コールなし、サイリウムなし、握手会もなし! 「BABYMETAL」は果たしてアイドルなのか? アカデミックに分析してみる

芸能

更新日:2015/2/4

 アイドル戦国時代といわれて久しい。昨年末から今年にかけては、グループアイドルの武道館公演が相次いでいるなど、市場としてのアイドルへの需要もまだまだ熱が冷めやらない状況だ。

 さて、今や海外へも発信されるコンテンツに成長した日本のアイドル文化。しかし、アイドルという言葉の定義はじつにあいまいで、捉えづらいものでもある。男性アイドルや女性アイドル、ソロのアイドルやグループアイドルなど、枚挙にいとまがないほど細分化されている。そんなアイドル全盛の時代に、社会学の観点から現代のアイドルを読み解くための1冊がある。香月孝史氏の『「アイドル」の読み方 混乱する「語り」を問う』(青弓社)だ。本書では、アイドルという言葉を中心に、学者や研究者、評論家などの言説をたよりに、アイドルとは何かをていねいに紐解いている。言葉の定義から、音楽やライブという名の“現場”を通したアイドルらしさなどをめぐり、社会現象としてのアイドルについてさまざまな視点からの分析を試みている。

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 そこで、本書をたよりに、あるアイドルグループへの考察を改めて進めてみたい。今回取り上げるのは、ヨーロッパへと羽ばたくことが決まった「BABYMETAL(以下、ベビメタ)」だ。成長期限定ユニットをうたう「さくら学院」内の“重音部”として、2010年に3人組ユニットとしてデビュー。アイドルとメタルという異なるジャンルを融合させて、アイドルファンのみならず、メタル愛好者からも幅広く注目を集めている。ではなぜ、今ベビメタを取り上げるべきなのか。それは、ベビメタの楽曲やステージなどが、他のアイドルとは一線を画すからである。一般的なアイドルのライブでは、曲中の合いの手であるコールや、ライブ会場を彩るサイリウムが鍵となる。

 しかし、ベビメタの現場では、曲中のコールもなく、サイリウムもほとんどみられない。また、ライブでのMCや握手会などのいわゆる“接触系イベント”など、メンバーそれぞれの“素顔”がみられる場面もいっさい用意されていない。

 そのためすでに、一部ファンのあいだでは「ベビメタをアイドルと呼ぶべきか」という議論も出ているので、この機会に取り上げようと考えた。それでは、本書の内容を元にした“ベビメタ論”をまとめていこう。

 本書では、アイドルへの視点を以下の3つに分類している。

1.偶像(英単語「idol」から。起源は「幻影」「幽霊」などを意味するギリシャ語に由来)。
2.魅力が実力に優る。主に、メディアにより魅力や話題性が際立って注目された存在。
3.ジャンルとして。現代ではグループアイドルが主流だが、定義は時代により流動的。

 これらの定義に基づくと、ベビメタが3にみられる「ジャンルとしてのアイドル」に該当するのは明らかだ。本書ではさらに「歌やダンスを形式的な本分とする人々。特に(現代においては)とりわけグループアイドルを中心とする枠組み」と定義付けているが、ベビメタはあくまでもメイン・ヴォーカルのSU-METALを中心とした歌、そして、3人のダンスによりパフォーマンスが構成されている。

 また、現代における“アイドルらしさ”について本書では、「主体的な自己表現の欠如がイメージされていること」を挙げている。つまり、ある種“作られた”と言ってよい世界観を持つのがアイドルであり、ライブ自体が“キツネ様のお告げによるもの”とされ、MCなどを挟まず、徹底した神秘性を生み出すベビメタの戦略がまさに合致する。ちなみに本書では、アイドルの対比語として“アーティスト”という言葉を使い、「当人による自己表現がなされていくこと」が、アーティスト化だと語られている。

 アイドルファンの集まる場所では時折、各グループについて「果たしてアイドルと呼ぶべきか否か?」という議論もなされる。それはおそらく、小泉今日子や松田聖子に代表される過去のアイドル像とは異なり、ここ数年でアイドルの役割やファンの求めるものが変化してきたからだろう。本書を参考に、改めて現代のアイドル事情をそれぞれ考察してみるのもいかがだろうか。

文=カネコシュウヘイ