堺雅人で大河決定の武将・真田幸村 実は超ブサイク!?

テレビ

更新日:2016/1/6

 2016年の大河ドラマ『真田丸』で、主人公の真田幸村を堺雅人が演じることに決まり、腐女子、歴女たちが歓喜している。幸村といえば、徳川家が豊臣家を滅ぼすために行った大阪の陣での活躍が有名で、忠義を尽くし、華々しく散ったイメージが強いが、その生き様に魅せられた女子も多い。また、幸村には彼に仕える10人の家臣「真田十勇士」がいたという話もあり、それが腐女子たちの妄想を掻き立てるポイントにもなっていたようだ。『戦国無双』や『戦国BASARA』といったゲームも、幸村の女子人気に大きく影響している。これらのゲームでは、幸村が主人公やそれに準ずる扱いで、スラッとした長身のイケメン武将として描かれている。赤揃えの武具に十文字槍、六文銭の家紋がトレードマークで、熱血漢の若い武将として描かれることも多く、そのイメージが定着しているのだろう。とにかく、女子からは圧倒的な人気を誇っている武将なのだ。

 『真田丸』では、そんな幸村の物語が三谷幸喜の脚本で描かれることになった。しかも、幸村を演じる堺は『新選組!』の山南敬助役や『大奥~誕生[有功・家光篇]』の万里小路有功役、『南極大陸』の氷室晴彦役などの活躍で、同じく高い歴女、腐女子人気を得ている人物。すでに、ネットでも「堺雅人さんが真田幸村とか!歴女狙いやんか!」「マジ俺得」といった声が上がっている。しかし、さまざまな資料を読んでみると、そもそも歴史的には「幸村=イケメン」のイメージが怪しいようなのだ。

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 幸村の本名は信繁といい、真田昌幸の次男として生まれた。彼は幼少期を上杉景勝や豊臣秀吉の人質として過ごしていたうえ、次男だったこともあって、16歳頃までほぼ歴史的な記録が残っていないという。初めて戦に加わったのも天正18年の小田原征伐で、23歳の頃だと言われており、『戦国無双』のように18歳で大坂夏の陣に参戦したりはしていないのだ。だから、10代の彼については、見た目どころか何をしていたのかもほとんどわからない。なかには『戦国武将の履歴書 時代劇ではわからない意外な過去』(クリエイティブ・スイート/宝島社)のように「若い頃は結構二枚目でしたが」と書かれているものもあるが、それも定かではない。

 しかし、少なくとも実際に大坂の陣で徳川家を追い詰めたときの幸村は、決してイケメンとは言えない風貌だったという。関ケ原の戦いで父・昌幸とともに豊臣側として戦い、敗れた幸村は、本来なら切腹を命じられるところだったが、徳川軍として戦っていた兄・信之がとりなしてくれたおかげで九度山に流刑されることですんだ。でも、そこでの生活はかなり苦しいものだったようで、『戦国武将の死亡診断書』(酒井シヅ:監修/エクスナレッジ)には40代に入ると老化が進み、義兄に宛てた手紙では「最近は病気がちですっかり老けてしまった。髪は白く、歯も抜けてしまった」と嘆いていたと書かれている。その後、ここを抜け出して大坂の陣に参戦するので、そのときにはかなり老け込んでいたはずだ。それを証明するように、幸村と同じく大坂の陣に参戦していた後藤又兵衛こと後藤基次の配下・長沢九郎兵衛が大阪の陣の様子を書き遺した『長沢聞書』では「真田左衛門佐は四十四、五にも見え申し候。ひたひ口に二、三寸の疵あとこれあり。小兵なる人にて候」と書かれている。つまり、幸村は歳相応の見た目をした小男だったのだ。一説には、小柄で出っ歯で風貌はあまりよくなかったと言われているものもあり、とても長身のイケメン武将などではなかったらしい。ただ、兄の信之は幸村のことを「ものごと柔和、忍辱にして強からず、ことば少なにして、怒り腹立つことなし」と評しているらしく、普段の彼は笑顔が多く物腰のやわらかい人物であったようだ。

 同じ三谷脚本の『新選組!』でもイメージより史実に近い年齢の俳優をキャスティングしていたので、もしかすると、歴女や腐女子の思い描くイケメンではなく、史実に近いブサイクキャラの幸村が見られる可能性もある!?……かもしれない。堺の演技力ならどっちでもいけそうだ。

文=小里樹