「ビジネスで“ノー”は禁句」8億の借金をかかえた男が“世界一の庭師”になった理由

仕事術

更新日:2014/6/5

 6月2日(月)、三省堂書店神保町本店で、庭園デザイナー・石原和幸氏の新著『まず「できます」と言え。やり方は帰り道で考えろ。-「世界一の庭師」の仕事の流儀』(KADOKAWA 中経出版)の刊行イベントが開催された。そこで「メダカが泳ぐ庭に、苔の本棚がある本屋さん」と題し、石原氏による即席「坪庭」制作が披露された。

 まず、庭園デザイナー・石原和幸とは何者なのか? そう思う人も多いかもしれない。彼は、ガーデン大国のイギリスで100年の歴史を誇り、エリザベス女王主催の「チェルシーフラワーショー」で、今年5月にゴールドメダルとベストガーデン賞を受賞。史上初2度目の3連覇という金字塔を打ち立てた人物。世界から毎年20万人が来場するこの大会での受賞はスポーツでいえばオリンピックで金メダルを獲るに値し、その腕は、エリザベス女王から「庭の魔法使い」と絶賛されたほど。これまでに手掛けた庭園は、「ウェスティンホテル東京」「ANAインターコンチネンタル石垣リゾートの庭」「イオンモール幕張新都心店の正面玄関の庭」「羽田空港第1旅客ターミナルビル内の庭」「シンガポール最大の植物園・ガーデンズ・バイ・ザ・ベイのクリスマスガーデン」と、国内外問わず、活躍中だ。

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チェルシー・フラワーショー2014受賞作「Togenkyo-A Paradise on Earth」

 だが、そんな石原氏もここまで来るまでは険しい道のりだった。庭の仕事をはじめたのは30代後半。路上販売の花屋からスタートしその日暮らしの生活を送っていた時期もあった。その後、独立して長崎の繁華街に念願の花屋をオープンさせるも、事業に失敗。一時は8億円もの負債を抱え自転車操業の日々。子供が嬉しそうに学校から持ち帰ってきた“ピンクの手紙”は、授業料未納のお知らせ…。いくつもの困難にぶちあたるも、氏が思い描いた「ゴール」を一心に追いかけた末、手に入れた「世界一」なのだ。

 紆余曲折を経て、「世界一」を手に入れた石原氏。イベントでは次のように語った。

――チェルシーフラワーショーに参加するまでの経緯は?
「ウェスティンホテル、ディズニーの庭をどうやってつくれるか考えていました。そう思ったとき、世界のてっぺんチェルシーに行こうと思い実際に行ってみました。そこで自ら“僕はすごいです、できます”とアピールしました」

――世界の舞台に立ち感じることはなんですか?
「日本人ということがブランドになります。庭園作りはイギリス人が上手なイメージがありますが、日本人のきめ細やかな技、色のテイスト、石を一つ積むにしても几帳面。それは武器だと思います」

――朝から晩まで限られた時間の中で庭を仕上げるにはかなりの集中力が必要だと思います
「スポーツと同じだと思います。サッカーでいえば、自分が監督。メンバーの健康管理やメンタル面でのマネジメントなど采配は重要です。たとえば、作業中に水漏れが発生したとき、一番落ち込むのは、そこの作業をしていた人です。その人だけに修復させるのではなく、みんなでやる。夜はミーティングをして翌日の確認をします。タイムリミットぎりぎりまで諦めません。」

――今後の展望は?
「日本ではあまり認知されていない“チェルシーフラワーショー”に出場し続けることです。また、花と緑は武器になります。人を集める力があります。たとえば、花に特化したハウステンボスは、来場者が以前の3~4倍。桜が咲けば上野に人が集まる。ただし、突き抜けた“花”や“緑”でないといけません。また、人口6000万人のイギリスが庭に4兆円をかけるのに対し、日本は、まだ2300億円。そう考えるとこれからもっと伸びるマーケットだと思います。人口3万9千人の広島県の塩原では、農家の庭先を綺麗にして見てもらう“オープンガーデン”で町の人口より多い5万人の人たちが集まりました。そうすると農産物が売れ、農家に民泊する人が増え、経済の柱になる。まちが生き残る手段になります。ホテルに泊まりながら里山を体験できたり、庭園型リゾートもそうですが、日本職人の技を発揮し、経済効果を生む庭造りをしていきたいです」

 そう語る表情からも情熱にみなぎっていた石原氏を形作ったものとは? 新著『ます「できます」と言え。~』は、世界の舞台で戦う石原氏の魂を感じる哲学が綴られている。そのビジネススタイルはいたってシンプル。クライアントが言うことには、「できます」と答える。やり方は帰り道に考えるだけ。なぜなら「世界の舞台に限らず、大きな仕事、真剣勝負のビジネスであればあるほど、同じチャンスは2度と巡ってきません。そして、仕事はいつだって相手あってのものです。だからこそ、そんな場で“ノー”は禁句。持ち帰って考えるなんて最悪」と。
 勉強で褒められたこともない、英語ができるわけでも、エリートでもないと語る石原氏は自身の並ならぬ“経験”ですべてを築き上げてきたのだろう。

 最後に、石原氏の言葉を紹介しよう。
「“そこに行ってみたい”と思うからには、可能性があるのだと。“絶対に無理だ”と思っていたら、行きたい気持ちは湧いてこない。行きたいと思うのは、心のどこかに自信があるから――世界のてっぺんを見たときに、“そこに行きたい”と思うか、“自分には無理だ”と思うか。あっさりと答えは出るものです」
わずかでも自分にできるんじゃないかと思えればチャレンジするしかないという石原氏の言葉に奮い立たされる。

取材・文=中川寛子