冤罪の温床にも 検察が強引につくり出す「有罪」へのストーリーとは

社会

公開日:2014/5/6

 2014年3月、1966年に起きた「袴田事件」で死刑が確定していた袴田巌元被告の再審が決定されたことが話題となった。袴田さんはずっと冤罪を訴え続けていたのだが、これほど長い期間拘束されることになったのは、取調べで事件への関与を否定していた袴田さんが「自白」をしたことにある。しかしこうした冤罪のニュースを聞くと「どうしてやってもいないのに自白をするのか?」と疑問に感じ、「もし私がやってもいない罪で捕まったとしても、絶対に嘘の自白なんてしない」と思うのだろうが、『無罪請負人 刑事弁護とは何か?』(弘中惇一郎/KADOKAWA 角川書店)を読むと、その考えは一変するはずだ。

 本書によると、日本の検察が起訴した「刑事裁判」の有罪率は99%以上で、これは先進国の中でも異様なまでに高く、1957年から半世紀以上も維持しているのだという。もちろんこれは優秀な捜査能力の証明でもあるのだが、冤罪を生み出す原因ともなっている。有罪率99%以上とは「刑事事件で捕まって起訴されたら、有罪はほぼ確定」になってしまうことでもあるのだ。なぜなのか? これは「◯◯が××した」という検察が独自に作り出したストーリーに関係者の供述を合わせようとする強引な取調べによるもの、と弘中氏は指摘している。それが例えば政治家の事件であれば、検察はまず政治家の支援者や秘書らを逮捕し、脅したりなだめたり誘導尋問したりなど、あの手この手で検察のストーリーに沿った供述を導き出し、さらに検察が有利になるような情報をマスコミへ流して「あいつは悪いやつだから、やったに違いない」と世論を誘導し、完全に外堀の埋まった政治家を逮捕する、というプロセスを踏むそうだ。

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 事件報道などを見て「コイツ悪い奴だなー。有罪になっても仕方ないだろう」と思ったことは誰でもあると思うが、実際には彼らは「犯罪者」の汚名を着せられたスケープゴートで、私たちは検察のストーリーに乗っかってしまっているだけ、という可能性がある。弘中氏は、世論が凶悪犯罪に極刑を求めるようになって死刑のハードルが低くなり、執行のスピードが速くなっていると語り、「人間というものの弱さに対する寛容や、人が人を裁くことの難しさゆえの謙虚さが社会で薄れてきた」のが「『犯罪者』の烙印を押した人間を徹底的に叩きのめすという仕打ちが目立ってきた」ことになっている“弱者いじめの社会”に対して苦言を呈している。

 本書には弘中氏が弁護を担当した「郵便不正事件」「西松建設事件」「陸山会事件」「やまりん事件」「薬害エイズ事件」「ロス疑惑事件」などについて書かれているが、その実情を知ると背筋が凍るような恐怖を感じる。冷暖房も時計もない拘置所の部屋に押し込まれ、風呂やトイレも自由に使えず、弁護士以外とは会うこともできないまま毎日取調べを受けていると、時間と空間の感覚がなくなってしまうそうだ。そして供述しなければ拘束は長期に渡り、保釈してもらうには調書にサインすることが求められ、判断力が低下している状態になっているところへ「とりあえず認めて、言いたいことがあれば法廷で」と言われてサインしてしまう。しかし法廷で違うことを話したら「偽証罪」(最長で懲役1年)になってしまうので、発言は調書通りなってしまう。これが冤罪を生んでしまう理由のひとつとなっているのだ。

 冒頭の袴田さんが再審となったのは、証拠品として提出された血のついたシャツなどをDNA鑑定したこと、そして弁護士らが新たに開示された証拠を徹底的に調べ直して矛盾を指摘したことが大きいそうだ。袴田事件の弁護団と支援者は国の法制審議会に対して、検察がすべての証拠を明らかにする制度や取調べの録音・録画を法律での義務付けを求める要請書を提出、これ以上の冤罪が生まれないための改革を迫っている。「自分は犯罪など犯さないから大丈夫」と思っていても、偶然巻き込まれた事故や、まったく身に覚えのない事件の被疑者として捕まる可能性はゼロではない。冤罪は誰の身の上にも起こりうると肝に銘じ、本書を「もしもの時のための1冊」として読んでおくことをお勧めする。

文=成田全(ナリタタモツ)