ハジ多きWEB女子・岡田育が『10代に読んでこじらせた本』ベスト5

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公開日:2014/5/18

 インターネットがなければ生きていけない“文化系WEB女子”を自称する岡田育。WEBメディアを中心に活動をしながら、コメンテーターとして『とくダネ!』(フジテレビ)にも出演。4月には「cakes(ケイクス)」で連載中の人気エッセイをまとめた『ハジの多い人生』を刊行するなど、メディアをまたいだ活躍を見せている。今回はそんな彼女を形作った「10代に読んでこじらせた本」を選んでもらった。

『ハジの多い人生』岡田育/新書館
文化系WEB女子改めハジッコ女子・岡田育(@okadaic)が、子供時代を振り返った自伝的エッセイ集。「ハジはハジッコのハジ、『中心』に対する『周縁』の意」(岡田)。「中心」でいられない自分にコンプレックスを抱きながらも、自分の「普通」を貫いてきた著者のストレートな言い分に発見、共感あり。1980年生まれの著者を育んできたカルチャーの匂いがあふれ、同世代の読者にとっては懐かしい世界が広がっている。

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1位
現在進行形でこじらせ中、憧れの女性像
有閑マドモワゼル (知恵の森文庫)
有閑マドモワゼル (知恵の森文庫)
  • 著者名:長谷部 千彩
  • 発売元 : 光文社
  • 価格:741円

「初めて読んだのは雑誌『バァフアウト』の連載誌面、ラリックの指輪について。筆者が何者かまったく知らなかったのに、短い文章でぞっこん惚れ込み、憧れをこじらせて現在に至る。『ハジの多い人生』連載開始当初、編集部からは向田邦子『父の詫び状』のような文章をと依頼され、自分では心密かに本書をお手本に掲げていた……はずなのに、書いてみると見事にどちらとも似ても似つかぬ代物が出来上がり、現在進行形で凹んでいる」(岡田)

2位
読書することが“反逆”だったあの頃
ニーチェ全集〈8〉悦ばしき知識 (ちくま学芸文庫)
ニーチェ全集〈8〉悦ばしき知識 (ちくま学芸文庫)
  • 著者名:フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
  • 発売元 : 筑摩書房
  • 価格:1,728円

「引越するたびに捨てよう捨てようと思いつつ、結局捨てられない文庫版ニーチェ全集。カトリック系の女子校に通っていた頃、宗教の授業をボイコットして修道女たちへ見せびらかすようにコレを読むのが最高にパンクな行為だと思っていた。ページをひらくと『神は死んだ!』はじめ各所のキラーフレーズがオレンジ色の蛍光ペンでマークしてあり、今なお色褪せぬその香ばしさを直視できず、捨てるに捨てられず、また書棚に残してしまう」(岡田)

3位
鏡を覗くように読んだ“変わった子”の話
流しのしたの骨 (新潮文庫)
流しのしたの骨 (新潮文庫)
  • 著者名:江國香織
  • 発売元 : 新潮社
  • 価格:546円

「小説に登場する『変わった子』について、まるで自分のことのようだわ、と素直に思える人々は幸いである。『やばい、私、世間からはこんなふうに見えるのか、イヤだ、もっと普通に生きたい!』とメタに悶絶するフシギちゃんは御愁傷様である。私はちょうど本書を読んだお年頃にソレを発症した。もう尾形亀之助の詩集について熱く語ったりできない。ヤナーチェク聴きながらパスタ茹でるハルキストのようには生きられない。やれやれ」(岡田)

4位
アランでも椎名林檎でもなく福田恆存
私の幸福論 (ちくま文庫)
私の幸福論 (ちくま文庫)
  • 著者名:福田恒存
  • 発売元 : 筑摩書房
  • 価格:734円

「思春期を女子ばかりの環境で過ごし、性別を意識させられることなくズボンを穿き少年漫画を読んで育ち、いつも自分のことを男社会における男性市民か、それに準ずるものだと錯覚していた。自分が井の中の蛙であることなど知らずに大海について意見を述べていたし、『女子供に向けて書かれた』本など、自分の心には刺さらないと思っていた。いずれメスになる運命にあるオタマジャクシが、そんな甘い認識を改めざるを得なかった一冊」(岡田)

5位
女子校育ち文化系女子の華やか?な日常
ぼくはスクワター―不法占拠者
ぼくはスクワター―不法占拠者
  • 著者名:篠原一
  • 発売元 : 新書館
  • 価格:1,575円

「桜蔭高校在学中にデビューした女子高生作家の学生生活を綴ったエッセイ集。似たような女子校に通う、似て非なる高校生だった私には当時、坂本龍一と握手したり、糸井重里や羽生善治とモノポリーしたり、といった彼女の華やかな日常が何もかも眩しく思えた。『ハジの多い人生』は本書と同じ出版社、同じ編集者のオファーで書籍化にこぎつけた。担当編集Y氏、本当にこの手のめんどくさい女子が大好きなんだなぁ、と感心する類書」(岡田)

岡田育さんよりセレクトを振り返って
「10代の頃、一番たくさん読んだのは古今東西の長編小説のはずですが、どこでどんなふうに読んでいたのかは、意外と記憶に残っていません。いつどこでなぜ何をどんなふうに読んだか、はっきり思い出せるのはエッセイが主。書店店頭や図書館の棚の前でパッと手にとって、短い章を一気に立ち読みして、思わずタイトルを憶えた、というシチュエーションが多いです。私の本も、どこかの誰かに、そんなふうに読んでいただけたら幸いです」