日本最古のSF映画に“円谷英一”のクレジット? 「ゴジラ」より古いSF作品の数々がここに

映画

公開日:2014/5/3

 怪獣王・ゴジラの誕生から今年でちょうど60年が経つ。

 第1作『ゴジラ』が1954年に公開されて以降、製作されたシリーズは合計28作。日本特撮映画の金字塔として不動の人気を誇るゴジラは、国内のみならず海外のクリエイター達にも多大な影響を与えている。昨年話題になったSF怪獣映画『パシフィック・リム』のエンドクレジットで、ギレルモ・デル・トロ監督が本多猪四郎(『ゴジラ』をはじめ、数多くの東宝特撮映画を撮った映画監督)に献辞を捧げていたのをご記憶の方も多いだろう。今年7月には二度目のハリウッドリメイク版『GODZILLA』の公開も控えている。

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 ところで「ゴジラ」より遥か以前、戦前の日本にはどのような特撮映画が存在していたのだろうか。この疑問に答えてくれるのが、高槻真樹著『戦前日本SF映画創世記 ゴジラは何でできているか』(河出書房新社)である。資料不足のために今まで語られる機会の少なかった戦前の特撮SF映画にスポットを当て、「ゴジラ」のルーツを探る映画論考だ。

 高槻の定義によれば、SF的想像力を持った日本最初の特撮映画は1926年の衣笠定之助監督『狂った一頁』なのだそうだ。『ゴジラ』が生まれるより28年も前ではないか。本作は精神を病んだ人々の内面世界を描き出す物語で、現在ではSFというより怪奇幻想のジャンルにカテゴライズされるかもしれない。だが最先端の脳科学や精神医療を物語に取り込み、虚構と現実に翻弄される人々の姿を特撮技術によって表現しようとした作品は紛れもなくSF映画である、と高槻はいう。SFの概念が確立していない時代のなかでも、作品の中に含まれる「科学」の濃度をものさしに考えればSF映画を見つけることができるのだ。さらに本作には『ゴジラ』へとつながる重要な線もある。『狂った一頁』の撮影助手として“円谷英一”なる人物がクレジットされているが、彼こそが後に『ゴジラ』『ウルトラマン』などを手掛け、“特撮の神様”と呼ばれる円谷英二である。『ゴジラ』へ通ずる道は1926年の時点で既に敷かれていたのだ。

 日本の商業映画における最初のジャンルSFと思われる作品は1936年、大都映画が製作した『怪電波殺人光線』である。では『狂った一頁』から10年間、日本ではSF映画は作られなかったのかというと、そんなことはない。都会の知識人層の間で趣味として作られていた「小型映画」のなかに、2032年の世界を先行作品のどのイメージとも被らないオリジナルの発想で描いた『百年後の或る日』のような作品がある。商業映画の世界でも不条理コメディのなかに「あらゆる価値観が逆転した世界」といったSF的発想を盛り込んだ斎藤寅次郎や、人体実験によって超人を開発し、地上の楽園を建設しようとする博士の話を映画にしようとした枝正義郎のような映画人たちがいた。

 なかにはとんでもない珍作が生まれることもあった。米国の映画『キングコング』に触発されながらも、なぜか怪獣映画ではなく貧乏な男がキングコングの着ぐるみをきてドタバタを起こす喜劇になってしまった『和製キング・コング』。愛知にある大仏像が突如起き上がって動き始め、名古屋の観光地を巡る日本初のミニチュア着ぐるみ特撮作品(と言われてる)「大仏廻国・中京編」。思わず脱力してしまいそうな映画であるが、それでも今のSFジャンルのお約束からはみだした独特の存在感がある。

 そう、本書で紹介されている戦前SF映画の魅力とは、実はジャンルの型にとらわれない奔放さなのだ。先述の通り、この時代にはSFジャンルの形式が浸透していなかった。だからこそ特撮を使わない『キングコング』映画が出来たり、大仏が観光する映画が現われたりと、ジャンル概念の埒外にあるような作品が生まれたのではないだろうか。縛られない故の愉しさがあることを、本書は教えてくれるのだ。

 ちなみに本書で紹介されている映画のなかで最も尖っているのは1938年、極東キネマが製作した『無敵三剣士』である。この映画、なんと江戸時代にロボットが登場し、侍とチャンバラを繰り広げる前代未聞のロボット時代劇なのだ!

 ロボットの前で侍が土下座する『無敵三剣士』のスチールを「これがゴジラのルーツです。」なんて言って、ハリウッド版『GODZILLA』のスタッフに見せたら、腰抜かすだろうなあ。

文=若林踏