ知らず」「息抜き不要」「性欲薄い」「家事苦じゃない」…「まるで“母性”だけが絶えず湧き出しているような女」だからだ。

 すべての人間に個性があり、感じ方も思いも違うのに、子どもを産んだ瞬間から、女性は「ママ」にカテゴライズされてしまう。そんな現実に、エイコは異を唱える。

「ママだからって いつも赤ちゃんを抱っこしたがるなんて思わないで ママだって 人間だよ」

 出産後、性交渉も減り、子育てを通じて若干険悪になっていたエイコだったが、自分の“旦那”を顧みて気づく。

 疲れているエイコに、ダンナは「いいから寝てろ」と、我が子のオムツを変えてくれた。赤ちゃんと母親の間に「グイグイ入って」来てくれる。「乳首の感度が凄い」とか「女性のアソコの呼び方を統一すべき」という“ビッチな話”も真剣に聞いてくれる。「そういえば今日のお化粧いい感じだったね」「キレイだった」と自然に言ってくれる。そんなひと言で心が癒され、体が軽くなり、翌日─「エイコはNちゃんをいっぱい抱っこした」。

 ドン引き、のち反省。この本は、男こそ読むべきである。「ママだって、人間」だと気付くために。

文=水陶マコト