mixiは消えるのか!? mixi中毒者がmixiへの愛憎を書き綴る

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更新日:2014/4/12

 mixiといえば、一昔前は登録しているのが普通だった日本最大手と言われたSNS。だがしかし、最近は「mixi? もうやってない」という答えばかり。どうしてこうなった。 PCでmixiを開いたまま、その真ん前でスマホでも開いてしまうほどmixi中毒である筆者としては、これは忌々しき事態である。

 そんな中、毎度のことながら書店を徘徊していると、こんな本が目に飛び込んできた。『ミクシィ・フェイスブックが消える日』(山崎秀夫/セルバ出版)。mixiが…消える…? 思わず手にとって読んでみると、「ポストパソコン時代」という隕石によって、SNSの需要自体が激減しているとのこと。たしかに近年、LINEやTwitterに完敗している感がある。

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 しかし、mixiにはmixiにしかない魅力もたくさんある。mixiは2ちゃんねる等と違い、HN(通称mixiネーム)ではあるが“名前”を使ってのコミュニケーションがあり、そこには確かな人間関係が構築されていく。また、TwitterやLINEのような目まぐるしさがなく、発言1つ1つを大切にすることができる。そしてFacebook程の顔が見える付き合いでもなく、本音を素直に吐露しやすい。このように、mixiならではのメリットもたくさんあるのだ。なのに、なぜ衰退してしまうのか…。そこで今回、mixiについて今一度考えてみようと思う。

 まず、最初の要因は、mixiの運営者たちの顔が見えなくなったことにもあるのではないか、と思う。昔は、毎週mixiスタッフが様々な情報を届けてくれるWebマガジンとして、「mikly(ミクリィ)」が配信されていた。あれは効果があったものではないのか。そして元々PC版から始まったはずなのに、携帯のアドレスがないと登録できません! という仕様変更。それに加えて招待制の廃止。この辺から、何かがおかしくなっていった。年齢制限を下げたことで、大したことも書いてないのにプロフやコミュが消される始末。人気があった“mixiミュージック”も廃止された。

 そして、mixiユーザーにとっての大事件が起こった。足あとが…なくなった…。 あれだけ反対運動があったにも関わらず、今までの蓄積された総数、キリ番サービスを消去。足あともリアルタイムで表示されなくなった。初期からのユーザーにとって、足あとと日記はmixiの核。それはマイミクさんとの思い出であり、それだけの間交流を重ねてきたという証のようなものだ。よって、足あと総数の表示の廃止、リアルタイム表示の廃止は、大きな波紋を呼んだ。足あと廃止反対運動のコミュニティ、ページの参加者は膨れ上がり、mixi上で大問題となった。そして積極的に声を上げ、運営に抗議をしていたのはヘビーユーザーが主であり、その声が届かなかったことで多くのヘビーユーザーがmixiを退会、もしくは放置する結果となった。常駐者が激減したことにより、mixiは急速に過疎化していった。

 足あとがなく人の流れや動きを感じられないのなら、別にmixiである理由がなく、ユーザーは次々とFacebookやTwitter、LINEに流れた。mixiは「改悪を繰り返すメリットの少ないSNS」というイメージになった。mixiにはmixiの良さがあったのに、いろんなSNSやら何やらの真似をした結果、魅力が潰されていったように思う。

 昨年3月、“訪問者”という形で足あと機能が復活した。その効果が直接的な影響を及ぼしたわけではないだろうが、mixiの業績は回復してきている。mixiにおける繋がり“マイミクシィ”は、複雑に絡み合った芋づる式のような構成。そう簡単に他のSNSに移動できない。そしてユーザーの中には、何だかんだでmixiを愛している人も多い。それだけ恩恵を受けている人もたくさんいるはずだ。事実、筆者自身もmixiに救われたと言っても過言ではない。

 他にも言いたいことは多々あるが、そこは大人の事情で割愛させていただこう。とにかくmixiに衰退してほしくない。憩いの場として、在り続けてほしい。願わくば、足あとをたどって自らコミュニティを開拓し、仲間を見つけるという喜びを、いつでも味わえる場所であってほしい。そんなmixiならではの良さが消えなければ、mixiも消えることはないのではないか。

文=月乃雫